毎年周年記念として、
2004年1月17日から
屋号を立ち上げHPを開設し
細々と文章をネットに
投稿し始めた者として
その年の1月17日に向けて
何かを書く習慣というものは
長らく続けてきたつもりだ。
(よくあることだが、今年も
延長戦で周年記念書きます。

まだまだ書き終わってない)



学生時代にジオシティーズから
HPを開設して、ジオシティーズ終了で、
アメブロに作品を大慌てで移したり、
ドメインを買ってWordPressも
やってみたけどそこは閉めたけど
投稿サイトにも少しずつ
作品を公開してみたりして
近年は大人のお姉さん向けの作品も
書いてみたりしたけどそこは
HNを分けることにしてひっそりと移動させ
この青臭い青春を引きずった大人の
全年齢向けの文章を置く場として
「Blacktact」という名前でも
「蒼井托都(あおいたくと)」という名前でも
ネットの海に文章を投稿し続けてきた。



そんな中でふと去年の秋の終わり頃に
遺言というものを書いてみる機会があり
これも周年記念の一つに
してみることにしてみた。
そう言っといて、今年限りの
試みになっていることは大いにありえるw
まあだからこそ、いまのリアルな
遺言として残せるものを残してみたい。



周年記念作品というものは
商業化とかブームとかトレンドとか
そういうものを考えたり考えずに
好き勝手にきっと年1で書き続けていく
ものだとは思うんだけど
リアルはありつつもフィクションも
書き続けたいとは思っていて
物語は結構想像力とか妄想力を
鍛えさせてくれる源泉になっているからなのだ。



ただ、僕という人間として
なんかその1年にあったことだとか
それをきっかけに思い出したこととかを
言葉にして残してみたくなったのだ。



この1年で特に大きな出来事というのは
いまも地元を出たいと思うことや
横浜に住みたいと思うことは
変わりないんだけど
長年持ち続けていた
地元への壊滅的で絶望的な
不足感みたいなものが減りつつあることだ。



これは今年の始めに何度か受けていた
採用面接の最後に起きたことで
何十年も持ち続けてもがいていた何かは
1時間少しの間に、もっと言ってしまえば
何回かの問いと答えのラリーで
内発的動機が書き換わってしまったのだ。



潜在意識系のちょっと怪しくも見える
学びを近年は取り入れているのだけど
その学びだけでは気付けなかったこと。
それは、内発的動機が変わらなければ
いくら学んでも内省してみても
未来の変化に繋がるヒントは
出てこないか、出てきていても
活かせないということだ。



そしてそれはいくら発言権の強い人が
「答えは自分の中にある」とか
言ってるのを見かけたところで
自分で答えを引き出せても
その答えを活用できなければ
金言もただの部屋の飾りになるし

答えを引き出せたところで
それが自分が見ている世界を変えるくらい
大きな発見だとは自分で思えない
取るに足らないヒントだと
勘違いしてスルーしてしまう
可能性だってあるものなのだ。



今回は、地元を知ってるけれど
地元から適度に距離を取ってる人というか
地元の外から赴任してきている人が
相手だった。
とりあえずめちゃくちゃ感謝してるし
隣町とか隣の市とかも行きまくり
県庁所在地には月一で行くようになった。



んで、「あーずっと、地元から
とにかく早く出たい、とか
思ってたりもしたけど
もうしばらく地元にいてもいいかもね」
とか、ここ数年思っていたことと
正反対に振り切れるような概念に代わり
そうするとなぜかどんどん
県外に出ている。なんでだ。

そしてなぜかいぎなり東北産が
イベントをしてない週末の仙台に
9ヶ月で5回(週)行ってた。なんでだ。



なんだかおもろいことが
どんどん起きてきているので
環境も今年に変わったけれど
他者信頼の書き換えの実験として
いろいろ置いてみたりもしている。



とかとか、自分の枠を認知したり
広げるきっかけはいつも
自分の知ってる枠の外にいる人から
導き出されることが多い。



そういう出会いを知ったからこそ
自分もこれからそういう出会いの
触媒の一つになれたらいいなとか
改めて思ってみたりもした一年だった。



この感覚は別に、誰もがリアルで
会わなければいけないわけではなく
(リアルで会う大事さを
実感する今日この頃ではありますが)
ちょっとしたブログやつぶやきや
本との出会いでも変わったりする。
 

 

 

だからか、去年はここ数年の中では
定期的に本を読む時間を
増やしていた気もしている。
ちなみに最近の推しは
雀鬼の桜井章一さんです。
シブくてシビれる。
 

 

 

んで、リアルタイムでは、桜井さんと
長年作品を載せさせていただいてる
アメブロなサイバーエージェントの

藤田晋さんとの共著を読んでいる。
20年以上ブログのサービスを続けてくれて
本当にありがとうございます。



仕事でもたくさん読むことが増えて
逆にその分書けるよね!?とか思ったら
思ってる以上に書けてなかった
一年だったとは思ってるけど
それでもより書きたいこととか
書いてみたいことが増えた気がする。
 

