荒雄川神社里宮(宮城県大崎市岩出山池月) | 碧風的備忘録

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荒雄川神社(あらおがわじんじゃ) 里宮

 

大崎市岩出山池月に鎮座。

旧名『三十六所明神社』。延喜式内社。

御祭神として水や滝の女神で祓戸大神である瀬織津媛尊

災難除け・病気除けの神である須佐雄尊を祀る。

その他に、近隣地域に祀られていた六社の神社の御祭神である

大国主神・言代主神・大山祇神・軻遇突智神・倉稲魂神・

武甕槌神・経津主神を合祀している。

 


荒雄川神社は、玉造郡に鎮座する延喜式内社三座のうちの一座で、

鬼首の荒雄岳に鎮座する御社を『奥の宮(嶽宮)』と称したのに対し、

岩出山池月に鎮座するこちらの荒雄川神社は『里の宮(里宮)』と

称されていた。

 

延喜式神名帳に記載されている荒雄河神社は荒雄岳の山頂に

鎮座していた嶽宮のこととされているが、国司が参向して

奉幣などの祭典が行われていたのは岩出山池月や鬼首に鎮座する

荒雄川神社里宮であったという。

鬼首に鎮座する荒雄川神社嶽宮。

昔はこちらの荒雄川神社も鬼首口の里宮とされていたようです。

荒雄岳の嶽宮は、明治5年に現在の鎮座地に遷座されました。

 

また、里宮には神宮寺が併設され、地域の信仰の中心となっていた。

荒雄川神社の北西1kmほどの場所にある『上宮自口(じぐち)』には

神宮寺があったとされており、そこから東に600mほどの

丘陵地の中腹下には阿弥陀如来堂があるという。

 

荒雄川神社の御祭神は大物忌神といわれていますが、

以前、宮司さんに伺ったところ、大物忌神は祀られていないそうです。

荒雄川の清らかな流れを司る水神である瀬織津媛尊への畏敬の念と

その流れを穢すことへの禁忌の念から、瀬織津媛尊に

『大物忌神』という尊称を付けたのではないかということでした。

また、荒雄岳には『大物忌石(またの名を大物忌命)』という

霊石があり、そここそがもともとは荒雄川神社嶽宮が鎮座した場所で、

荒雄川の水源となっているということです。

 

荒雄川神社は養老4年(720年)に創建されたとされており、

創建当初は荒雄岳の山上に鎮座し、三十六所明神という名称で

呼ばれていた。

 

前九年の役が起きた頃、安倍一族征討祈願のために、

陸奥守鎮守将軍であった源頼義公は大谷孝任を派遣して

荒雄川神社に代参させ、黄金10枚と黄金造りの太刀を一振り

奉納した。当時の神主である安倍保則の子孫である

安倍式部大輔保時が一月のあいだ祈祷を行ったところ

官軍は大勝利をおさめることができたという。

後三年の役の時にも、源義家公が当社に参拝し戦勝祈願を行った。

 

平泉の藤原秀衡公が鎮守府将軍に任命され、奥羽二州を

所管するようになると、荒雄川神社を奥州の総鎮守社である

『奥州一の宮』と定め、奥羽の総鎮守社には羽黒山を指定した。

そして、荒雄川神社の神主である安倍宿弥時春に

国土安寧・武運長久を祈願させたと伝わっている。

 

その後、大崎氏が志太郡・玉造郡・栗原郡・加美郡・遠田郡を

領地とするようになると、荒雄川神社を『大崎一の宮』と定め、

社領30貫文を寄進し、その他に八幡山を荒雄川神社へ付属させた。

 

伊達政宗公が岩出山城に在城の折には、荒雄川神社を

郡内総鎮守の神社として崇敬し、長床や社領三百文の寄進を受けた。

 

寛保3年(1743年)には、幕命により荒雄川流域に鎮座する

三十六所明神(荒雄川の水神を祀る三十六社の神社)を合祀した。

そのため、藩政時代には『三十六所明神社』と称されており、

社格が他の神社よりも高かったことから、

伊達家から郡内で一番最初にお参りを受ける神社となった。

また、伊達家からは冬至入りの祈祷費用として毎年黄金3両の

寄付を受けていた。

江戸時代には岩出山伊達家の氏神となるなど、荒雄川神社は

明治維新まで伊達家からの篤い崇敬を受けていた。

 

