ベルギー旅行を目前にして、ロンドンに来る前、まだ会社勤めをしていた頃に
経験した無鉄砲な旅行を思い出した。


モロッコに行く予定で取ったスペイン行きの航空券は、日程的な問題からスペイン

のみの旅となったのだけれど、予定外にエル・グレコの絵画を追う旅になった。


スペインを代表する画家エル・グレコ。

全体的に暗い画面、縦に長く伸びた構図、複雑なポーズを取る人体などが
特徴的で、過度に引き伸ばされた表現で有名な彼の絵は、
一度観ると目に焼きついて忘れられない。


対象を過度に引き伸ばされ縦長にデフォルメして描く彼の画風は
彼が乱視だったためという説もあるけれど。


natsuのブログ

真実がどうあるにしても、彼の強烈な個性をもった作品は見る者の注意を惹き、

鮮烈な印象を記憶に残すし、青を基調とした濃い色遣いから与えられる力強さ、

そして絵全体から浴びせかけられる眩しいほどの光を持ったその作品は、

圧倒的な存在感を持っている。


職を求めてスペインのトレドへと居住を移した彼は、

宮廷画家として迎え入れられ数々の傑作を生み出していった。


かつての首都であったトレドは1500年以上の歴史を持ち、

街全体が「世界遺産」に登録されている。
アスファルトの道路から石畳の道を登っていくこの時間だけでも十分、

古都に来た感慨に浸る事ができる。


まずカテドラルだが、高さ90Mの鐘楼を持つカテドラルは1227年、

当時の国王フェルディナンド2世に着工され、2世紀を経た1493年に完成。
現在ではスペインカトリック教会の総本山とされている。

そびえたつ鐘楼に施された緻密な装飾には首が痛くなるほど見いってしまうし、

その内装にも圧巻された。


内部は、ステンドグラスから成る聖堂に差し込む光が

無数の天使の彫刻や聖人像を浮き立たせ、
時が止まったかのようなその空間には、立ちすくむ程の感動を与えられる。


展示品が飾られている部屋はいくつもあるのだけど、オススメは美術室。

日本だと、この1枚所有しているだけでも十分な集客が望めるのでは?
っと思うほどの絵が何枚も何枚も無造作に並べられている。

エル・グレコはもちろんのこと、ティツィアーノ・カラバッジョ・ゴヤなどの

素晴らしい画家による名作が1室に所狭しと収められている。


そして、必ず見ておきたかった「エル・グレコの家」。
行ってびっくり、修復中で、隣接されている美術館で作品を見ることしかできなくかった。
思いつきで行動するとこんな残念な経験も付いてくるんだな…という事を身をもって体験した。


けれど、この建物から望むタホ川の景色は、メトロポリタン美術館に収められている
「トレド風景」の情景を呼び起こしてくれた。
トレドという街は、自分が立っている石畳、街に流れる空気、歴史を感じさせる建物、
街を形成するすべてが、彼が生活していた風景への想像力をかきたててくれる。


私がトレドに行ったのはマドリッドの喧騒から逃れたかったからというのもあるけれど

それ以上にプラド美術館で見たエルグレコの絵の素晴らしさに心を奪われ、
もっと彼の絵を見たいという衝動にかられたからで。

旅行中に予定を変更したため、かなり限られた時間で訪れたため、
ハプニングもあって、本当に無鉄砲な事をしたもんだなと今思うけれど。

何かを追うことは、時に無鉄砲な行動を起こさせる。
思いつくがままに行動することは難しく、

安定した生活とはいくらかのあきらめから生まれるのではないかとも思う。


だから、たまには何かを追う旅に出て、衝動が新鮮なうちに行動に移してみるのは、
自身の中にある行動力と遊び心を確認できるいい機会になると思う。
それはきっと自己満足に過ぎないけれど、日々の生活を営む上で

自分の軸を見失わないための基盤となるはず。


残念ながら天気は最悪で、あまりの寒さにトレドのZARAでセーターを9ユーロで

買って着替えたのだけれど、セーターより傘を買えばよかったのかもしれない。

午前から降り始めていた雨は夕刻には大雨。完全に風邪をひいてしまった。


帰国後はマスクをして熱にうなされながら出社するという悲しい結果になってしまった。


けれど、古都で購入した現代社会の大量生産の産物であるZARAのセーターは、

トレドの匂いの詰まった思い出の品となり、冬支度の度に私に語りかけてくれている。


ベルギーでもそういった何か思い出に残るモノをみつけられたらいいな。



ロンドンに来て早くも3か月が過ぎた。

海外で暮らす日々が日常となり始め、身の回りも少し落ち着いた頃に、藤田嗣治の存在を思い出した。
異邦人として生涯をパリに捧げた日本を代表する画家。代表作の一つは「カフェ」。natsuのブログ

