病んでる病んでる
と思ってきたけど

近頃の病みっぷりは予想以上だ

諦めないと
受け入れないと





このままでは
  ツブレル





なんてことのない日常

なんてことのない"たくさん"

なんてことのない人の言葉

なんてことのない 世界




















空白を 作ってしまう

見栄えではなく
言葉が消えていく



鳴り止まない耳鳴りと
視界の不明瞭さ
正常時の2倍以上の速さで叩く心拍数
脈打つ度に鈍く頭が痛む
















無表情と無関心はデフォルトだけど

こんなに、無理やり笑っていただろうか
































わからないから

もういっか
 
あっという間だ。

一日一日の中で思うことも
感動していたことも
あっという間だ。



すべてが過去になる。



言い表せられないこの焦燥感。
絶望的なほど遠い。



別に戻りたいとかはない。

この一年いろいろあった。
善いことも悪いことも。





過ぎていく物事が
どうしていいかわからない。



きっと私も風景になりたいのだ。

 



全ての感情が、

自分が持つ全ての感情が、

自分を取り巻く全ての感情が、

煩わしくて

憂鬱











そんな風に考えてても、

私は人間が、愛しくて、でも嫌いで、

そう思うことすら、

憂鬱の根源



無関心では、いられない



でも、その感情は必要なのか。







ただひたすら戯れ言











鼻先で笑っていても、

希死念慮は薄まらない



それでも生きていくべきで、

生きるを辞めてはいけない







ひとりの命がどれだけたくさんに関わるか、知ってしまったから

自然発生的に失せなければ、意味がないのだ。







死には希望はない

絶望もない



それなのにそれを望むのは、

見当違いなのだ。



































死んでも楽にならないよ

この感情は永遠に消えられないのだから。





































簡単に死にいくやつは、

悩みがあろうとなかろうと、

むかつく。







だから父も、





































人の感情を揺さぶるだけ

揺さぶって

砂になるなんて





































ゆるさない





























































おとうさん

あなたはさいごまでにげたんですね











こんなにわたしは

生きているのに。











本当に、だいきらい

















































ばか…



1か0にしかなれない。



でも仮に0になったとしても
それは物質上の話で
形が変わっても残るから
完全に0にはならない












実は今実家に帰ってます。
急遽。

詳しくはちょっと
此処では言えないけど

察してください←





帰ってから忙しくなりそうだ…

正直な話。
僕はどっちかっていうと死にたがりなんだと思う。


正直な話、
生きてるのは苦痛。
…というよりは
生きることで負う全てが
生きてるのを体感させている事実が、根源的に苦痛。

自分が持ってる全ての感情が、煩わしいと思う。

この世の全てが、
生きていることを誇張する。

きっと昨日までも今日も
明日も明後日も
私は私を赦すことが出来ないんだと思う。



だからと言って
死にたいとは思えない。

だってその衝動こそ、
生きてる証に他ならないから。



だってね
今此処に存在しているということを
誇張するだけなんだよ。



世界中にひとりしかいないであろう自分という存在が、存在してしまうことが苦痛。


どうせ死ぬつもりなら、この世界中に自分という軌跡が何一つ残らないように死にたいんだ。


そうでないとこの苦しみはなくならない。





でもそれは出来ない。
この灯火を消したところで
全てが無になるかと問われれば
それはノーだ。



既に存在しているものは、
その意志に関わらず何かしら残すものだから。



それに残ってしまうものはしょうがないのだ。
それを嘆いた所で、
この残骸は朽ちたように見えても、形を変えただけで残ってしまうことが分かっているし
そんな感情を抱いた所で消せないなら残すしかない。


