-- 病んでる病んでると思ってきたけど近頃の病みっぷりは予想以上だ諦めないと受け入れないとこのままでは ツブレルなんてことのない日常なんてことのない"たくさん"なんてことのない人の言葉なんてことのない 世界空白を 作ってしまう見栄えではなく言葉が消えていく鳴り止まない耳鳴りと視界の不明瞭さ正常時の2倍以上の速さで叩く心拍数脈打つ度に鈍く頭が痛む無表情と無関心はデフォルトだけどこんなに、無理やり笑っていただろうか?わからないからもういっか
一年が過ぎた。 あっという間だ。一日一日の中で思うことも感動していたこともあっという間だ。すべてが過去になる。言い表せられないこの焦燥感。絶望的なほど遠い。別に戻りたいとかはない。この一年いろいろあった。善いことも悪いことも。過ぎていく物事がどうしていいかわからない。きっと私も風景になりたいのだ。
Notitle 全ての感情が、自分が持つ全ての感情が、自分を取り巻く全ての感情が、煩わしくて憂鬱そんな風に考えてても、私は人間が、愛しくて、でも嫌いで、そう思うことすら、憂鬱の根源無関心では、いられないでも、その感情は必要なのか。ただひたすら戯れ言鼻先で笑っていても、希死念慮は薄まらないそれでも生きていくべきで、生きるを辞めてはいけないひとりの命がどれだけたくさんに関わるか、知ってしまったから自然発生的に失せなければ、意味がないのだ。死には希望はない絶望もないそれなのにそれを望むのは、見当違いなのだ。死んでも楽にならないよこの感情は永遠に消えられないのだから。簡単に死にいくやつは、悩みがあろうとなかろうと、むかつく。だから父も、人の感情を揺さぶるだけ揺さぶって砂になるなんてゆるさないおとうさんあなたはさいごまでにげたんですねこんなにわたしは生きているのに。本当に、だいきらいばか…
人は 1か0にしかなれない。 でも仮に0になったとしても それは物質上の話で 形が変わっても残るから 完全に0にはならない 実は今実家に帰ってます。 急遽。 詳しくはちょっと 此処では言えないけど 察してください← 帰ってから忙しくなりそうだ…
なんつか正直な話。僕はどっちかっていうと死にたがりなんだと思う。正直な話、生きてるのは苦痛。…というよりは生きることで負う全てが生きてるのを体感させている事実が、根源的に苦痛。自分が持ってる全ての感情が、煩わしいと思う。この世の全てが、生きていることを誇張する。きっと昨日までも今日も明日も明後日も私は私を赦すことが出来ないんだと思う。だからと言って死にたいとは思えない。だってその衝動こそ、生きてる証に他ならないから。だってね今此処に存在しているということを誇張するだけなんだよ。世界中にひとりしかいないであろう自分という存在が、存在してしまうことが苦痛。どうせ死ぬつもりなら、この世界中に自分という軌跡が何一つ残らないように死にたいんだ。そうでないとこの苦しみはなくならない。でもそれは出来ない。この灯火を消したところで全てが無になるかと問われればそれはノーだ。既に存在しているものは、その意志に関わらず何かしら残すものだから。それに残ってしまうものはしょうがないのだ。それを嘆いた所で、この残骸は朽ちたように見えても、形を変えただけで残ってしまうことが分かっているしそんな感情を抱いた所で消せないなら残すしかない。存在は有にはなっても無にはなれない。残せば残るように出来てるから。でも。いつかこの感情ごと消し去る術を人間が進化の過程で見出だしたとしてもそれは復旧しないで欲しい。こんな感情は、若さ故の愚かしさなのだから。いつか、生きてしまう自分を赦せるような自分でいたい。そんな日は来ないかも知れないけれど。
おとなしくおとなに 争いを生むために言葉を紡ぐのは妥当ではないと知りながら、争いを望んでいるかの如く、食って掛かる。当たり前のように誰もが仲良くなんて世界は存在しないし、そうで在りたいとは思いはする反面、感情をいくら殺したところで心底で燻り出したその思いはいずれ火種になって誰かの心を食らうのだろう。愚かで眩しい人の性故。その本質には誰も抗えない。いつか諦めてその感情を忘れたって、いつかはその感情に押し流されて見失うのだ。本能と情動と理性の狭間で大人になるのだ。葛藤すら呑み込んで、大人になるのだ。まっぴら御免だけどね。歌を捨ててしまいたい。観る側でいたい。そしたらもっと無責任に平和を謳えるだろう。それこそまっぴら御免だけどね。口はは災いの元。にっこり笑ってお口にチャック。そうやって大人しく大人を演じてみようかな。なんて。
― 視覚で捉えられる情報には限りがあって且つそれらを統合する脳が勝手に制御しようとすることで我々は日常を生きていけているような気がする。なんつーのかな、やっぱあれだよね、世の中には気付かない方が幸せなことが腐るほどあって、確かに賢く生きることも重要だけど、何処かしらで鈍感でいないといけないもんなんだと思うのですよ。霊感とかその類じゃないかな。こちら側が認知出来ていることを向こうに悟られると、厄介事が増えるという面ではさ。なんというか、最近ふと見る世界にズレを感じるのよね。もしかしたらあれか、第三の目とか開眼するのかな←まぁそんな冗談はさておきwホントにさ完全に狂えないならいっそ普通とやらになりたいよ。この目を潰して赤い涙を流したとて、この耳を潰して静寂を手に入れたとて、この口を裂いて沈黙になったとて、それはきっと叶わないんだと思うけど。それならせめてもっと歪んだ真っ直ぐさが欲しい。生きていかなきゃいけないならニヒルな微笑すら温かいと思わせるほどのそんな歪んだ真っ直ぐさが。なんて、ね。
いきをころして いきをころしてこころころしてうつむきあるいてつまずいたあっけないもんさわたしのなかからあんたがきえちまうくらいあっけないもんさけむりくゆらしすがたくらましだれかにみつかってにがわらいかたちをのこすのはそれはもうわたしをころせないってことしかたがないねいきをころすぜつぼうときぼうをころすそのためのこうい
たくさんのなかのたくさん 今日は歩いてバイト先に行った風が強くてでもまだ日差しがあって温かい日だ木枯らしのなか歩くのはなんとなく気持ちが良いだけど不意に掠める。たくさんのなかのたくさん沢山の中の沢山個々としては確かに存在するのに、同種というだけで“たくさん”と呼んでしまうそれはつまりアイデンティティーの否定だけど世界には“たくさん”が溢れてるあの川もあの鳥も木枯らしも風も人も世界すら“たくさん”の中にあるたったひとつの“たくさん”でしかないってことを考えてしまうと本当に気が狂いそうになる風に吹かれてゆらゆら歩いたってそんな“たくさん”は簡単に消えられないんだってさとか考えながら色々噛み殺してゆらり吹かれながらバイトに向かう。ダメだね、変に余裕持って出ちゃうと(笑)空っぽのままゆらゆら歩いて生きていけたらどんなに楽だろう。なんてね。超センチメンタル(笑)