今週のananに

キヨさんがデカデカと

載っておりまして

(ふといま気付いたけど

キヨさんが表紙のバージョンは

売り切れなのか置かれてなかった)

あーこんなお姿してましたっけと

思いながら

キヨさんの動画を観るきっかけになった

昔の人生ゲームの実況動画を

久々に観て、久々にくっそ吹いてた。

 

 

 

 

会社員時代にいくつか動画を観てて

とにかくおもしろくて

自然と吹いてしまうところが

たくさんあった。

 

 

 

僕はなんだかんだ言って

おもろくいられるか?

というか

楽しんで笑っていられるか?

これが結構大事なんだってことを

実感するようになった。

 

 

 

笑いを忘れてるときって

人生をネガティブに

捉えてる時間が増えてて

ちょっとしたことでも

しんどさを感じやすく

なっているような気がしてる。

 

 

 

僕にとっての

笑いたいときに観るものとして

この何年かは

キヨさんの動画が傍にあった気がする。

 

 

 

とりあえず

人生ゲームの後に観てたものとして

久々にProject Makeoverの動画が

最近公開されていたらしく

こちらもまた一から観てみようと思えてきた。

 

 

 

やっぱりというか

キヨさんの動画って

僕は腹が痛くなるくらい、

ってのを超えて

涙が出るくらい

笑える部類に入っている。

 

 

 

会社員を辞める前の時期は

毎月すったもんだ

ぐるぐる考えることとか

多かったけれど

いつもどこかしらのタイミングで

キヨさんの動画に

とても救われていた。

 

 

 

改めて、あの頃好きだった動画や

気になった動画を観てみたい。

 

どんな状況でも飛び出してくる

絶妙なツッコミは、

何もかもを楽しんでて

その楽しさに観てるこっちも

笑ってしまう。

 

 

 

なんていうか、

動画を観ることによる笑いって

受動的な面が強いと思うんだけど

キヨさんの実況って

キヨさんの後ろから

プレイ風景を観てるような

親しみやすさに溢れてて

気付いたら巻き込まれてるおもろさなのだ。

 

 

 

つい、この空気感を体感したくて

また次の動画をポチッと押してしまう。

 

あー、楽しい。

とりあえず、時間を決めて

しばらく観ていこうと思ってる。

 

 


2024.10.03
(C)Aoi Tact

 

 

 

ここ最近、
ナンプレにハマり直している。
数独って表現が
しっくり来る人もいるのかな。



人におすすめし始めてから
自分でも楽しくなってきて
百均のドリルを少しずつ
買っては解いてる毎日だ。



正直、上級編とか、難問とか、
テクニックを必要とすることが
増えてくる状況については
まだまだ対処しきれないって思ってる。
し、初中級編的な問題を
ひたすら解いているのが楽しい。



時には脳にも
負荷をかけたほうがいいんだろうけど
過度な負荷はストレスになるから
10分前後で1問解けるような
そのくらいの難易度がとても心地良い。



僕はナンプレを解くときに
結構意識してみたら
なんだかいい感じになってきてることを
さらにおすすめしてみると

「ナンプレを解くときに悩む」
それ以外のタイミングでは
極力悩まないようにしてみたのだ。



すると、不思議なことに、
少し悩んで、
その場では解決しきれずに
モヤモヤ考えてることがあったとして、
ナンプレを解いてたら、
「なんかこうすればいいんじゃね?」
ってことが思い浮かんできた。



なんてことがあったり、
もうなんか、目的と手段が
逆になってるような気もするけど
「モヤモヤするからナンプレしよう」
みたいな形で
悩み始めて長引く前に
ナンプレを挟むようになった。

すると、なんでかその悩み自体が
1問解き終わる頃には
どうでもよくなってたり
やっぱりこうしたほうがいいよな、
こうしてみようかな、
みたいな案もどんどん出てきて

早い時には、
解いてる最中に、
何かが繋がったような感覚が湧いて
ナンプレを中断して対処する
みたいなことも起き始めているw



ネットにも、
無料で問題提供してるサイトが
たくさんあるんだけど
僕は解きたいときにさっと解ける
ってスタイルが合ってるみたいで
しばらくは紙の問題集片手に
ナンプレを解き続ける日々を
過ごしてみようと思う。



9✕9マスの数字の世界で
縦横被らずに、そこにあるべき数字を
ひたすら探していくゲーム。
よかったらあなたもぜひに。

 


2024.10.02
(C)Aoi Tact

 

 

 

別名義でほとんど毎日
ブログを書いていて
このエッセイが
365通り続くということを
失念しまくり
すっかり10月になってしまった。



って、9月末あたりにも
ちょっとやべーな
とか思ってたのに
結局10月に入って
やっとこちらも書き始めている。



(注:一応、来年1月までに
365通り二周目を
書き上げている予定だ)
(半分いけば
いいほうになってないか。。?)



