書きたいところだけ | 戦闘速度でこんにちは

戦闘速度でこんにちは

日々のできごと。
映画、ドラマ、アニメ、ゲーム、漫画、小説。
あとボカロとか。
楽しかったことだけ(笑)。

※ややフィクションです

「悪くないね」
調子はどう? と訊いたわたしに背を向けたまま彼は答えた。
嘘だ、と思う。
今朝まで熱が高かったはずだ。

柔軟をこなした後でゆっくりと立ち上がり、道着の乱れを直し、腰に巻かれた黒帯を締め直しながら深呼吸をする。
帯には彼の名前が刺繍されていた。

他のチームのちょっとごつい選手たちがこちらを見ながら何か話している。
この細い身体であの人たちと闘うのか、と考えると心配で仕方がない。
そんなわたしを振り返りながら「じゃ、行ってくる」と言って軽く手を振り彼は現役最後の試合会場へと消えて行った。

振り返ったときわたしに見せた表情を今でも覚えている。
笑っていた。
瞳に宿っている不思議な光。それは自信なのか、喜びなのか、あるいはもっと別の何かなのか。

全身全霊を以って取り組んできた何かが仕上げの段階まで来たとき、人間はこんな顔をするのだろう。

わたしは彼の選択を間違いだとは思っていない。けれども彼には他の選択肢もあったのではないか、そんな気がしてならない。
そう考えるときはいつも思い出す。
彼女と、彼女が共にいた日々を。

緒戦。
団体戦での彼は中堅だった。伝統空手のルールは知らないし実際に選手の動きが速過ぎて何がなんだかわからないのだが、先鋒が辛勝、次鋒が善戦できずに終わり、1-1となっている。流れは相手のチームに傾いているというのが素人目にも判断できた。

彼の身長は小さくはないが大きくもない。相手は彼より縦にも横にも大きかった。
応援席にいるコーチやOB、チームメイトが不安そうな表情をしている。理由は解っている。1年生などはわたしと一緒で、彼の公式戦を見るのも初めてだろう。

名前を呼ばれ、彼が立ち上がる。相手も立ち上がる。一礼をしてコートに入り、開始線で互いに一礼。怒号のような応援が始まった。期待と不安が混在した声で彼の名前を叫んでいる。
あの華奢で穏やかな彼に、先鋒や次鋒以上の闘いができるのか。

審判の合図と同時に二人が構えた。相手は声をあげたが彼は静かにステップを踏み始めた。先程までの試合と比べると選手同士の距離が極端に離れて見える。

彼は右利きで、左足と左手が前に出ているが相手は逆。サウスポーというやつだ。日常とは異なりスポーツでは左利きが有利な気がする。ますます心配になる。

睨み合っていたのは数秒だったと思う。
相手が少し、ほんの少しだけ距離を詰めた刹那。
彼が矢を放った!

…ように見えた。
胸元で何かが爆発を起こしたかのように相手の身体が後方へ弾け、たたらを踏み、床に手をついた。彼はその様を何事もなかったかのように見下ろしていた。審判が二人の間に慌てて割って入り「やめ!」と叫んだ。
一瞬静まり返った応援席から歓喜の声が、周囲から感嘆の声があがる。先程までとは明らかに次元が違う。
あまりの鮮烈な光景に、全ての音が遅れて来たかのようだ。
一撃でこの騒ぎだ。
肌が粟立つ。

彼にポイントが入る。爆発的な踏み込みで一気に間合いを潰し、右の上段突きを撃ち込んだらしい。4ポイント先取すれば勝ちだ。1ポイントでも先行すればカウンター待ちなどの戦法を使うのが定石と誰かが言ったが、彼はそうしなかった。
再開後、相手に考える余裕すら与えず同じ技で秒殺したのだ。
圧倒的だった。

この1勝がチームの、応援席の、会場の雰囲気を変えた。チームは勢いを取り戻し、4ー1で勝利。
退場のとき、彼が応援席に向かって会釈した。

応援席のみんなが口々に彼について語る。
リーサルウェポンの完全復活とか起死回生の切り札とか、あんなに強かったんですか、という1年生もいて、馬鹿おまえブッ殺されるぞ、と上級生に叱られていた。大会に間に合ってよかった、と言う人もいた。

わたしはただ呆然としていた。
わたしの知らない彼がいる。
これが、彼の選択した答え。
彼女との約束を長い間守り続けてきた結果なのだ、と。

彼は、彼の持っていた可能性の中から、一番不向きであろう「闘う」という道を選んで、ずっと、ずっと、闘い続けてきたんだ。

そして、OBのひとりが言った言葉がわたしを現実へと引き戻した。
「休部前よりキレキレじゃねーか。アイツ本当に病人なのか」

おわり
あるいはつづく