引き寄せや潜在意識のことについて

近年は研究したり、実験したりしている。

 

 

 

自分自身でも、

日々の動き方を日々見つめたり、

サポートさせていただいている方の

意識を引き上げるための

伝え方なども合わせて模索し続けていたり。

 

 

 

今回は、個人的に、

これは意識してみたほうがいいかも

っていうのを、書いてみると

引き寄せたい、

願いを叶えたい、

で、いると、

引き寄せたいって望んでいるだけ、

願いを叶えたいって望んでいるだけ、

の、現実が続くってこと。

 

 

 

引き寄せたい、

叶えたい、って、

いまそれが起きていないから

いま手元にないから、

望んでいる。

 

 

 

いや、いま無いから望むんじゃん、

って、思うところも

あるかもしれないけど、

無理やり無いものを

あるって思えって、

難しいかもしれないけど、

 

もう引き寄せてる、

もう願いを叶えてる、

って、前提で、動く。

 

 

 

とあるところではこれを、

「叶った前提で生きる」

とか、

「思いを決めて生きる」

なんて表現もされている。

 

 

 

そこは、採用したい言葉を

採用すればいいと

僕は思っているけれど、

それでも言えるのは、

「ない前提では動かない」

ってこと。

 

 

 

ゼロではなく、

ほんの少しでもあるのなら、

そのあるものを活かして

何ができるかを

イメージしたり

書き出してみること。

 

 

 

そこで出したものを

一つ一つ、少しずつ

取り組んでみて

うまくいったことを続けること。

 

 

 

何もしないでも

引き寄せられる、叶う、

なんてことは

たまたま起こったら

ラッキーくらいに捉えて

ささやかにでも

動いてみることが

次のステップが見つかる

鍵だったりもする。

 

 


2024.10.08
(C)Aoi Tact

 

 

 

昨日のエッセイを書いている最中に

父から連絡が来た、と思ったら、

父が来た、老けたなってエモなった、

的なエッセイを書いてたんだけど、

公開ボタンを押す直前に

急にグーグルさんが落ちた関係で

全部消えてしまい

もう一回同じ内容を打ち直すには

書いて満足した感が強かったので

違う内容で改めて書いてみる。

 

 

 

ネットで文章を書き始めた

ぺーぺーでJKの僕と、

すっかりアラフォーになっちまった

現在進行形の僕では、

考えてることがおそらく全然違う。

 

 

 

約20年分の経験値の差、とも言えるし

キレイなこと汚いことも含めて

どう向き合ってきて、

どう時には目を逸らそうとしてきたかとか、

そういうのもひっくるめて

たぶん考えてることっていうか、

考え方、捉え方は変わってる。

 

 

 

で、時に、

あいつ変わったな。

みたいなことを、有名人相手にとか

ボヤいてるひととかを見かけるんだけど、

そりゃ生きてたら変わるよな。

と、僕は言ってみたい。

 

 

 

変わる前のその人が好きだったとか、

変わった後のその人が嫌いになったとか、

それも別に、個人の自由だし、

本当はその人の変化が羨ましいとか、

本当はその人に変わってほしくないとか、

それも別に、個人の自由だ。

 

 

 

あいつ変わったな。

って言いたいときに

自分も変わっている、

そしてこれからも変わっていくことへ、

向き合ってみたほうがいい。

 

 

 

だって、変わらないことはないからだ。

みんな、自分含めてみんな、

幸せで豊かな方向へ向かっていくために

日々変わっているからだ。

 

ただのスピとか精神論とかじゃなくて、

そういう前提で生きているから

他人の変化を感じる自分に気付くのだ。

 

 

 

別に、本当に変わらなくていいのなら、

相手の変化には都合よく目を向けず

変わらない部分だけに意識がいくだろうから。

 

まあ、そんなこと言えないくらい

何もかもが変わってしまったならば

さすがに気付かされるのかもしれないけれど。

 

変わらないものなんてないよね、

って思っておいたほうが、

案外この世の中、

VUCAの時代とも言われる

不確かな時代というものは、

楽しめるような気がしています。

 

 


2024.10.06
(C)Aoi Tact

 

 

 

毎年8月24日になると

アンディ・フグのことを

いまでも思い出す。

 

アンディが天国へ旅立った年の

年始めあたりだったかな、

その前の年だったかな、

僕はほんとに中学へ行きたくなくて

ストレスで給食をリバースするし

明日が来るのがイヤだって感じで

夜ふかしを毎日してるのが当たり前の

陰キャまっしぐら人間だった。

 

 

 

今なら自虐で言ってやれるけど

どいつもこいつも僕のこと嫌いなんだろ?

