これまでのあらすじ

  3年間のコロナ禍での文化祭の中止を経て、創立110周年記念の文化祭に「先輩の伝説の演技、天孫降臨を越える作品に!」和太鼓クラブの高校生たちが選んだのはイエス・キリストだった。洋の文化に和文化の代表ともいえる和太鼓の挑戦がつづく。

 ★★★

  令和5年春2月、2回目のクラブ集会が行われた。

 上村佑子が「演目の全体の流れを整えて、物語の始まりと、山場、終わりの場、その中で最も強調するところ、最後の締めくくりをどうするか・・・などを決めて、新入生の参加から本格的に演技のスタートをしたいと思います。部員全体が『イエス・キリスト』像に同じイメージをもっていることが大切なことなので、本や映像、絵、最も中心である聖書も含めて自分の”モノ”を温めて、次回に発表してください。お願いします」と挨拶するとメンバーの間から声があった。

「聖書を購入して読んでみないといけないね」「聖書なんか、最近は書店で見かけたことないな」「幼児向きの本棚には確か有ったと思うけどね」「でも聖書一冊になると値段も結構するでしょう」「文庫本サイズでも最低500円だったね」

様々な発言を受けて横山優斗が「最近は聖書の各記、書ごとにネットに旧約も新約聖書も掲載されているのでそれを利用するのも良いとおもいますけど」と言った。「それってお金かかるの?」「いや無料だと思いますよ」

「じゃあ、それなどを利用して次回集まりましょう。私も全体の流れが判るように抜き書きしてまとめておきます。この後1時間ばかり基礎練習と合わせて二人太鼓の練習も初めてゆきましょう」

佑子の発言で会議は散会となり練習場の体育館に戻っていった。

 

 佑子は新約聖書のページをめくりながら考え、考えて読み進めた。

 時間の流れにそってイエスと弟子たちの言動、集会をおこなったイスラエルの町々や村々の人々の反応や様子などを抜き書きしていった。

 新約聖書のマタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書、ヨハネによる福音書の4人の弟子の福音書を読み返して、それぞれが時間的な差、イエスから受けた感動の差、イエスとの心情的な位置の差によって少しずつだが差があり、聖書を編纂した人物が四人の弟子たちの口実をどれも無視できないと考えて一冊の中に取り込んだように思えた。

 佑子は聖書の記述で印象に残ったところがいくつかあった。

イエスは洗礼ヨハネから洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。その時、天がイエスに向って開き『これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた』(マタイ福音書3/16)のところ。

そして、『女の生んだ者のなかで、バプテスマのヨハネより大きい人物は起こらなかった。しかし、天国でもっとも小さい者も彼よりは大きい…』(マタイ)福音書11/11)と書いてある箇所。

その後ユダヤ教の祭司長たちによって告発される前後の弟子たちの様子。公開裁判でのバラバとの引き代えに死刑の決定。イエスが磔の刑に処され時、右側の強盗と左側の強盗との問答。そして右側の強盗に『はっきり言っておくがあなたは今日わたしと一緒に楽園にいる』(ルカ福音書22/13~43)と言った場面。

 そして、イエスの昇天後、パウロが弟子たちへ迫害、脅迫を続けている時、ダマスコの近くで天から光をうけ『サウロ、サウロ、何故私を迫害するのか』呼びかける声を聞く(使徒行伝9/3)。パウロの回心が起こる・・・・の場面だった。

 

 一連の流れなかでもっとも強調すべき場面をどこにしたら観客に強い印象をあたえられるか?

誕生の時か?洗礼ヨハネとイエスが交わり、隔離してゆくところか?その後のイエスの路程、洗礼ヨハネの斬首、イエスの伝道とユダヤ教徒、司祭たちとの軋轢、弟子ユダの銀貨30枚によるうらぎり、「神を冒涜し、世を惑わす者」としての告発される。総督ピラトはイエスをバラバとの引き代えに罪に定め、死刑に決定、ペテロは『イエスの弟子ではない』と否認、刑場での二人の強盗とのやり取り、自身の天に対する祈り、刑の執行の様子、昇天、復活の場面か?・・・・

 

 佑子がダイニングで文庫本の新約聖書と格闘してしるのを見て父親の恭輔が「映画に『パッション』というのがあるよ。これは聖書の最後の晩餐から十字架で処刑されるまでの12時間の話で聖書の物語を忠実に描いていると言われた映画だったね。お父さんはイエスの代わりに釈放されたバラバの言動、民衆の熱狂、司祭たちの思惑、イエスの処刑・・・のシーンを見ながら、興奮状態にある人の心理状態を立場によって描いていて、見る人が立っている位置によって受ける感動が違ってくることが判った作品だったね」と言った。

「パッション。情熱?」と佑子が聞いた。

「passionの意味は”情熱”という意味もあるが”キリストの受難”という意味で俳優メル・ギブソンが『福音書に忠実な描写』として私財を投入して自ら監督、脚本も手掛けた作品なんだ。この映画も120分の長編だったね。2004年の作品だからそう古くはないけれどね」父親の恭輔が返答した。佑子はさっそく貸しDVD屋さんに向った。

 

