眼鏡が似合わないから、その時代を経験せずにいきなりコンタクト時代に突入した。あれは中学生の頃だった。子供から長年に渡りコンタクトレンズを使用しているのは、私たちが初の世代となるのではないだろうか。それにより目にどんな影響が出てくるのか、これは私たちが初めて体験していくこととなる。
今の段階で既に右目の方が光を感じる力が弱い気がするのだが、眼科の先生に申し出ても何にも対策がないらしい。やはりコンタクトの影響なのであろうか。
しかし、コンタクトレンズを使用しないということは最早不可能だ。生活必需品であるし、もう体の一部となっていると言っても過言ではないだろう。
それでも目の大切さには変わらない訳で。家にいるときは、なるべく眼鏡をかけるようにしている。目にも休息が必要だ。
眼鏡はかけはずしが楽なのだが、見える範囲が限られてくるという難点がある。こちらの動きに、柔軟に追い付いてはくれない。たぶん私の鼻が低いせいであるのだが、すぐずれてしまうのだ。この悩みは私だけなのであろうか。
眼鏡は、コンタクトレンズを使うようになってから初めて購入した。大半の人は逆の流れであると思う。当初はコンタクトだけで過ごしていたのだ。眼鏡の必要さを感じなかった。しかしコンタクトを付けたまま、うっかり寝入ってしまったり。てっきり外したものと思い、重ねて新たなコンタクトを入れてしまったりと。目に負担をかけているんじゃないかと心配になるようなミスを連発するようになり、家では眼鏡で過ごそうと相成った次第である。
早いもので、私の眼鏡人生は今現在三代目を就任している。そして、そろそろ四代目を考えていこうかという時期に差し掛かってきた。
一代目は赤い眼鏡だった。銀の細いフレームが赤くなっている、少し大人っぽい眼鏡だ。今思えばとてもシンプルで、大人しそうな印象である。当初はなかなか感覚が掴めず、其なりに苦労した。嘘みたいであるのだが、自分の開けた扉に本当に眼鏡だけがぶつかってしまうのだ。長年培ってきた感覚は、そう簡単に変えられないということか。自分で意識しないまでも、自分の体の範囲は良く理解しているのであろう。
あれは笑ったなー。
家でしか使わないのだが、そんな思わぬ障害により損傷は絶えない。眼鏡をかけているのを忘れて顔に触ろうとし、指紋をベッタリ付けてしまうことも多々。
視界真っ白ー。
高校生になると、二代目となる青い眼鏡を新調した。太いフレームはクリスタルのように少し透けていて、お洒落な感じの眼鏡だった。高校三年間で、一度だけ眼鏡をして学校に行ったことがある。朝、どうしてもコンタクトレンズが入らなかったのだ。仕方なく青い眼鏡をかけて、恐る恐る教室の扉を開けると…ウワーッと悲鳴に近い歓声があがり、青い眼鏡とは対象に私の顔はみるみる赤くなっていった。
二度と人前で眼鏡はかけるまい。そう心に固く誓った高二の夏であった。
そして現在の三代目眼鏡に至る。かけ出しの頃は急速に視力が衰えていったが、宣告されていた通りある程度いくと落ち着き安定してきた。今のは茶色いフレームで、レンズが大き目にできている。今までで一番お気に入りの眼鏡だ。
ある朝、そんなお気に入りの眼鏡を激しくフッ飛ばしたことがあった。目覚めて一番最初にする行動が眼鏡をかけることである私は、寝起きも相俟って良く見えないまま手探りで眼鏡を探した。
スコーン!
手に当たった眼鏡は遥か彼方へスッ飛んでいった。以来私の眼鏡には、常に指紋を付けているかのような傷がレンズを覆っている。見にくい。傷と認識するまで、眼鏡クリーナーで必死に拭いていた。
あれ?さっきも拭いたよな。
あれ?本当についさっき拭いたよな。
誰か、レンズこう持った?
なんにも不思議なことはない。これは傷だ。そう、あのときのスコーン!大事に扱わないといけないことを、しっかりと忘れないように刻んでくれたんだね。
ありがとう。
大切にするよ。
そんなこんなで、四代目眼鏡を購入しようか思案中。入院とかなったら、コンタクトレンズより絶対眼鏡のが楽だろう。入院中なんて、アクティブなことは何にも出来ないはずだ。人生最後の眼鏡になるかもしれない。どんな眼鏡にしようか。ここは王道の黒渕眼鏡にしとくか。
そういえば、ヒーローも黒い眼鏡をかけてたなぁ。
私の四代目は、黒い眼鏡で決まりっ。
また みつけます。