クチコミネタ:バブルの思い出
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1984年、30歳を期して事務所独立。無謀にも企画会社を立ち上げたのだ。もう組織の一員で働くのは嫌だ!クリエイティブな仕事がしたい、自分の考えたことを実現していきたいと勢い込んで始めたが、時はバブルの始まる前で、円高不況というようなことがいわれた時期でもあった。
はじめのうちこそ、大変だったが、なぜか2,3年するとだまっていても(営業しなくても)向こうから仕事が舞い込むようになってきた。企画書を量産し、次々に形にしていった。主に新卒採用の出版関係の雑誌(媒体)の創刊に携わり、媒体のコンセプトからネーミングまでを行った。
ネーミングは旅行をしながら、ア行から語呂のいいものを探していって、メモに書き留めるということをやり、ネーミングでいいものが見つかるとコンセプトを固めていくというやり方だったが、そういう安易なものでもなぜか通った。
中途採用のための『シゴット』というような感じ。楽器のファゴットをもじっただけのものだが、そんなものでよかった。外来語辞典もよくみた。意外と外国人の名前にいいものがあり、オルフとか気に入って何かに使おうとおもっていた。オルフはハンガリーかどこかの音楽家なのだが…。
こんな具合だから値段もいい加減で20万円で書いていったら、もうひとつゼロをつけていいよといわれたことがあったりした。企業の担当者も相当余裕があったのだ。この頃には広島の工場に部品をひとつ、どうしても夜のうちにもっていかなければならないというのでタクシーをチャーターしてもっていったなどという話がざらにころがっていた。
そのうち、こんなことでお金儲けができていいのかなと悩んだりし始めたが、ほぼ昭和が終わるあたりから、逆に仕事が徐々に減り始め、個人事務所の書いた企画など、だれも相手にしてくれなくなった。それでもなんとか仕事はしていたが、クリエイティブなものの価格破壊は激しく、ついに40歳の時に個人事務所を断念。2年後に今の職場に就職した。
最近バブルを知らないんですよと若い人が口にするのを聞くようになったが、いい意味でも悪い意味でもバブルを駆け抜けたので、ひとつの時代観(時代を見る目のようなもの)は自分の中に形作られている。おそらく、どんな時代が来ても世の中に流されないというような感じね。
1984年、30歳を期して事務所独立。無謀にも企画会社を立ち上げたのだ。もう組織の一員で働くのは嫌だ!クリエイティブな仕事がしたい、自分の考えたことを実現していきたいと勢い込んで始めたが、時はバブルの始まる前で、円高不況というようなことがいわれた時期でもあった。
はじめのうちこそ、大変だったが、なぜか2,3年するとだまっていても(営業しなくても)向こうから仕事が舞い込むようになってきた。企画書を量産し、次々に形にしていった。主に新卒採用の出版関係の雑誌(媒体)の創刊に携わり、媒体のコンセプトからネーミングまでを行った。
ネーミングは旅行をしながら、ア行から語呂のいいものを探していって、メモに書き留めるということをやり、ネーミングでいいものが見つかるとコンセプトを固めていくというやり方だったが、そういう安易なものでもなぜか通った。
中途採用のための『シゴット』というような感じ。楽器のファゴットをもじっただけのものだが、そんなものでよかった。外来語辞典もよくみた。意外と外国人の名前にいいものがあり、オルフとか気に入って何かに使おうとおもっていた。オルフはハンガリーかどこかの音楽家なのだが…。
こんな具合だから値段もいい加減で20万円で書いていったら、もうひとつゼロをつけていいよといわれたことがあったりした。企業の担当者も相当余裕があったのだ。この頃には広島の工場に部品をひとつ、どうしても夜のうちにもっていかなければならないというのでタクシーをチャーターしてもっていったなどという話がざらにころがっていた。
そのうち、こんなことでお金儲けができていいのかなと悩んだりし始めたが、ほぼ昭和が終わるあたりから、逆に仕事が徐々に減り始め、個人事務所の書いた企画など、だれも相手にしてくれなくなった。それでもなんとか仕事はしていたが、クリエイティブなものの価格破壊は激しく、ついに40歳の時に個人事務所を断念。2年後に今の職場に就職した。
最近バブルを知らないんですよと若い人が口にするのを聞くようになったが、いい意味でも悪い意味でもバブルを駆け抜けたので、ひとつの時代観(時代を見る目のようなもの)は自分の中に形作られている。おそらく、どんな時代が来ても世の中に流されないというような感じね。
