リスクを計算できる、そう考えて金融工学なる確率論を駆使して 数学とコンピューターの天才たちが神のサイコロに挑んだ。
その結果生み出されたのがデリバティブである。
ところが人が挑んだのは神のサイコロではなく、風に流されやすいヒトという葦(アシ)であった。確率論や統計学でリスクを計算してもヒトの心理はそれには従わない。勝ち目のないサイコロをヒトは、自分だけに訪れるセレンディピティを信じて振る。
保険という事故や自然災害に対して適応される手法を金融という愚かしくも自分で考える葦に適応してしまった時、本来は嵐に強いはずの葦はパニックに陥ってしまったのである。
しかも嵐が来る前にはレバレッジ(てこ)という賭博に夢中になり、我々を忘れてしまっていた。
いや嵐は来ていなかったかもしれない。どこかのチキン(小心者)が怖くなって賭けから降り始めてしまった。
『嵐が来た』
『オオカミが来た』
『スティング』でもTSUTAYAで借りて来て古典的な詐欺師たちの手口でも楽しみながら、あの青い瞳のポール・ニューマンの弔いでもしたくなった。
いや待てよ、まさか死んだふりしてるヤツはいないだろうね。