これまでのあらすじ

 五月病と言われた時代もあった春の季節。和太鼓クラブの新入部員磯部匡は勉学と部活、卒業後の進路に心が揺れていた。創立記念の文化祭に選んだ演目『イエス・キリスト』の舞台はどうなるか? 

 

 1年生の磯部匡は中間試験の結果に落胆した。付設中学校から上がってきた生徒とは劣っているとは判っていたがそれなりの点数はもらえだろうと思っていたが、50人のクラスの中で成績の席順は下から数えたほうが早かった。

 沈んだ表情で和太鼓クラブの部室のドアを開けると3年生の光永誠先輩が一人太鼓の前にたって連打の最中だった。連打ながら途中で早くなったり、遅くなったりすることなく常に一定のリズムを刻んで、磯辺匡の耳に心地よかった。

「よう!どうした、磯辺。元気ないじゃないか?テストの成績が悪かったからか?」

「えぇ、どうしてわかるんですか?」

「わかる、わからないもこの時節、そんな顔をして部室に入ってくる奴なんか、テストの成績に落ち込んで入ってくる部員くらいだものなぁ、ハァハァ~

」光永誠は明るく笑い飛ばした。

「そういう時こそ、バチを握って気持ちを込めて振り下ろすんだ。太鼓の音を聞いた人が感動するような音を創りだすにはどうしたら良いか一生懸命に考えて、バチの振り下ろすスピード、力、太鼓面のどの位置が良いか?『本当のプロなら何時でもどんな逆境でも、どんな精神的に動揺していても変わりないバチ裁きができてこそプロだ』と言った人がいたかどうか知らないがね。理想的な太鼓人と言えると思うんだ」

「それって昔の剣豪の座右の銘みたいですね。私のお祖父ちゃんが好きな、吉川英治の『宮本武蔵』にでてくる言葉のようですね」磯部匡が光永誠の言葉を受けて言った。

「お前の爺ちゃんと俺の祖父もにているなぁ~」光永誠が笑った。「さぁ、これから俺とこの前教えた応用6のリズム練習だ。ゆくぞ!」

 綾部匡は光永誠の大きな身体から出てくる熱波のようなエネルギーに感化されて、中間テストの成績順位など『また頑張れば上昇するだろう』という気持ちにさせられていった。

 30分くらい二人で連打の練習をした後、椅子に腰かけてペットボトルの飲料水を飲んで休憩している光永の身体を改めてみた。父親と同じくらいの身長ながら身体全体が引き締まっていて全身からエネルギーが溢れているようだった。

 磯部匡は光永誠が野球部かバスケット部のような運動クラブに入らずにどうして和太鼓クラブに入部したのか聞いてみたくなった。

 「光永先輩は他の運動クラブではなく何故、文化系の”和太鼓クラブ”入部したのですか?入部した当時の気持ちと今は本音でどう思って、どう考えているか教えてくれませんか?」

「難しい質問をするね。本音でね・・」光永はしばらく黙っていたが「文化部というくらいだから創造、創作という価値を前提にしていると思っているね。創造、創作というからには本人の満足というより見る人、鑑賞する人を念頭に置いた作品という事になってくるだろう。観る人が感激する作品に仕上げようとする気持ちが大切なことになってくる。また反対に自分が観客なら『見せれやろう!観せてやろう!魅せてやろう!という姿勢が表にでてくると詐欺の片りんをみせられているようで観客の心は離れてゆくものだ。この微妙なバランスの上に立っている緊張感が良いんだ」

 光永は続けて「人が共鳴する前にクラブ員が一つの作品を創造しているという連帯感、そのなかで自分が担っているという自覚、責任を果たせたという実感を文化祭のエンディング挨拶で感じたいという思いだね。特に私たち3年生にとっては1度だけではなく2度も最後の舞台に立つことができなかったので、それがどんなモノか口にする資格は今は無いが、今年は必ず訪れるだろうと期待しているんだ。たとえ虚脱するような萎えた気持ちになったとしても、それも1年間かけてきた結果だと思うと貴重な体験だと思っている」

 「ところで光永先輩は卒業したらどうするつもりなんですか?」「どうする?大学に行くか、それとも専門学校にゆくか、という事?」「ハイそうです。実は僕は今の成績だと大学に進学するには相当努力しないといけないと判ってきましたから。部活に費やす時間より市内で塾に通ったほうがいいのか?それとも思い切って市内の学校に転校したほうが良いのか?この学校を選択したことが間違っていたのではないか?とまで思うようになってしまって・・」と続けた。

 「部活のもつもう一つの良い事は1年の時間をかけてモノを作る、創るという課程を体験できるという事。目標である作品完成発表である文化祭で感じる部員との連帯感と共有したという体験。これは共に作り上げたという経験によってのみ味わうことができるものだ。何故これが判ったかというと、1度ならず2度もコロナ禍で途中まで練習しながらハレの舞台で演じる事のできなかったのでより強く理解できるようになったよ」

 一呼吸置いて「特に文化系クラブの良い点は”鑑賞する、見る人たちに提供するモノ”をどういったものにするか?。たとえば余り鑑賞者の注意と関心を引き付けるために度を越した演出や技巧はすぐ見破られて拒絶反応を起こさせる。かと言って技巧的に乏しく、みすぼらしい演出では人は一瞥すらされない。度を超すことなく技能と演出の質を高めて作品を作り上げてゆく。この緊張感と快感。これも経験しないと理解できないモノ。俺が3年間で理解できるようになった小さな事だったね。まだ文化祭の終わりを迎えていないのでこれ以上の事は言えないけどね」。

 

 クラブの部室のドアが開いて、1年生の田中良平、中村守人、田所晃彦、森脇心花がガヤガヤと喋りながら入ってきた。

 入ってくるなり田中良平が「磯部!テストの結果はどうだった?」と聞いてきた。みんなの目が一斉に自分に注がれたきた。

 「俺は弱い数学が赤点ギリギリだったよ。もう少しで追試だった。お前は数学が得意と聞いたけど、今度数学の家庭教師になってくれない?受講料は太鼓の練習相手になってやる」と言って皆を笑わせた。

 集まった1年生は始めて経験した中間試験の感想を口にして練習より試験の話題で盛り上がって1時間半の時間が過ぎていった。

 市内から通学してくる1年生では家の近くの進学塾で進学教室の科目講義を受けているいった生徒もいた。

 また、クラスの生徒の進路の噂はいろいろ知っているようだったが集まった太鼓クラブの同級生たちはこれといった明確な目標をもっている者はいなかった。

 磯部匡は勉強するにも部活をするにも時間的無駄を省くには「祖父母の家が町営バスで片道20分の距離」にあることから祖父母の家に下宿するのも一案だと思い始めていた。

 

 副部長の横山優斗とプロジェクトチームの小川清がドアを開けて入ってきた。

 岡村が「文化祭の演目『イエス・キリスト』の内容だけどね。最初の”天地創造”の演奏を元に”イエスの誕生から”の場面、そして最後の”復活”の場面を同じパターンで組み立てたほうが演者の私たちテクニックも少なくまた観客側からすると理解しやすいという結論にしたが・・光永どう思う?」

「どう思う?と聞かれても。今、お前の話の断片だけを聞いてもチンプンカンプンで答えようがないよ。もうバスが出発する時間になるからまた会う時にしようぜ!理論家のお前のにしてはまったく意味不明な内容だよ!」

「ごめん、ごめん。教室で話していた延長の気分だったよ」 

  

 そろそろ部活の終了が近づき下校のバスが出発する時刻が近づいてきた。

 

 続  <毎週土曜日掲載予定>