存在は
有にはなっても無にはなれない。
残せば残るように出来てるから。









でも。
いつかこの感情ごと消し去る術を人間が進化の過程で見出だしたとしても
それは復旧しないで欲しい。



こんな感情は、若さ故の愚かしさなのだから。



いつか、
生きてしまう自分を赦せるような自分でいたい。








そんな日は来ないかも知れないけれど。
 
この世界は明らかに

あちら側



こちら側

に分かれているんだ





僕はどちら側にいるのかな





出来れば

こちら側

でありたいよ





だけど

願いをひとつ溢して

たくさんに埋もれていくのだ


 
 

争いを生むために言葉を紡ぐのは妥当ではないと知りながら、
争いを望んでいるかの如く、
食って掛かる。



当たり前のように誰もが仲良くなんて世界は存在しないし、そうで在りたいとは思いはする反面、
感情をいくら殺したところで心底で燻り出したその思いはいずれ火種になって誰かの心を食らうのだろう。



愚かで眩しい人の性故。
その本質には誰も抗えない。



いつか諦めてその感情を忘れたって、いつかはその感情に押し流されて見失うのだ。


本能と情動と理性の狭間で大人になるのだ。
葛藤すら呑み込んで、大人になるのだ。
















まっぴら御免だけどね。




















歌を捨ててしまいたい。


観る側でいたい。


そしたらもっと無責任に平和を謳えるだろう。

















それこそまっぴら御免だけどね。

口はは災いの元。
にっこり笑ってお口にチャック。





そうやって大人しく大人を演じてみようかな。
なんて。
 

視覚で捉えられる情報には限りがあって
且つそれらを統合する脳が勝手に制御しようとすることで
我々は日常を生きていけているような気がする。



なんつーのかな、
やっぱあれだよね、
世の中には気付かない方が幸せなことが腐るほどあって、
確かに賢く生きることも重要だけど、
何処かしらで鈍感でいないといけないもんなんだと思うのですよ。



霊感とかその類じゃないかな。
こちら側が認知出来ていることを向こうに悟られると、厄介事が増えるという面ではさ。








なんというか、
最近ふと見る世界にズレを感じるのよね。



もしかしたらあれか、
第三の目とか開眼するのかな←




まぁそんな冗談はさておきw


ホントにさ

完全に狂えないなら
いっそ
普通とやらになりたいよ。


この目を潰して
赤い涙を流したとて、
この耳を潰して
静寂を手に入れたとて、
この口を裂いて
沈黙になったとて、

それはきっと叶わないんだと思うけど。






それならせめて
もっと歪んだ真っ直ぐさが欲しい。



生きていかなきゃいけないなら
ニヒルな微笑すら
温かいと思わせるほどの
そんな歪んだ真っ直ぐさが。








なんて、ね。

 
いきをころして
こころころして
うつむきあるいて
つまずいた

あっけないもんさ
わたしのなかからあんたがきえちまうくらい
あっけないもんさ

けむりくゆらし
すがたくらまし
だれかにみつかって
にがわらい



かたちをのこすのは
それはもう
わたしをころせないってこと
しかたがないね







いきをころす
ぜつぼうときぼうをころす
そのためのこうい

 
今日は歩いてバイト先に行った

風が強くて
でもまだ日差しがあって
温かい日だ


木枯らしのなか歩くのは
なんとなく気持ちが良い





だけど不意に掠める。

たくさんのなかのたくさん

沢山の中の沢山





個々としては確かに存在するのに、同種というだけで“たくさん”と呼んでしまう

それはつまり
アイデンティティーの否定






だけど世界には
“たくさん”が溢れてる

あの川もあの鳥も木枯らしも風も人も世界すら

“たくさん”の中にある







たったひとつの“たくさん”でしかないってことを考えてしまうと

本当に気が狂いそうになる







風に吹かれてゆらゆら歩いたって
そんな“たくさん”は
簡単に消えられないんだってさ







とか考えながら色々噛み殺して
ゆらり吹かれながらバイトに向かう。


ダメだね、
変に余裕持って出ちゃうと(笑)



空っぽのまま
ゆらゆら歩いて
生きていけたら
どんなに楽だろう。







なんてね。
超センチメンタル(笑)