 

 

んで、どうも僕は長らく
「無駄なことをだらだら書く」
ってことに対して
変に抵抗していたみたいで
これもぶっちゃけ、無駄なことを
だらだら書いてるやん、みたいに
思う人もいるとは思うんだけど
"僕が思う意味がありそうなことしか
書いてはいけない”、みたいな
変に歪んだ完璧主義にも似た
制限を持っていることにも最近気付いた。
だからこそ、ゆいごんと称して
所感をひたすら
書いてみたりしたのだった。



自由に動けたことも
制限ばかりに感じたことも
これまでの日々で
人生で、たくさんあった。
昔の思い出をよく
振り返ることもあった。
たくさん楽しかったことも
たくさん泣いたことも
いろんなことを思い出した。



未来だけ見ておけばいい、と
過去を投げ捨てながら
生きようとしてきたけれど
これまでの日々があったからこそ
いまからの未来の僕がいる。
それをいまいまの僕としては
もうしばらく忘れないで
生きていきたいとは思っている。



いざどんな死に方をするかは
いつだってどこでだって
わからないものだから
これまでにありがとう、
これからにもありがとう。
こういう言葉で強引に
この不思議なゆいごんを
閉じさせていただこうと思う。

 

 

 

26.01.17

-Aoi Tact-

嵐が活動終了するらしい。
活動休止一年前に改めて参加して
その後も少し延長して参加してた
ファンクラブは、
とっくに退会した後だ。

SNSの投稿で、その文章を読んだ。
そうか、って感じた。
できれば読みたくなかったけど、
いつかは読むかもしれないと
覚悟していた文章だった。

去年の11月に
活動休止について思うことを
つらつらと書いていたんだけど
ライブをしたりなどという形で
活動は再開されるけど
それがイコールで
改めて終わりが始まるということ。

ほんと、そうきたかーって、
そうか、って
言葉しか出てこなかった。

きっと本当に、たくさんの時間をかけて
話し合ったんだろうし、
いろいろ模索したんだろうし、
考えて、議論してきた、
その結果が活動終了なのだ。

いまの第一念としては、
そうか、って思ったまま
次にどう反応したらいいか
よく分からないままの気持ちで
いったん受け取りたいと思う。

まあ言い方は違えど
解散みたいなもんじゃん、って
そういうことだろって
言いたくなるところもあれど
活動休止中も、それぞれの
お兄ちゃんたちをメディアで見かけては
1人であるようで、5分の1として
見るようになっていたから。

なんとなく、こういう見方を
来年以降も続けそうな気はしている。

とりあえず僕は、
世の一部の人達と同じように
再びファンクラブの門戸が開かれたら
登録はするのかなと、思いつつ、
そうすることも選ぶかどうか
正直わからない。

すっかり黄色いお兄ちゃんの
ヲタクとして細々生きてきたわけで
(そちらもFC参加検討し続けてる感じですが)
5人のお兄ちゃんのヲタクとして
5人のお兄ちゃんの終わりの始まりを
見守るための登録となると
なんだか足がすくむ。

まあ、ライブ参加のための

ライバル減るだけだし、
勝手に足すくんどけよ、って
意見あるひとも、いるだろうけどw

触れれば触れるほど
寂しくなりそうな場所に
あえて飛び込んでいくことを
選ぼうとしているのかなと。

まあ、これはいまの感覚だし
いざ飛び込んでみたら
やっぱり楽しい、元気が出るって
思えるかもしれないし
もうちょっとだけ悩んでみようと思う。

なんだかマジでまとまりがないんだけど
今現在を書き残しておきたくて
つらつらと書いてみた。

 

 


2025.5.6
(C)Aoi Tact

 

 

 

最近、ミスチルの公式チャンネルで
ライブ映像の配信を
どんどんしていただいてるので
久々にどんどん
ミスチルの歌を聴いている。

(「Mr.Children tour 2024
miss you arena tour」が
5/11までの期間限定で
公開中だぞ!)

 

 

 


当時CMで聴いたときから
ひたすらに好きだった
「365日」がセトリに入っていて
久々に聴いていたわけだけど
メロディはもちろん
やっぱり歌詞が好きだなあと
実感しながら聴いていた。



どんどん湧き上がってくる
君への想い。

葛藤を繰り返しながら
拡大していく想い。

毎日の小さな気付きが
1年後には大きな愛へ繋がっていく。

『昨日よりも深い場所で
君と出逢いたい』



だぁぁぁぁぁもうたまらんすぎだろ。
君よ、そこ代わってくれ。
なんて言いたくなる。

等身大の気さくさと、気軽さと、
同じくらい壮大さや深さを持つ
一年のどのタイミングで聴いても
優勝過ぎるラブソングなのだ。



ミスチルは、えげつなく仄暗い
キャッチーでクレイジーな曲も
あれとかこれとか好きなんだけど
王道ド直球なラブソングの
詩的なたまらなさもピカイチだと思う。



良きラブソングというのは、
曲の中の「君」になりたくなる。

なんだかそんなことを久々に
実感し直した視聴体験だった。

 


