これまでのあらすじ

和太鼓を初めて経験する新入生と部員21名の和太鼓クラブが文化祭に選んだ演目『イエスキリスト』西洋の文化に和文化の代表ともいえる和太鼓が挑む! 新約、旧約聖書1800ページの奥にながれる愛と涙の親子の物語。

 

★★★

 新入部員が中間試験の合間に和太鼓のリズムを自宅で練習しているのを思い浮かべながら上村佑子は苦闘していた。

 

 聖書の1ページ目旧約聖書創世記第1章 はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。・・・・。27節神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。28節神は彼らを祝福して言われた「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また、海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物を治めよ」・・・・・。

 

 ここから人間の歴史が始まった。

 ここで神は悦びに満ちていたか?苦悶し、絶望だったか?

 男と女の二人の人は幸福だったか?、悲しみだったか?

 

 創世記第2章・・・・・。23節 そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男から取ったものだから、これを女と名づけよう」。
24 節 それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。
25節  人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。

 

 エデンの園

第3章9 節 主なる神は人に呼びかけて言われた、「あなたはどこにいるのか」。
10節 彼は答えた、「園の中であなたの歩まれる音を聞き、わたしは裸だったので、恐れて身を隠したのです」。
11節 神は言われた、「あなたが裸であるのを、だれが知らせたのか。食べるなと、命じておいた木から、あなたは取って食べたのか」。12節 人は答えた、「わたしと一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれたので、わたしは食べたのです」13節 そこで主なる神は女に言われた、「あなたは、なんということをしたのです」。女は答えた、「へびがわたしをだましたのです。それでわたしは食べました」。
14節 主なる神はへびに言われた、「おまえは、この事を、したので、すべての家畜、野のすべての獣のうち、最ものろわれる。おまえは腹で、這いあるき、一生、ちりを食べるであろう。
15節 わたしは恨みをおく、おまえと女とのあいだに、おまえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえのかしらを砕き、おまえは彼のかかとを砕くであろう」。
16節 つぎに女に言われた、「わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。それでもなお、あなたは夫を慕い、彼はあなたを治めるであろう」。
17節 更に人に言われた、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。・・・・。23節 そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕させられた。24節 神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた。

 

 ここでも神は悦びに満ちていたか?苦悶し、絶望だったか?

 男と女の二人は笑顔で見つめあっていただろうか、幸福に満ちた表情だったろうか?、目から泪が零れおち、苦悶の表情だったろうか?

 

 創世記4章8節 カインは弟アベルに言った、「さあ、野原へ行こう」。彼らが野にいたとき、カインは弟アベルに立ちかかって、これを殺した。9節 主はカインに言われた、「弟アベルは、どこにいますか」。カインは答えた、「知りません。わたしが弟の番人でしょうか」。10節 主は言われた、「あなたは何をしたのです。あなたの弟の血の声が土の中からわたしに叫んでいます。

 

 愛と平和と歓びの起源として創造した男と女の家庭で兄が弟を殺すという事件が起こった。これを知った神は微笑みながら兄のカインの顔を見て質問しただろうか?苦悶と絶望と悲痛な心を抱き、言葉を震わせ聞いただろうか?

 

 創世記5章3節 アダムは百三十歳になって、自分にかたどり、自分のかたちのような男の子を生み、その名をセツと名づけた。

 

 セツから8代目にノアが生まれた。

人は善良だったか?その心にはよいことだけだったか?

 旧約聖書創世記6章5節 主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。6節 主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め、7節 「わたしが創造した人を地のおもてからぬぐい去ろう。人も獣も、這うものも、空の鳥までも。わたしは、これらを造ったことを悔いる」と言われた。8節 しかし、ノアは主の前に恵みを得た・・18節 ただし、わたしはあなたと契約を結ぼう。あなたは子らと、妻と、子らの妻たちと共に箱舟にはいりなさい。
19節 またすべての生き物、すべての肉なるものの中から、それぞれ二つずつを箱舟に入れて、あなたと共にその命を保たせなさい。それらは雄と雌とでなければならない

 

40日40夜の洪水がおこる。

 

 旧約聖書創世記8章20節 ノアは主に祭壇を築いて、すべての清い獣と、すべての清い鳥とのうちから取って、燔祭を祭壇の上にささげた。
21節 主はその香ばしいかおりをかいで、心に言われた、「わたしはもはや二度と人のゆえに地をのろわない。人が心に思い図ることは、幼い時から悪いからである。わたしは、このたびしたように、もう二度と、すべての生きたものを滅ぼさない。22節 地のある限り、種まきの時も、刈入れの時も、暑さ寒さも、夏冬も、昼も夜もやむことはないであろう」

 

『人が心に思い図ることは、幼い時から悪いからである』最初の人も幼い時から心に思い図ることは悪だったのだろうか?

