*日本人の不安と孤独の根本原因1 | *Blay典子の世界日記*

*Blay典子の世界日記*

四半世紀のリゾート暮らしを卒業後、ディープなフランスで生活しています。父が他界した2004年から始めたスピリチュアルな学びや、浮世離れした日常から見えて来た世界、多文化の中で学んだ事、フランスの田舎暮らしなどなど、私の世界のお話を綴っています。

 ディープなフランスからごきげんよう、ドゥミ仙人こと☆Blay典子です。

 

ご縁をいただき、ありがとうございます。

 

早速ですが、本日は前回の

 

 

 

に続き、こちら🔽の動画の考察で

 

 

 

日本人の不安と孤独の根本原因1

 

動画の中で、日本人の不安と孤独の根本的な原因について、とてもわかりやすく解説されています(動画内で話されている順番と、ブログの内容には、多少の前後差があります)。

 

日本人の不安と孤独の根本的な原因とは

 

「家でも学校でも、人生における目的意識を教わっていないこと」

 

 

 

 

目から鱗😵

 

私も、その一人です。

 

私の場合、両親は昭和一桁世代。

 

14、5歳で終戦を迎え、戦争~高度経済成長~バブルと言う激動の時代に、祖父から受け継いだ精肉店を、父がスーパーへと発展させ、夫婦でよく働いた人生を送りました。

 

スーパーが1階にある階上に住まいがあり、両親は揃って忙しく働いていた為、家族仲は良かったけれど、両親と共にした時間は少なかったように思います。

 

母は「うちは放任主義だから」というのが口癖で、勉強にうるさくありませんでした。

 

父もうるさくなく、比較的自由にのびのびとした家庭環境でしたが、父は時々

 

「女は医師や弁護士と結婚するのが一番幸せだ」

 

と、つぶやくように言っていました。

 

目指すのが医師や弁護士の「嫁」はてなマークはてなマーク🙄はてなマークはてなマーク

 

その言葉には疑問しかなかったけれど、面と向かって言われたでも、「なれ真顔」と諭されたわけでもなく、無口な父とは母親経由でやり取りしていたこともあり、それ以上、親から人生の目的について聞くことはありませんでした。

 

姉2人と兄は、それぞれやりたいことを見つけ、姉2人は短大へ、兄は大学へと進学を機に家を出て、少し歳の離れた末っ子の私は、高校に上がる時に一人っ子状態になりました。

 

学校の先生とは「進路相談」はあったものの、それは文字通りの相談で、もちろん(?)人生目的までには至らず。

 

「受験戦争」が年々加熱していく中、いい高校、いい大学合格だけを目指すことが勉強の目的に。

 

「エリートを目指していったい何になる?」という疑問から、勉強する本当の意味が見出せず、拒否反応がいっぱい。

 

受験期にいい相談相手を見つけられず、勉強に身が入らなかった記憶あり。

 

男女雇用機会均等法成立直前、世間では「女子は大卒より短大卒の方が就職に有利」と言われていました。

 

これと言って勉強したいこともなく、とりあえず「短大を出て、2、3年したら結婚?」という、漠然とした未来図を想定のもと、なんとなくきょうだいと同じようなレール上を、「東京には出るな」という当時の彼の言葉だけを聞き、地元の短大になんとなく進む…

 

という、人生の目的を、完全に見失っていた過去を思い出しました。

 

なんとなく彼との結婚を夢見て、やきもち焼きの、しょーもない彼の言葉に従った当時の私は、受験体制に入る精神に、成長できていなかったと言えます。

 

その後も「師」と仰ぎたい人、あるいは「◯◯さんみたいになりたい!」と思わせるような憧れの人との出会いはなく、四十路になるまで、人生の目的を知ることができませんでした。

 

 動画に戻り、川嶋さんは大学受験の為に通った塾で、浜崎さんは大学で、それぞれ人生の師となる方と出会えたおかげで、人生を生きる目的を見出すことができたと仰っています。

 

そして「人生における目的意識を教わらない」原因の原因は60年代(高度経済成長)あたりからの「家庭崩壊」にあると、いくつかの小説を例に挙げ、お話しされています。

 

*1967年「成熟と喪失(江藤淳)」

 

私たちは、まず敗戦で、親を完全に失くした。

 

直立不動の昭和天皇と、リラックスしているが威圧的なマッカーサーの写真は、

 

(画像をお借りしています)

 

国民に「敗戦」を知らしめ、それまで親であった天皇陛下が後退。

 

父がマッカーサーに取って代わった。

 

「あるべき父親はマッカーサー」と、背伸びをし出すも、なれるわけもなく、1952年、マッカーサーはアメリカに帰国、父がいなくなった。

 

母の存在を「伝統や自然=母なる自然、母なる大地」と比喩しているが、高度経済成長が進むにつれ、三世代家族や大家族は、どんどん消え失せ、父親モデルも母親モデルもなくなり、理念的なマッカーサーだけが残った。

 

*同年代に書かれた「抱擁家族(小島信夫)」

 

抱擁とは真反対の、家族を全然抱擁できていない父親が、家庭の崩壊を止めるために出した答えは「アメリカ式セントラルヒーティングの家を小田急線郊外に建てる」ことだった。

 

その後も「家族ゲーム」「岸辺のアルバム」「トパーズ」など、家庭崩壊を題材にした小説が続く。

 

浜崎さんは、家庭崩壊が生み出す悪循環を、以下のように🔽説明されています。

 

家庭が崩壊すると、不安で孤独になる

 🔽

不安で孤独なので、依存先を見つけ出そうとする

 🔽

見つけた一つの根(依存先)に固着して、そこだけで養分を吸い、「孤独じゃない」と慰めて生きようとする

 🔽

一つの根に固執すると、奴隷化する

 🔽

奴隷化すると、思考ができなくなる

 🔽

思考ができないと、正義や真理には辿り着けなくなる

 

この話がとても腑に落ちて、今、日本にある多くの問題が、これだと感じました。

 

というわけで、だいぶ長くなったので、この続きはまた次回👋

 

ですが、最後に少しだけ、父の弁解をさせて下さい。

 

大きな疑問と反感を持った父親のつぶやきでしたが、女性が主婦になるのが当たり前だった時代、人生観を根底から覆される戦争、敗戦を経験し、比較的何があっても揺るがない職業人との結婚こそが娘の幸せと、娘を思う親心からの言葉だったと、今になって想像します。

 

あの時代、こう思った親御さんは多いのではないでしょうか?

 

今回の動画を見ていて、いまだに敗戦を引きずっているんだなぁと、何とも言えない気持ちでいます。

 

それでは、最後の最後に、お祈りです。

 

毎日のたくさんのお力添えとお導き、そしてお守りをありがとうございます。

 

世界の一人でも多く、1日でも早く、平穏無事に過ごせる日が来るよう、最高最善のお力添えとお導き、そしてお守りをお願い致します🙏

 

ではまた次回、A la prochaine !ア・ラ・プろシェンヌ!