三島匡は夢をみていた。
光が輝いている広大な大地だった。
光が最も明るい方角に門があった。門の上の額束(がくつか)には青龍がいた。二本の角大きく、開いた口、長く伸びた舌と顎、小さな目から鋭い光が射るように周囲をにらんでいた。
目を転じて南をみると東にも門があった。門の上の額束(がくつか)を今にも飛び出そうとしている鳥がいた。朱雀だった。その姿は神々しく威厳があった。
更に西に向って目を移すと同じように門があって上の額束には細身で首が長く、両眼を見開き、前脚を突き出した白虎。いつでも飛びかからんとする姿だった。
西の隣、北にも同じような門があって額束には亀に蛇が絡まっていた。おどろおどろしい玄武だった。
三島匡は夢のなにでてきた四神は奈良県で発見されたキトラ古墳の壁画だと理解できた。
図鑑が発売されるとすぐ手に入れた。キトラ古墳の発見は日本の古代歴史に関心のある人にとっては驚きの出来事だった。
目覚めて、今朝が新しい年になって二日目だと気がついて初夢に四神が出てきたことで不安と歓びが混じりあった妙な気分だった。。
元旦午後4時に起こった能登半島地震のニュースをみながら、ほぼ一日ボンヤリとして過ごしし夕方7時のニュースを見みるためテレビのスイッチを入れると画面上に「羽田空港で衝突炎上事故発生のニテロップ」がながれた。
羽田空港の事故は時間とともの会場保安庁の飛行機は被災地向けの物資を中継場所となる新潟航空基地へ搬送する途上だった伝え、日航機の乗員、乗客367名は全員脱出、海上保安機のみずなぎ1号には6人が搭乗しており5人が死亡、一人は自力で脱出したが重篤と知った。
翌朝、投稿映像がネットで配信された。子供と共に搭乗していた一人の乗客の投稿映像によって事故時の日航機の機内で異常事態発生の気付きから脱出までの8分間の貴重な映像だった。
冷静なら機内乗務員、一時の機内の騒擾、沈着な乗務員の指示、暗黙の優先順位、順守事項の履行、撮影者と子供との会話・・・現場映像ならではの力はあった。
それからしばらくの間、三島匡の頭に能登半島地震と羽田空港の衝突炎上事故の映像に初夢の青龍、朱雀、白虎、玄武の色鮮やかな色彩が重なっていつまでも消えなかった。