先の記事からの続きです。
これだけいろいろ書いた後になんですが、5/6ソワレのカテコで洋二郎さんが「何かを伝えようなんて思ってない。どう感じたかを教えてほしい」みたいな事をおっしゃっていたかと思います。
その発言を正解があるわけじゃないから感想を聞かせてほしいって事なんだと解釈したので、いろいろうがって考えたことも書いてみます。
書いている本人がだいぶ迷子になっているので、寛大な気持ちで読んでもらえたらなと思います。
西田さんのTwitter発言(https://twitter.com/tonobiyori )も追いながらふと思ったんだけど、行動の意味よりそれに至った感情に意味があるのかも。
奇妙な連帯感というのは劇場に足を運んで観劇することに近いような気がする。
5/6ソワレのカテコで西田さんが「本当に上質な空間を作るには役者もスタッフも失礼ながら観客の皆様も追い込まないといけない」「観客も共犯者」と言うような発言をしてました。
「上質な空間」っていうのは、観劇していてたまに「感じる熱量が違う」という状態の事?
書いているうちにぼんやり思ったんだけど、これRKRS(*pnish*プロデュース「radio killed the radio star」)とか「ジッパー!」(浅沼晋太郎さん脚本)とかと近い気がする。
ものすごく今更ですが、RSRKって個人が感想をブログとかで書いて拡散することによって本当に怖くなるんだと思う。これは四谷怪談も同じ。
感想を検索してみると物語の整合性の甘さとか目の前で起こる惨劇に対する嫌悪とかでイラッとしているタイプと、いろいろ考察したりして素晴らしかった!というタイプがあるのも似てる。
ほんと西田さんと浅沼さんは作品のタイプは全く似てないのに変なとこが似てる気がする(笑)
いつかラグサンの第2弾もしくは再演を期待してます。
それはさておき。
いろんなものを観てきて思うに、観客の心理を操作するには笑いでガードを緩めるか、極端な緊張状態をガツンとかますかっていうのがあって、ジッパー!が前者、RKRSと四谷怪談は後者にあてはまる。
舞台はナマモノで、観客はその空間を構成する要素の一つだと思っています。
最近は配信やらDVDやらでも見られるけれど、劇場で観ることとはやっぱり違う。
観客同士の連帯感とか舞台上と客席の間で反応が連鎖している感じが観劇の醍醐味で、劇場に足を運ぶ意義なのかも。
西田さんの物語は投げっぱなしだと思ってたけど、舞台を通して投げられてたのに返してないのは自分だったのかもしれない。
舞台に立つ人たちの覚悟を観客としてきちんと受け止めているだろうかということもちょっと考えさせられた。
「本当に怖いもの」は人間?と書いたけど、それを上回る恐怖はみてもらえない事かもしれない。
事件だろうがオカルトだろうが、誰かがみて語るからこそ怖いのであって、まるで無かったことにされることほど恐ろしい事はないんじゃないだろうか。
実は6日観劇後からずっと書いては消しを繰り返してました。
そして最終的にしっくりきた文で感想を締めたいと思います。
私にとって四谷怪談は「繰り広げられる悲劇を透かして舞台を創ることの覚悟とか観客の残酷さとかを見せつけられて、それでもなおそこに美しいものを見つける物語」
でした。
これだけいろいろ書いた後になんですが、5/6ソワレのカテコで洋二郎さんが「何かを伝えようなんて思ってない。どう感じたかを教えてほしい」みたいな事をおっしゃっていたかと思います。
その発言を正解があるわけじゃないから感想を聞かせてほしいって事なんだと解釈したので、いろいろうがって考えたことも書いてみます。
書いている本人がだいぶ迷子になっているので、寛大な気持ちで読んでもらえたらなと思います。
西田さんのTwitter発言(https://twitter.com/tonobiyori )も追いながらふと思ったんだけど、行動の意味よりそれに至った感情に意味があるのかも。
奇妙な連帯感というのは劇場に足を運んで観劇することに近いような気がする。
5/6ソワレのカテコで西田さんが「本当に上質な空間を作るには役者もスタッフも失礼ながら観客の皆様も追い込まないといけない」「観客も共犯者」と言うような発言をしてました。
「上質な空間」っていうのは、観劇していてたまに「感じる熱量が違う」という状態の事?
書いているうちにぼんやり思ったんだけど、これRKRS(*pnish*プロデュース「radio killed the radio star」)とか「ジッパー!」(浅沼晋太郎さん脚本)とかと近い気がする。
ものすごく今更ですが、RSRKって個人が感想をブログとかで書いて拡散することによって本当に怖くなるんだと思う。これは四谷怪談も同じ。
感想を検索してみると物語の整合性の甘さとか目の前で起こる惨劇に対する嫌悪とかでイラッとしているタイプと、いろいろ考察したりして素晴らしかった!というタイプがあるのも似てる。
ほんと西田さんと浅沼さんは作品のタイプは全く似てないのに変なとこが似てる気がする(笑)
いつかラグサンの第2弾もしくは再演を期待してます。
それはさておき。
いろんなものを観てきて思うに、観客の心理を操作するには笑いでガードを緩めるか、極端な緊張状態をガツンとかますかっていうのがあって、ジッパー!が前者、RKRSと四谷怪談は後者にあてはまる。
舞台はナマモノで、観客はその空間を構成する要素の一つだと思っています。
最近は配信やらDVDやらでも見られるけれど、劇場で観ることとはやっぱり違う。
観客同士の連帯感とか舞台上と客席の間で反応が連鎖している感じが観劇の醍醐味で、劇場に足を運ぶ意義なのかも。
西田さんの物語は投げっぱなしだと思ってたけど、舞台を通して投げられてたのに返してないのは自分だったのかもしれない。
舞台に立つ人たちの覚悟を観客としてきちんと受け止めているだろうかということもちょっと考えさせられた。
「本当に怖いもの」は人間?と書いたけど、それを上回る恐怖はみてもらえない事かもしれない。
事件だろうがオカルトだろうが、誰かがみて語るからこそ怖いのであって、まるで無かったことにされることほど恐ろしい事はないんじゃないだろうか。
実は6日観劇後からずっと書いては消しを繰り返してました。
そして最終的にしっくりきた文で感想を締めたいと思います。
私にとって四谷怪談は「繰り広げられる悲劇を透かして舞台を創ることの覚悟とか観客の残酷さとかを見せつけられて、それでもなおそこに美しいものを見つける物語」
でした。