 令和5年3月、卒業生を送り出した和太鼓クラブの集会で佑子は「私がイエス・キリストの一生のなかに和太鼓の演奏を挿入したら適切かなぁと思える場面を抜き書きしてみました。11項目を持ち時間のうちに表現するのは難しいのでこの中からいくつかを選び、さらに強調する場面、最後の場面をどこにしてゆくかを決定してゆきたいと思っています」と言いながらA4のコピー用紙を配った。

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①イエス・キリストの誕生前、母マリアが精霊によって身ごもったと明らかになった時、夢に天使があららわれて証する。誕生の時、占星術の学者が星に導かれて訪問する。

②洗礼ヨハネが「主は精霊と火で洗礼(バップテスマ)をお授けになる」と証する。」――マタイ伝、マルコ伝ルカ伝

③イエスに洗礼をほどこしたヨハネが離反してゆく――マタイ伝、ルカ伝

④荒野で断食と悪魔の試練

⑤洗礼ヨハネの投獄,断首される

⑥山上の垂訓と言われるイエスの伝道

⑦12弟子の1人ユダの告発、最後の晩餐

⑧ バラバイエスの釈放、右側の強盗と左側の強盗、

 十字架上でのイエスの言葉

⑨死

⑩復活

⑪サウロ天から光をうけ回心する

 ・・・・・・

 

「⑦12弟子の1人ユダの告発、最後の晩餐⑧ バラバイエスの釈放、右側の強盗と左側の強盗の会話、十字架上でのイエスの言葉⑨死・・・は省略できない場面だと思います」

「まず、③のヨハネが離反してゆく‥の場面も大切だと思うけどね」「①のイエスの誕生以前の話がないと、物語自体が始まらない事を考えるともっとも大事な場面だと僕は思いますね」

「⑦12弟子の1人ユダの銀貨30枚と引き換えにイエスを売った出来事、最後の晩餐の悲痛さ・・これこそこの物語の最大の山場と私は思います」

 

 様々な意見が出て、文化祭の公演に情熱を傾けているクラブ員の姿を佑子は美しいと思った。

 副部長の横山優斗が「場面設定が決まったら、それぞれの場面ごとに具体的なリズム構成、太鼓の種類、人数などをつめて新入生の入部したら早い時期に実技練習をスタートさせたいと思っています。途中で何回も修正、試行、修正、試行の繰り返しの作業がつづくと思います。みんなで頑張って行きましょう」と結んだ。

 

 白石かづえが「見ている人、聞いている人がより感動的になるには途中に入れるナレーションの大切だと思います。それともし可能なら創作ダンス部に頼んで一人舞台で披露してもらうともっと盛り上がるかもしれません」と発言したが、同じ同級生の中島光義が「それじゃますます和太鼓演奏の存在というか意味が脇役に回ってしまうので、僕は反対ですね」と異を唱えた。

「『100周年での演目『天孫降臨』を越える作品を110周年の記念文化祭に発表しよう』、いう意味からだんだんと違う方向にすすんでゆくように思えてきますね」中島につづいて大太鼓を担当する光永誠が発言した。

 佑子は話し合いが議論で終わってしまう心配があって「まず今回の演題『イエス・キリスト』の構成をどうしてゆこうかというところに論点を絞って話を進めたいと思っています」と結んで結論を急いだ。

 佑子は家で見た映画『パッション』には触れないことにした。

 

 部長と副部長、そしてプロジェクトチームが中心になって全体の演奏の流れと山場の場面、最も強調する場面、エンディングの場面の設定の課題に入っていった。

 

 横山優斗が「まず、この物語の視点をどこに置くかを最初に決めておかなければいけないと思いましたね。イエスの信者の視点に立つと、イエス自身の内面まで入ってゆくのは難しくなってゆく。反対に群衆の側に立って物語をみると、対象グループがイエスを単なる騒乱罪で告発するという話で終わってしまう恐れがあるしね。イエス自身の視点に立って物語を組み立ててゆくと極端に流れ過ぎた作品になってゆくしね。また、ただ時間の経過に沿って物語を流してゆくと平凡な作品になってくるし・・。それぞれの立場を全て取り込んで作品を作ると焦点ボケの作品になってしまうしね」

  横山優斗の言葉に反応するメンバーはいなかった。

 佑子は「次のステップに入っていったと感じましたね。次に集まるときは“視点”を何処にするか?を中心に検討しましょう」と言って散会となった。

 

 『さすが、副部長だね。一歩一歩確実にみんなを押し上げっていってくれているわ。もうすぐ新しい部員が入ってくることも考えなくちゃならないなぁ』佑子は壁に貼ってあるカレンダーを見ながら思った。

 

 和太鼓の基礎練習は続いていた。同じリズムで30秒間打ち続け、40秒、1分、1分半と時間を少しづつ伸ばしてゆく。太鼓を打つリズムも少しづつ早くしてこれもまず、30秒間打ち続け、そして時間を少しづつ延長してゆく。時間が経つと手の疲労加わってリズムが乱れてくる。これを克服する意志力、と筋肉の力を養うには短期間では不可能で毎日の積み上げが必要だと判ってきた。

 連打しながらある時間から突然リズムを早くする。また、突然リズムを遅くする。変わり際のコツを身体に覚え込ませなければならない。

 一人打ちができても二人、三人、四人の連打で同じリズムで打ち続ける。この呼吸、耳で自分が全体の音に遅れているか、早すぎていないか、即座に修正する能力を会得する。

 和太鼓クラブは文化部に属しているが実際は運動部だった。

続《毎週土曜日掲載予定》