この半年ちょいくらいの間に
書く習慣というのは
戻ってきたなと思ってて、
たぶんブログ上をメインに
更新していくうえでの
文体的なものも
定着してきた。



これは、とある経営者の方で
激推しくんの方の文章を
読んだりデジタル写経してるうちに
身についてきてしまって、
逆にここから外れた
文章というものを
見てると違和感に感じてきた。
(うん、僕の昔の更新とかな)



でもそうやって、
文章の書き方も日々変わるし
考えてることも日々変わる。

いま僕はそれを
久々にこのアカウントに
ログインしてみて
二、三書いてたものを
読み返してみて
これまでの何ヶ月かを振り返って
めっちゃ感じてる。



それらを書いていくかは
分からないけど
しばらくはこのエッセイを
もくもくと書き始めるターンも
始めていきます。



ねえ、ほんとにいま21なの?
210の間違いじゃないの??



2024.10.01
(C)Aoi Tact

 

 

 

思えば社会人になって間もなくあたりのことだった。

学生時代の僕は、とにかく本を読んでることが好きで。書くことも好きで。

「なんのために読んでるの?ただ読んだ本の数を増やしていくためだけに読んでいるの?」

って、当時の担任にも聞かれたことがあったりしたんだけど、ただ文字を追いかけて、紙の本に触れることが好きで、読んだ分だけ思い浮かぶ文字の集合体を書いて、世にまた送り出す行為がただ好きだった。

(本を読んでの感想を答えよ、の、内容があまりに薄かったのか、なんのために読んでるの?読んでどう感じたかとか考えないの?みたいな感じで突っ込まれたように記憶している)

(感想を書くというのも当時からやっていたはずなんだけど。その数年後とかからだったかしらん)

 

で、思えば社会人になって間もなくあたりのことだった。

僕の読書量は激減して、創作で書く量も激減した。

仕事を覚えなければいけない、仕事で必要な知識を覚えないといけない、というのもあったけど、今思うとこれがなんでだったか分かるような気がしている。

「金にならない趣味は虚しい」っていうのも、正直どこかであった。あれれ作家志望のはずだったのに初心どこ行った。

ちなみに『僕が生み出すものは金にならない』とか思い込んでる時点で金にならない現実が来る。そういうことなので、『僕が生み出すものは大金を呼ぶ』とかってマインドセットに変えたほうがよき。ね?過去の自分よ。 

で、それはちょっと置いといて、読書量や創作量が激減したのは、「遊んでたらいけない」「好きなことやってたらいけない」みたいな見えない制限が、少しずつかかり始めていたからだ。

正確には、かかり始めたというか、「自分でかけ始めていた」ことに気付いていなかった。

僕は結構自由人で、時間に縛られるのは苦手だ。ちょこちょこイレギュラーな用事や出勤の変更などがあると、ちょこちょこ遅刻したり、休みを勘違いしたり、近年ではMTGをすっかり忘れて休憩に入ったり、そういうことの繰り返しだった。

まあ、そこに組織の中で生きていく上でのルールとかをいろいろ言われる中で。

もちろん、秩序を保つとか、その組織を円滑に円満に回すためのハウスルールは、無いとヤバいことも分かっている。

ただ、僕の思考回路が、長年過大解釈しすぎていたのではないか、思い込みを持ち過ぎていたのではないかと気付きを得る機会が最近は増えた。

 

組織からは「時間は守ってね」「こういうルールのもとに動いてね」とはまあ、言われるだろう。

社会人、会社員生活では、無法地帯よりそこそこルールがあるのが居心地が良かったりする。

ただ、それは、「僕が個人が好きに動いていたらダメだ」というのとは、厳密に言うとイコールではないのだ。

あくまでも、「社内で」「仕事中に」「社内外で関わる人と」何かをするときに求められるルールなのであって、プライベートとか趣味とかライフスタイルとか、そこまでとやかく口出しされる権利も無ければ、そこまで徹底しろとは言ってないって逆にツッコまれそうな勢いなことが多いはずだ(黒そうな環境とかを除いて)