社殿は応安年間(1368年~1374年)に国守により改築され、

文政年間(1818年~1830年)には宮殿・長床や末社の改築が

行われた。

 

御神体は朱塗りの箱に納められており、開帳を禁じられているという。

社殿裏の小山には、往古は奥の院があったと伝わっていて、

社殿の裏手からは、奥の院へ続く朱塗りの橋が架けられていたと

されています。

 

明治維新後には社名を荒雄川神社へ改称し、明治6年5月には

水沢県の治下にある時に郷社に列格された。

その際、三十六所明神の御神影を刻んだ鉄板を御本殿に納めた。

 

明治41年8月には池月字鵙目の南方神社・上羽黒神社、

池月字下宮の気勝神社、池月字上一栗の羽黒神社・愛宕神社・

山神社の六社を合祀している。

 


大崎市岩出山池月に鎮座する、延喜式内社の荒雄川神社里宮です。

 

荒雄川神社は、いっつも大盛況な『道の駅 あ・ら・伊達な道の駅』から

鳴子温泉方面に少し向かった道路沿いに鎮座しています。

神社と社務所前には30台ほどが駐車できる広場があります。

荒雄川神社里宮参道入口。

社号標の右側に駐車場と社務所があります。

 

荒雄川神社里宮の参道と第一鳥居。

 

石階段右手の安産子授さま(産婆)の石像。

 

荒雄川神社里宮参道と第二鳥居。

 

参道左側にある手水舎。

 

荒雄川神社里宮境内。

 

入母屋造の荒雄川神社里宮拝殿。

荒雄川神社は伊達家の氏神とされていたことから、

屋根の部分には、社紋であり伊達家の家紋の一つである

『三つ引両紋』が掲げられています。

 

荒雄川神社里宮拝殿扁額。

扁額には【延喜式内社 荒雄川神社】と書かれています。

 

入母屋造の荒雄川神社里宮御本殿。

御本殿には三十六所明神の御神影が刻まれた鉄板が

祀られているとされています。

 


境内には、天神社と山神社の社殿が参道を挟んで鎮座しています。

 

山神社。祭神は木花咲姫。

縁結びや子授け・安産祈願の女神として信仰されています。

 

天神社。御祭神は菅原道真。

学問の神様として古くから信仰されているとのこと。

 

御本殿裏手には、水神を祀る石碑などがあります。

荒雄川神社里宮御本殿裏手の石祠・石碑。

 

水分神(みくまりのかみ)と馬櫪神の石碑。そして招き猫。

水分神は分水嶺や水源地などを司る神とされており、宮城県だと、

他には遠刈田温泉と蔵王山頂に鎮座する刈田嶺神社の祭神として、

天水分神と国水分神の二柱が祀られています。

 

カエルの石祠。

石祠の中にはカエルに似た形の石をお祀りしています。

宮司さんから以前伺った話では、無事カエル…などの意味を込めて

こちらの石祠でお祀りしているということでした。

 

社殿左手に鎮座する石祠など。

明神さま(氏神さまや稲荷社)などをお祀りしています。

中央の斧と剣を持った御神像は山神様と思われます。

 

荒雄川神社里宮神輿堂。

 

山神社裏手にある『荒雄川神社遺跡』。

約6000年前の縄文時代の遺跡とのことです。

太郎杉という巨大な杉の切り株の跡が残されています。

 


荒雄川神社里宮の御朱印などですが、神社の右手にある

社務所兼宮司さんのお宅でいただくことができます。

荒雄川神社里宮御朱印。

御朱印には【荒雄川神社之印】と書かれています。

御朱印の他には神札や御守などの授与品があります。

 

荒雄川(江合川)の女神を祀る荒雄川神社里宮は、

全国的にも珍しい瀬織津媛尊を祀る神社です。

鳴子温泉や川渡温泉、『道の駅 あ・ら・伊達な道の駅』に

訪れた際には是非参拝してみて下さい。

 


< 地図 >