「カフェ」に描かれる女性の物憂げな表情、淡い色遣い、そして繊細な筆使いがとても印象的。
藤田は欧米、殊に芸術の都であるパリでの高い評価を得つつも、
日本では彼の奇抜な出で立ちが当時の日本では受け入れられる事もなく、
日本の画壇から冷たい仕打ちを受けていたようだ。


日本での評価を意識し、懸命な努力をしたのだけれど、結局は
自身が自分らしく活躍できる場所、パリに戻っていった。
それは彼が確固たる自分というものをしっかりと確立していたからこそできたのだろうな。

彼には芸術家として人々を魅了する芸術を生み出しているという自信と確固たる名声があったからこそ、自身の力を大いに引き出してくれるパリで人生の大半を過ごす決意ができたのだと思う。


残念ながら、今の私の自己など他者の批評によってあっけなく倒れるほどに弱いのだけれど。


年齢を重ねるごとに今まで経験したことのないことがどんどん巻き起こる。
それは避けようのないことであるし、自身の現状は、他人にとっては
とりとめのない出来事だから、理解を求めるのは賢明だとは思わない。

意欲が増すとき、うまくいかない時、空回りする時。
いろんな時期を含んで人生が成り立つ。


そんな時、かみしめる言葉がある。「自分を支えるのは過去の自分である。」
これは私の言葉ではないのだけれど、私の心を穏やかにしてくれる。


自己満足の域を出ない事は危険だから、他人の評価は必要。
けれど、他人の評価によって倒れそうになる程にしか自己が
確立できていない事も同じくらい危険だと思う。


自身の人生を振り返った時に、その時その一瞬を自身の意志で悔いを残さず
動けているのかが大事だと思う。
自分の意思を貫くことは、他人の批評も生じてくるから勇気を必要とする。
けれど、すべてから評価されなくとも一部でも認めてくれるモノを探す事が
人生の充実につながるんじゃないかなと思う。


私のロンドンでの滞在はとても限られていて、その間に身につけなければいけない事がたくさんある。
思うようにいかなかったりこの街が生活の場になってしまいそうになる時もある。
そんな時こそ、芸術に触れ、芸術家がどういう心境・環境でその作品を生み出したかを考える事で、
自分を見つめ直す事ができるんだと思う。

ロンドンという街は、芸術に触れる機会に溢れた素敵な街。
この街での日常を単なる日常にしないよう、大切に過ごしていけますように!



私の好きな画家、エルグレコ、ゴヤ、ドラクロワ、クリムト、エゴン・シーレ、ミュシャ、マグリット、ダリ。

そこに新たに加わったのがフランシスベーコン。


ロンドンは現代アートの街。なんせパンクを生み出した街だし…。

で、私はというと、現代アートが分からなくて、きっとロンドンのギャラリーは私には合わないと思ってた…。


けれど、先生に連れて行ってもらったTATE BRITAINのパーティーで考えが変わった。


おもしろい!全てを理解することはできないけれど、全ての作品を好きにはなれないけれど、

自分好みの作品がみつけていく楽しさは宝探しのよう!


そしてこの街は、自分の好きなモノがみつかった時にそれを広げていく事が可能性に溢れている。


ずっと気になっていたけれど、まだまだ未知の存在だった、フランシス・ベーコン。

寒い気候の中で重くなってた体に鞭打って、行ってきました。彼の作品を観にテートモダンへ。


natsuのブログ

▲ちなみにこの絵は、テートモダンには無いのだけれど…。


アンバランスで、グロテスクで、写実とは全くかけ離れて、彼独自の視点で人物を描いている。


エルグレコの作品は、人物を縦長くデフォルメして描かれているけれど、

フランシスベーコンの作品は、誰を描いているのか解らない程に崩して描かれている。

人物を外見ではなく 中身に焦点を置いて描かれる彼の作品は、残酷さすら感じる時もあるのだけれど、

時間をかけてじっくり観れば観る程に、新しい理解、発見がある。
一枚の絵なのにまるで難解なフランス映画を観ているような気分にさせられる。


というのは私の意見であって、彼自身の狙いは、「一発で視覚的恐怖を与たい…」
みたいな記事をどこかで読んだけれど…。

スペインのプラド美術館で、彼のエグジビジョンが4月まで開催されている…。
プラド美術館…、私の大好きな美術館…。

ロンドンでのエグジビジョンを逃した私…。
これはもう、スペインまで追いかけるしかないか!