みたいな、自意識過剰期真っ盛り。

 

それも、ある日、

たまたま観てたTVで

アンディ・フグのかかと落としを観ちゃったら

不名誉なあだ名で呼ばれ始めたり

触んなキメェってハブられる日々とか

そういうのどうでもよくなるくらいに

ハートに火が点いた感じがした。

 

そこから、ミルコ・クロコップこと

ミルコ様と

ジェロム・レ・バンナこと

バンナ様という

格闘技界の推しも順調に増やしながら

僕は子ども部屋のTVを貸し切り

K-1のテレビ中継を楽しみに生きる日々が始まった。

 

 

 

後から知ったら

父が父になる前に

某プロレス団体のプロモーター見習いを

一時期やっていたそうで

有名なあの人とも会ったことがあるとか

すごいドヤ顔で自慢されたこともある。

(ただ、正直、あの団体全盛期の時期だと思うんで

めちゃくちゃ羨ましい)

(とか打ってたら急に父が来訪してきてリアルに驚いてる余談)

 

 

 

格闘技好きはもはや遺伝やん、

なんてことを知りつつ、

父の前では慎ましやかにを意識して

(ソロでは罵詈雑言と共に

テレビ中継観てた記憶がある(僕が)

勉強も読書もそっちのけで、

格闘技観戦し始めてから、毎日がマジで楽しくなった。

 

 

 

そしてほんとに、その矢先に、

アンディ・フグは天国へ旅立ってしまった。

中2になってようやく通うようになった

部活帰りの夕方のニュースで

その一報を聞いたことは、

20年以上経つ今でも、結構覚えてる。

 

なんだかとても大きなヒーローを

なくしてしまったような気分だった。

 

それでも、K-1はすっかり大好きになってたので

テレビ中継が続いている限りは

何年も観続けていた。

旧K-1って言われるような時代で

僕の格闘技テレビ観戦は一区切りみたいになっている。

 

それでも、そこからも、

ネットでUFCでの推しを作ったり

新K-1といえるような

若手のひとたちをちらほら見かけたり。

 

 

 

そんな日々を続けていく中で、ときどき、

旧K-1時代を駆け抜けた推したちが

アンディとの日々を振り返ったり

縁がある場所へ行ってきたと

SNSでシェアし続けてくれているのも見かける。

 

僕はテレビの中のオラオラした世界も好きだし

同じくらい、リングの外で

お互いをリスペクトし合う

実は仲良しやんって一面も見せてくれる

格闘技、というか旧K-1が

ほんとに好きだったんだなあと、

そのたびに思い返している。

 

 

 

ちなみに今回のテーマは

インスタでこれを見ててエモなったんで書いた。

 

 

 

なんかさ、辿り着けるかは未知だけど、

京都もだし、スイスも行きたくなってきた。

 

ただその土地に降り立つだけでいいから

本人も見てたかもしれないであろう景色を

自分も見てみたい感じ。

 

 

 

つうかさ、いつの間にか、

アンディより年取っちゃってたよ。

マジかよ。そんなに僕生きてきてたんかよ。

とか、気付いてさらにエモくなってるんだけど

たぶん来年も同じようなことを

僕は書いているような気がしてる。

 

 


2024.10.05
(C)Aoi Tact

 

 

 

某動画サブスクサービスで

解約するのをすっかり忘れてて

動画だったり電子書籍を拝める権利と交換できる

ポイントがそれなりに貯まっていたので

100ポイント分課金もしつつ

電子書籍を2冊購入し、サブスクは解約した。

(おそらく2ヶ月分くらい解約忘れてた)

(計算上1ヶ月のはずだったけどちょっと謎)

 

 

 

そのうちの一冊が

ネットでレビュー記事を見て

気になっていた

しんめいPの

「自分とか、ないから。以下略」

である。

 

 

 

 

 

ちょうど最近、インプットしている中で

東洋哲学の考え方を

幅広く取り入れた概念を

知ることが多くて

西洋哲学は深めきれずにいた人間が

東洋哲学から哲学の世界に入るとは

ちょっと想定外の中での出会いだった。

 

 

 

電子書籍を買う前に

この本が出るきっかけになった

しんめいPのnoteも読んでいたんだけど

正直、めっちゃ物足りなかった。

 

 

というのも、しんめいPの言葉で語られる

東洋哲学の解釈が味わい深くて

それでいて、たとえとかがめっちゃ現代。

読みやすいし、とっつきやすい

 

ノリツッコミのおもろさを込めつつ

大事な要素を外していない感じの塩梅が

ほんとにめっちゃ読み込んで書いてるんだなあ

というのを感じさせてくれて

ちょっとだけ書店でも本を立ち読みしたんだけど

これはしっかり読みたいなあと思ったのだった。

 

