これまでのあらすじ

 ハレの舞台で打ち下ろしたバチに反応する太鼓の音色が身体全体に共鳴する。創立110周年記念の文化祭に選んだ演目『イエス・キリスト』の舞台はどうなるか? 西洋の文化に和文化の代表ともいえる部員21名の和太鼓クラブが挑戦する。

 

 

 

★★★

 月も風薫る5中間試験、27日土曜日の予備校の全国共通試が終わり、その4日後からカレンダーの表紙が6月になった。

 学園の周辺の田圃の稲はしっかり根が張り、茎は東から風が吹けば西になびき、南から吹けば北のなびく。

 四階の屋上から見れば緑の大海原に薄緑色の波がたっているようだった。市内の住宅団地から通ってくる生徒たちにはホッとする息抜きの光景だった。

 春の日光の暖かさが心地よい6月のこの季節には昼休みや午後の授業の空いた時間に遠くの山並みや田園の風景を眺めようと屋上に上ってくる生徒が増える。

 毎年卒業生の9割が大学や専門学校に進学する学園にとって、6月は生徒の学力の基礎固めとして大切な時でもあったが、部活にも力をいれて、水曜日、金曜日の部活の定期活動日には下校時間の定期バスの運行も部活に合わせていた。

 昔は相撲部、スキー部、剣道部、駅伝部などが県下の高校でも定評あった。

 

 和太鼓クラブも全員が顔を合わることはなかったがいつも部室から太鼓の音がしていた。

 和太鼓クラブには春、夏、秋、冬の季節を表現する四つの練習曲と人間の喜、怒、哀、楽の感情を表現する基本リズムがあった。

 春を現す練習曲は谷川の水がサラサラと流れる音を表現した中太鼓と小鳥が鳴く音をイメージさせる小太鼓を組み合わせてゆっくりしたメロディーだった。

 夏は太陽が輝き入道雲の空を大太鼓の音で表現し、その下で稲や畑の野菜がグングンと育つ様を中太鼓で表現したものだった。秋は少し斜陽の太陽を中太鼓のこもった音で表し、黄色く膨らんだ稲穂が頭を垂れた様を中太鼓と小太鼓のリズミカルな音で表したものだった。

冬、北からの木枯らしを小太鼓と中太鼓の連打と時折襲ってくる雷鳴を大太鼓の音で表し、太鼓の音が消えた静寂は冬の寒さを表現したものだった。

 そして人の喜怒哀楽。喜び、怒りは大太鼓、中太鼓、小太鼓の種類やリズムに関わらず太鼓面をバチで打つ強さでの表現だった。哀しみと楽しみも太鼓の種類に関わらずバチの当たる音の柔らかさで表現したものだった。

 この人の喜怒哀楽を表現する音の強弱と連打するサイクル(振動回数の少ない、多いい)の違いによって人の感情濃淡が表現できた。

 喜怒哀楽に付随して起こるもう一つの感情である期待と不安の表現は最も難しく奏者の身振り、手振り、さらに衣装、頭部や顔につける装飾品の助けをかりなければ表すことができなかった。

 

 この春夏秋冬の練習曲と人の喜怒哀楽と期待と不安の組み合わせと太鼓の数と1つの太鼓に関わる人数によってストリーが生まれ、変化が起こる。いや逆だった。ストリーにそって練習曲を組み替え、リズムを組み立てる。

 例えば、冬の練習曲と人の”喜び、怒り”の感情の表現を組みわせれば、中太鼓と小太鼓の激しい連打に大太鼓の音が加わり、演者の形相で戦いの場面を表現する・・・というものだった。

 

 和太鼓クラブには楽譜もあったが、多くは先輩と一緒に手とり、足とりしながら教えてもらって練習し、体得し受け継いだものだった。佑子たちが3年生になった時、後輩たちに伝え、教える内容の少なさ、乏しさを実感した。

「私たちが入学した時、3年生はもっともっと多く語り、溢れるような情熱で教えてくれた。手を重ね、バチを握り、真剣な眼で真直ぐ私をみて教えてくれた。今、新入生たちを前にした時余りにも乏しい自分自身に苛立つ」佑子の率直な気持ちだった。

 コロナ禍での文化祭の中止で貴重なモノが失われたのを実感した。

「もう1年コロナ禍が続いたなら・・・もっと困難な事になっていただろう」とプロジェクトチームのメンバーは顔を合わせる度に口にした。

 

 第二週の6月7日水曜日、6月度の部活の会議が開かれた。

 上村佑子は「副部長、プロジェクトメンバーの努力により演目イエスキリスの内容がほぼ決まりました。イエスの生誕から十字架の死、復活の一連の物語に神の天地創造と再臨を絡ませて演じるものです」

 佑子の発言を受けて横山優斗が「第1部 ”新訳聖書にほとんど記載のないイエスの幼少期の期間に、歴史の始まりである天地創造、堕落、エデンの園の追放、カインのアベルの殺害、ノアの洪水、アブラハム、モーセの歩み”を神から直接教育を受け追体験したという想像を組み込みました。

 次に、第2部 聖書にあるイエスの生涯と十字架の刑、死を表現する。

 第3部 エンデンクは復活したイエスが再臨するという未来を予言の場面にしました」

 続けてプロジェクトメンバーの小川清が「生誕から幼少期の場面は明るくテンポよく、イエスが神から救世主の使命を託され、孤独で誰にも打ち明けらない決意をかためる。第2部は聖書にてでくるヨハネとの出会い、信徒たちの参加という明るい話題と既存の勢力による迫害が始まる。ユダの裏切りと信者の離反、刑の執行。天幕が裂ける。エンデングは昇天から復活、再臨という希望の場面へ向かってゆくという内容です」と結んだ。

 上村佑子は「この『イエス・キリスト』を神を父という位置に置いて喜怒哀楽の感情を順位に並べてみると天地創造はー(喜び)人の誕生-(喜び)、エデンでの事件-(怒、悲しみ)

カインによるアベルの殺害―(悲しみ)、ノアに40日洪水-(悲しみ)、アブラハム(希望、喜び)、モーセ―(希望)。そしてイエスキリストの物語を同じように表してみると『イエス誕生-(喜び)、イエスの成長-(希望、喜び)、洗礼ヨハネと別れ―(悲しみ)、信徒たちが増える―(希望、喜び)既存の勢力による迫害―(悲しみ)、ユダの裏切り、迫害者に加担する弟子の出現-(悲しみ、不安)、十字架に磔という裁判-(怒)、刑の執行-(天幕がさけるほどの怒)、三日目イエスの復活ー(期待)・・・・なります。

 そして自然の春夏秋冬と人の歴史(聖書の旧約、新約)を重ねてみると、人の誕生という短い春。すぐにむかえた厳しい夏、罪悪の満ち溢れた秋、そして長い冬、やがて来るだろう再臨の春・・春が続くことを祈る』となり、演じる私たちもイメージしやすいと思います」と言った。

 

 横山優斗が「今、パソコンで今回の曲を作っているところですのでもう少し時間をください。いくつか候補作はできていますが、今月中にはプロジェクトメンバーと力を合わせて発表したいと思っています」と言うと

「早く、曲を聞きたいものですね、岡村先輩、太鼓のイメージに合わせた得意のベースギターで聞かせて下さい。より心に残り、太鼓のイメージに結びつきますからね」岡村と一緒にギター仲間の2年生道上守が発言した。

 これに呼応する頷く表情が部室のあちらこちらにみられた。

 21名の部員が秋の創立110周年記念文化祭までの期間の短さを自覚した頷きだと佑子は思った。

 

 続  <毎週土曜日掲載予定>