それなのになぜか、おそらく僕は新卒で勤めた会社員時代から、この「好きなことをしていたらダメだ」みたいな気持ちをどこかで引きずり続けていた。

そしてなぜこんな思考回路になってしまったのかの要因も、仮説が立ちつつある。

・苦手な仕事や環境要因が強かったから、自己否定が強かったから

新卒勤めではまさにこれ。

怒られて、人の目を気にして、ミスして、萎縮して、また怒られて、のループだった。

その後のバイト生活ではのびのびしていて、この頃が読んで書いてをすごくできていたように感じている。

さらに次に10年勤めた会社では、好きな仕事であってもひたすら長時間残業であったり、殺伐とした仕事内容に心がずっと消耗していて。

仕事をしていることが好きだったけど、ある日を境に一気にしんどくなって、そこから半年もしないうちに退職することになって。

そのタイミングで、前よりも自由度が高い日々が始まったのに、そこでも好きなことを許可できなかったのは。

苦手を取り去ったのに、自己否定が強かったからなのだろうなと。

会社を辞めて、やってみたいことがあった。

でも、うまくいっていないからと。成功していないからと。結果が出ていないからと。

結果が出るまで、好きなことをしてはいけない、みたいな。ガマンしないといけない、みたいな

フタをして、結局、頑張り続けていても、消耗を続けるばかりで。

結論として、好きなことを再開し始めてから、また読み始めて書き始めてから、また流れが生まれ始めている気がしている。


僕の初心という名の思い込みは、「頑張ったら結果が出る」「結果が出るまでひたすらやる」「ただし、楽しみを取り入れてはいけない」やばい、文字にするだけでも鬼畜ゲーすぎる。

ちなみに、結果が出るまでひたすらやってみてもいいけど、頑張っても結果が出るとは限らない。

楽しみを取り入れないからって、結果が出るとも限らない。

ならば、楽しみながら努力して、結果が出ても出なくても楽しくいられているのがいいじゃないかと。

かなり長く遠回りをして、やっと辿り着けそうな境地に感じている。

 

 

2024.02.01

 

(C)Aoi Tact

やってみたい、と思って始めたことが、心の底からやってみたいことではなかった。

ということに気付いて、それまでの期間を虚無にしてしまった経験が僕にはある。

あなたにもあるだろうか?


僕は前の会社を辞める直前から、英語のコーチングをモニターから対応させていただいていた。

(副業申請を数年出していたけれど、忙しすぎて辞める直前でやっと副業らしいことができた瞬間だった)

その方には結果的に、勉強習慣を定着させてあげられる体験はできたものの、

海外赴任が決まったということでモニターコーチングで道が分かれた。

その後も一人モニターコーチングをさせていただき、そこで道が分かれ、

さらに別の方にカウンセリングセッションもさせていただいたものの、

だんだん自分の中で、なんかここじゃない気がする、という気持ちが大きくなっていった。

 

コーチングはできることではあったけれど、本当にこれがやりたかったんだろうか?

これを、モニターコーチングをさせていただきながら、何ヶ月か延々とぐるぐる考えていた。

有料でコーチングを受けていただく、というときに、結果を出させてあげられるんだろうかとか。

自分の実力から、どうしてもそこにYesと言ってあげられない自分自身がいることにも、僕はうすうす気付き始めていた。

正直、自分で自信がないものを提供してても、人は来ないし、買わない。

自分に自信が無いと言いながら、選んでくれる人のことがちゃんと見えてないから。

それを当時の僕は、見落としていた。

そしてそれを、英語のコーチングを休止したタイミングで、答え合わせのように痛感するようになった。

 

英語のコーチングを休止した後に、縁あってライブ配信でお客様相手に占いを始めることになった。

そこまで何ヶ月かYouTube投稿で一方的に話す占いをしていての、ライブ配信。

慣れというか、それまでの経験も活かしながらというか、始めたらすんなりと相談を受け始めることができるようになった。

もちろん、軽く相談を受けられるようになった、というわけではない。

相談を受け取って、どんな相談にも自信を持って返答できている自分がいた。

それは、自分の占術にもスキルにも、使っているカードにも、自信を持てていたからだ。信頼できていたからだ。

だからこそお客様や相談内容に意識を向けることができて、必要なメッセージを届けることができていたのだ。

個人鑑定やお試しセッションなども受けていただいたりしていて、いろんな形で日々占いを向き合うことができている。

 

半年で600件以上のメッセージを届けては受け取っている今では、モニターコーチングやカウンセリングを受けてくれた人たちに、あの頃とは違う形で向き合うことはできるとも感じているけれど。

それも迷走していたからこそ見えてきたこと。

迷走して、自信のなさで自分を否定したことも何度もあった。

でもその向こうで、本当はどうしたいか?を考えて、初心で選んだ道を軌道修正することができた。

どうにもこうにも進めない状況から、少しでも、一歩以上は踏み出せていると感じている。

 

今の状況でできること、できないこともあるけれど、

ただ、今日も届けられる言葉を、届けられる形で届けていくことが、

今現在の僕にできることだという気持ちは、日々強くなっている。

 

23-10.09

(C)Aoi Tact