 

 

別のインプット先からの

この一冊を読むうちに

僕の中で腑に落ちてきてることがあって、

ほんとその通りなんだけど

「自分なんてない」

ってことだ。

 

 

 

僕を僕・蒼井托都だと名乗っているのも

僕だし、

これを読んでくれているあなたが

「これを書いているのは蒼井托都なる奴か」

と、認識してくれたから

僕は蒼井托都として書いた文章を読んでもらっている。

 

 

 

自分というものも、

自己評価というものも、

他者評価というやつすらも、

自分がどう選んでもいいってことでもある。

 

 

 

自分なんてない、ってことは、

好き勝手に都合よく、

生きたい自分を決めていい、

ってことにもなったりする。

 

名前は親御さんが

付けてくれたものかもしれないけど

教育環境も家族などから

与えられたものかもしれないけど

それらの過去を持ってなお

いまから先の未来は

どんな自分で生きたっていい。

 

この前提がいつだって

本当はずっとあった。

 

それに気付かされた後の僕は

気持ち気楽に生きていけそうな気がしている。

いまがああでこうで、っていうのは、

過去の自分の潜在意識の投影で、

いまからこういう自分で生きるんだ、

って決めてしまえば、

以降はその自分で生きることになる。

 

 

 

なかなか決めきれないときは、

過去の自分を引きずるときだってあるだろうけど

いつからだって

生きたい自分を決めることはできる。

なぜなら、自分なんてないから。

決めているのは、自分だから。

 

ひたすらこの思考を

ぐるぐる繰り返しているけど、

それだけ見えてくるものもたくさんあった。

 

 

 

最近は、しばらく、

気ままに文章を書く蒼井托都としても

僕は文章を書く回数を増やしている。

(普段は別の名義でブログを書いてることが増えた)

 

それはやっぱり、

書いていたい自分に気付いたから、

書かせてあげる自分を、

少しでも多く増やそうと思ったのだ。

 

 

 

もっと出来ることあるんじゃねえの?

とか、思うこともあるけど、

それは過去の潜在意識が騒いでいるから。

 

自分の思考を見つめるうえでも

考え方・捉え方が変わる一冊で、

いまのタイミングでこの本を知れたのは

本当によかったと思ってる。

 

 


2024.10.04
(C)Aoi Tact

 

 

 

今週のananに

キヨさんがデカデカと

載っておりまして

(ふといま気付いたけど

キヨさんが表紙のバージョンは

売り切れなのか置かれてなかった)

あーこんなお姿してましたっけと

思いながら

キヨさんの動画を観るきっかけになった

昔の人生ゲームの実況動画を

久々に観て、久々にくっそ吹いてた。

 

 

 

 

会社員時代にいくつか動画を観てて

とにかくおもしろくて

自然と吹いてしまうところが

たくさんあった。

 

 

 

僕はなんだかんだ言って

おもろくいられるか?

というか

楽しんで笑っていられるか?

これが結構大事なんだってことを

実感するようになった。

 

 

 

笑いを忘れてるときって

人生をネガティブに

捉えてる時間が増えてて

ちょっとしたことでも

しんどさを感じやすく

なっているような気がしてる。

 

 

 

僕にとっての

笑いたいときに観るものとして

この何年かは

キヨさんの動画が傍にあった気がする。

 

 

 

とりあえず

人生ゲームの後に観てたものとして

久々にProject Makeoverの動画が

最近公開されていたらしく

こちらもまた一から観てみようと思えてきた。

 

 

 

やっぱりというか

キヨさんの動画って

僕は腹が痛くなるくらい、

ってのを超えて

涙が出るくらい

笑える部類に入っている。

 

 

 

会社員を辞める前の時期は

毎月すったもんだ

ぐるぐる考えることとか

多かったけれど

いつもどこかしらのタイミングで

キヨさんの動画に

とても救われていた。

 

 

 

改めて、あの頃好きだった動画や

気になった動画を観てみたい。

 

どんな状況でも飛び出してくる

絶妙なツッコミは、

何もかもを楽しんでて

その楽しさに観てるこっちも

笑ってしまう。

 

 

 

なんていうか、

動画を観ることによる笑いって

受動的な面が強いと思うんだけど

キヨさんの実況って

キヨさんの後ろから

プレイ風景を観てるような

親しみやすさに溢れてて

気付いたら巻き込まれてるおもろさなのだ。

 

 

 

つい、この空気感を体感したくて

また次の動画をポチッと押してしまう。

 

あー、楽しい。

とりあえず、時間を決めて

しばらく観ていこうと思ってる。

 

 


2024.10.03
(C)Aoi Tact