 

ノアの子セムの子孫からアブラハム、イサク、ヤコブが生まれた。・・・・・歴史は流れてゆきレビ族の娘が男の子を産んだ。エジブトの王の娘によって救われ”モーセ”と名付けられ成長する。

 このモーセに率いられたイスラエル民族がエジブトから故郷に向う

旧約聖書「出エジプト記」に綴られた歴史が続く・・・・。

 

 モーセに率いられたイスラエル人と共にいた神の心境はいかばかりだったろうか?

 

 出エジブト記3章14節 神はモーセに言われた、「わたしは、有って有る者」。また言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい、『「わたしは有る」というかたが、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と」。15節 神はまたモーセに言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい『あなたがたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主が、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と。これは永遠にわたしの名、これは世々のわたしの呼び名である。

 

 神はモーセにイスラエル人とエジブトの王に対する問答を教える。幼子に教える父親のように・・・・・

 上村佑子が旧約聖書を机の横に置いて苦闘しているころ副部長の横山優斗も新約聖書を開いて試行錯誤していた。

 

 

 新約聖書ヨハネによる福音書5章43節 わたしは父の名によってきたのに、あなたがたはわたしを受けいれない。もし、ほかの人が彼自身の名によって来るならば、その人を受けいれるのであろう。44節 互に誉を受けながら、ただひとりの神からの誉を求めようとしないあなたがたは、どうして信じることができようか。45節 わたしがあなたがたのことを父に訴えると、考えてはいけない。あなたがたを訴える者は、あなたがたが頼みとしているモーセその人である。46節 もし、あなたがたがモーセを信じたならば、わたしをも信じたであろう。モーセは、わたしについて書いたのである。
47節 しかし、モーセの書いたものを信じないならば、どうしてわたしの言葉を信じるだろうか」

 

 旧約聖書にあるモーセに神が託した使命がそのままイエスがその使命の継承者であるとイエスが語った言葉として掲載されている箇所

 当時のイスラエルの人々は『主が来る前に昇天していったエリアが現れると信じていた。

 その根拠なる旧約聖書の記述は旧約聖書マラキ書4章5節 見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。
6節 彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる。これはわたしが来て、のろいをもってこの国を撃つことのないようにするためである

 

新約聖書マタイによる福音書11章2節 さて、ヨハネは獄中でキリストのみわざについて伝え聞き、自分の弟子たちをつかわして、3 節イエスに言わせた、「『きたるべきかた』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」。
4節 イエスは答えて言われた、「行って、あなたがたが見聞きしていることをヨハネに報告しなさい。14節そして、もしあなたがたが受けいれることを望めば、この人こそは、きたるべきエリヤなのである。

 

 最初の躓きだった。洗礼ヨハネがイエスに躓いた・・・。

 洗礼ヨハネとイエスの出会いを期待していた神に心は喜びだっただろうか?心痛きわまりなかったであろうか?

 その後、イエスは神を父として、自分が神の子であると自覚し、自らの使命を世に宣言する。

 だが、イエスの伝道が進むにつれ様々な困難な状況がうまれ、迫害が襲ってくる。

 ユダによる裏切り、十二弟子たちとの最後の晩餐でペテロの離反を予告、ゲッセマネでの「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」という祈り。逮捕。大祭司による尋問、「お前もあの男(イエス)の弟子の一人ではないか」と問われてペテロは「違う」と否認する。死刑の判決、十字架で磔にされる・・・・

 父なる神の願いを託された一人子、イエス・キリストの胸中・・・・

 それを見つめつづける父なる神の歴史をかけた思い・・・・

 イエス・キリストが抱き続けた心中の真(まこと)・・・・誰も知りえず、理解しなかった。 

 磔の刑に処されながら右側の強盗のみがイエス・キリストを信じたという事実・・・

 これ場面に父なる神は何処にいたのだろうか?

 天か?執行された十字架を見つめた群衆の中にか?

 イエスの傍か?

 イエスと右側の強盗が会話する声の聞こえるすぐ近くに・・・・

 

 新約聖書マタイ福音書27章46節 そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。47節 すると、そこに立っていたある人々が、これを聞いて言った、「あれはエリヤを呼んでいるのだ」。

 48節 するとすぐ、彼らのうちのひとりが走り寄って、海綿を取り、それに酢いぶどう酒を含ませて葦の棒につけ、イエスに飲ませようとした。49節 ほかの人々は言った、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」。50節 イエスはもう一度大声で叫んで、ついに息をひきとられた。51節 すると見よ、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。また地震があり、岩が裂け、52節 また墓が開け、眠っている多くの聖徒たちの死体が生き返った。

 

 『神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた』親なる神の悲痛なる絶叫!

 

 地に拡がる人々の数と長~いの歴史。神が歓びを感じたのはアダムとエバが誕生した時。

 この時に感じただけで、それ以降は子孫を見つめながらいつの日か帰ってくるのを願いながら、耐え忍ぶ日々。

 

 旧約、新約聖書の長い歴史は『人が神を求めた歴史ではなく、人に宿る創造の美と愛を求めて、戻って来ることを願い続けてきた生みの親(神)の一筋の歴史』と思えるようになった。

 

 続  <毎週土曜日掲載予定>