先日、ある会議に出ていたときのことです。

 

私が何かを発言しようとした、まさにその瞬間。

 年上の男性の一言で、言葉を出す前に止められてしまいました。

 

「まあまあ」「それはいいから」

 

たったそれだけの言葉で、私が言おうとしていたことは、 

まるで最初からなかったことのように扱われてしまったのです。

 

実は、こういう経験は、これが初めてではありません。 

これまでにも、似たような場面に何度か出会ってきました。

 

若い頃の私は、そのたびに強い怒りを覚えていました。 

「馬鹿にされた」「軽く見られている」

 そう感じて、悔しさと屈辱で胸がざわつく。そんな感覚を、よく覚えています。

 

けれど、先日の会議でのことです。 

また同じように発言を遮られたそのとき、 

それまでとは違う考えが、ふと心に浮かびました。

 

「この人は、私が言うことを恐れているんだな」

 

そう思い当たった瞬間、あれほど強かった怒りの温度が、 

すっと下がっていくのを感じたのです。

 


遮る人は、なぜ遮るのか

考えてみれば、発言する前から言葉を封じようとする態度は、 

自信のある人が取る行動ではありません。

本当に余裕がある人は、相手の発言をまず聞きます。 

反論があれば、聞いたうえで返せばいい。それができるはずです。

 

にもかかわらず、内容を聞く前に止めようとするのは—— 

 

「聞いたら、自分の立場が揺らぐかもしれない」 

「反論できないかもしれない」 

 

そんな、言葉にならない不安が、

先回りして出ているのではないでしょうか。

 

つまり、発言を制止するという行為そのものが、

 その人の内側にある小さな怯えの表れなのです。

 


怒りに振り回されないために

もちろん、これは「相手を許しましょう」という話ではありません。 

不当に発言を封じられたことに怒りを感じるのは、自然なことです。 

その怒りを否定する必要はありません。

 

ただ、「馬鹿にされた」という物語のまま怒りを抱え続けるのと、 

「この人は、私を恐れているのかもしれない」という視点を持つのとでは、 

その後の自分の心の使い方が、まったく違ってきます。

 

前者は、自分を小さくする物語です。 

後者は、状況を少し離れた場所から眺め直す視点です。

 

同じ出来事でも、どの物語として受け取るかによって、 

その後に残るものが変わってくる—— 

これは、これまで多くの方の心と向き合ってきた中で、繰り返し感じてきたことでもあります。

 


もし、あなたにも似た経験があるなら

会議の場に限らず、家庭でも、友人関係でも、 

発言を頭ごなしに遮られる場面は、誰にでもあるかもしれません。

 

そんなとき、湧き上がる怒りをただ抱え込むのではなく、 

「もしかしたら、この人は私が言うことを恐れているのかもしれない」

 と、心の中でそっと置き換えてみてください。

 

それだけで、感情に振り回される時間が、少し短くなるはずです。

あなたの言葉には、本来、遮られるいわれはありません。

 恐れているのは、いつも、聞く側なのですから。

 


もし、同じような場面を思い出すたびに、 

怒りや悔しさがなかなか手放せずにいる、

という方がいらっしゃいましたら。

 

その感情の奥には、もう少し違う物語が隠れていることも多くあります。 

おひとりで抱え込まず、一度、心の状態を整理してみませんか。

 

セッションでは、そうした出来事の奥にある感情や思考のクセを、 

ゆっくりと紐解いていくお手伝いをしています。 

ご興味のある方は、お気軽にメッセージやコメントでお声がけください。