2025.5.3
(C)Aoi Tact

 

 

 

始まりは2023年初夏の時期

だという記憶はある。

 

その10年前に、後半からリアタイで観ていた

嵐は櫻井翔くん出演ドラマ「家族ゲーム」

メインテーマといえる本多俊之さん「遊戯」を

無性に聴きたくなって

実家近くの公園のベンチで

ぼーっと再生していた記憶がある。

 

で、なぜかそこから、不定期で

異常に聴きたくなってきて

何度も聴いている一曲となっているのだ。

 

(音源版とライブ版でちょっとテイストが

違っているのが、またたまらん)

 

 

 

家族ゲームは、なんでか知らないけど

途中から観始めて以降は

最後まで観ていたドラマだった。

 

正直、嵐でにのさんが好きと言いつつ

デビューから10周年のあたりまでを

新譜もリアタイで追えていて

ブレイクをすっかりした後

近隣のタワレコでは一時期

初回限定盤の予約もいっぱいになるくらいでできず

いろんなバラエティ番組であったり

CDもコンスタントに発売されていた

20周年までの後半約10年は

飛び飛びで見かける存在になってしまっていた。

 

そんな中で、

主題歌の「Endless Game」も合わせて

飛び飛びでリアタイで聴いた嵐の曲の

一曲になっているくらい

この選曲も含めて印象に残っている

家族ゲームだった。

 

 

 

家族ゲームは、とにかく

「崩壊っぷりがすごかった」記憶があり

そこからさらに先の

展開もあるんだけど

 

「遊戯」と一緒に崩壊していく場面が

ひたすら印象に残っているせいか

異常に「遊戯」を聴きたくなるときというのは

やけに感情を掻き立てられるような

不思議な焦燥感と共に聴くことが多い。

 

 

 

自分の中に眠っている、

狂気であったり、野望あたりを、

引きずり出されるような感じ。

 

夕暮れや黄昏がよく似合う、

美しい旋律から始まっていく中で、

多重奏がうねるように迫りくる中盤から後半、

人間の綺麗とは言いにくいかもしれない心を

うねりの中で覗かせてみませんか?って

言われちゃうような気がして

 

無性に聴きたいけれど、同じくらい

気合を入れて再生ボタンを押すような

不思議な魔性の一曲になっている。

 

 


2025.2.3
(C)Aoi Tact

 

 

 

そもそもでお前が創作論を語れるほどの

実力を持っているのか?

と言われると、「No」と

答えてしまいそうな状況ではあるけれど

最近また本気で小説に

向き合い始めてみてから

創作論の情報を集めてみたほうが

いいのかなあとか

いやまずは書いてみるか、とか

ああだこうだ言いながら

小説を書き出すことが増えた。

 

 

 

まだまだ自分自身でも

勉強は必要なんだけれど

脚本術であったり

ストーリー構築であったり

神話の法則であったり

 

世の中にはいろんなメソッドとか

ノウハウの類がある中で

結構似通っているものもあれば

一見正反対のように見えることを

語られていることもある。

 

 

 

なんだかんだ、

じゃあ結局、何を信じて

何を選んで、何を捨てればいいのか?

ってなってくるのだ。

 

結局は、自分の個性を踏まえて

改善のために必要なものを特定し

そのための情報を集めればよくて

逆に成長を阻害するような情報を

不要だとしていったん切るというのが

シンプルで最適なのかなと

思ったりする。

 

 

 

もちろん、確立された創作論というものは

どれも不要として切るには

もったいないものも

あるかもしれないけれど

感性で書く人が

ロジックを採用しすぎると

感性を殺すこともあったりするし

ロジックを緻密に積み上げて書く人が

感性を採用しすぎると

違和感で進めなくなったりすることも

あるかもしれない。

 

あえて論理か感覚か、

どちらかに偏りがあることを認めて

どちらかを伸ばしつつ

反対の要素を取り入れることも

ありだとは思ってるんだけど

偏りを伸ばした先で

構築上必要な弱点(苦手)を補う

くらいの塩梅で

ノウハウを入れるというのが

ちょうどいいのかなとか

思ったりもする。

 

 

 

それなりに結果を出せたときに

何をしてきたかの過程に

ヒントがあると思っている。

で、仮説として出てきたのがこれである。

 

個人的な意見を言うと

基礎とかいろいろできてなくても

とりあえず書き上げてみないと

見えてこないものというのもあったから

まずはこういう話を書きたいと思ったら

書いてみる、という、

「とにかく書き上げて見て」

という世のアドバイスは

結構理に適っているように思えているのだ。

 

 


2025.2.3
(C)Aoi Tact