嵐が活動終了するらしい。
活動休止一年前に改めて参加して
その後も少し延長して参加してた
ファンクラブは、
とっくに退会した後だ。

SNSの投稿で、その文章を読んだ。
そうか、って感じた。
できれば読みたくなかったけど、
いつかは読むかもしれないと
覚悟していた文章だった。

去年の11月に
活動休止について思うことを
つらつらと書いていたんだけど
ライブをしたりなどという形で
活動は再開されるけど
それがイコールで
改めて終わりが始まるということ。

ほんと、そうきたかーって、
そうか、って
言葉しか出てこなかった。

きっと本当に、たくさんの時間をかけて
話し合ったんだろうし、
いろいろ模索したんだろうし、
考えて、議論してきた、
その結果が活動終了なのだ。

いまの第一念としては、
そうか、って思ったまま
次にどう反応したらいいか
よく分からないままの気持ちで
いったん受け取りたいと思う。

まあ言い方は違えど
解散みたいなもんじゃん、って
そういうことだろって
言いたくなるところもあれど
活動休止中も、それぞれの
お兄ちゃんたちをメディアで見かけては
1人であるようで、5分の1として
見るようになっていたから。

なんとなく、こういう見方を
来年以降も続けそうな気はしている。

とりあえず僕は、
世の一部の人達と同じように
再びファンクラブの門戸が開かれたら
登録はするのかなと、思いつつ、
そうすることも選ぶかどうか
正直わからない。

すっかり黄色いお兄ちゃんの
ヲタクとして細々生きてきたわけで
(そちらもFC参加検討し続けてる感じですが)
5人のお兄ちゃんのヲタクとして
5人のお兄ちゃんの終わりの始まりを
見守るための登録となると
なんだか足がすくむ。

まあ、ライブ参加のための

ライバル減るだけだし、
勝手に足すくんどけよ、って
意見あるひとも、いるだろうけどw

触れれば触れるほど
寂しくなりそうな場所に
あえて飛び込んでいくことを
選ぼうとしているのかなと。

まあ、これはいまの感覚だし
いざ飛び込んでみたら
やっぱり楽しい、元気が出るって
思えるかもしれないし
もうちょっとだけ悩んでみようと思う。

なんだかマジでまとまりがないんだけど
今現在を書き残しておきたくて
つらつらと書いてみた。

 

 


2025.5.6
(C)Aoi Tact

 

 

 

最近、ミスチルの公式チャンネルで
ライブ映像の配信を
どんどんしていただいてるので
久々にどんどん
ミスチルの歌を聴いている。

(「Mr.Children tour 2024
miss you arena tour」が
5/11までの期間限定で
公開中だぞ!)

 

 

 


当時CMで聴いたときから
ひたすらに好きだった
「365日」がセトリに入っていて
久々に聴いていたわけだけど
メロディはもちろん
やっぱり歌詞が好きだなあと
実感しながら聴いていた。



どんどん湧き上がってくる
君への想い。

葛藤を繰り返しながら
拡大していく想い。

毎日の小さな気付きが
1年後には大きな愛へ繋がっていく。

『昨日よりも深い場所で
君と出逢いたい』



だぁぁぁぁぁもうたまらんすぎだろ。
君よ、そこ代わってくれ。
なんて言いたくなる。

等身大の気さくさと、気軽さと、
同じくらい壮大さや深さを持つ
一年のどのタイミングで聴いても
優勝過ぎるラブソングなのだ。



ミスチルは、えげつなく仄暗い
キャッチーでクレイジーな曲も
あれとかこれとか好きなんだけど
王道ド直球なラブソングの
詩的なたまらなさもピカイチだと思う。



良きラブソングというのは、
曲の中の「君」になりたくなる。

なんだかそんなことを久々に
実感し直した視聴体験だった。

 


2025.5.3
(C)Aoi Tact

 

 

 

始まりは2023年初夏の時期

だという記憶はある。

 

その10年前に、後半からリアタイで観ていた

嵐は櫻井翔くん出演ドラマ「家族ゲーム」

メインテーマといえる本多俊之さん「遊戯」を

無性に聴きたくなって

実家近くの公園のベンチで

ぼーっと再生していた記憶がある。

 

で、なぜかそこから、不定期で

異常に聴きたくなってきて

何度も聴いている一曲となっているのだ。

 

(音源版とライブ版でちょっとテイストが

違っているのが、またたまらん)

 

 

 

家族ゲームは、なんでか知らないけど

途中から観始めて以降は

最後まで観ていたドラマだった。

 

正直、嵐でにのさんが好きと言いつつ

デビューから10周年のあたりまでを

新譜もリアタイで追えていて

ブレイクをすっかりした後

近隣のタワレコでは一時期

初回限定盤の予約もいっぱいになるくらいでできず

いろんなバラエティ番組であったり

CDもコンスタントに発売されていた

20周年までの後半約10年は

飛び飛びで見かける存在になってしまっていた。

 

そんな中で、

主題歌の「Endless Game」も合わせて

飛び飛びでリアタイで聴いた嵐の曲の

一曲になっているくらい

この選曲も含めて印象に残っている

家族ゲームだった。

 

 

 

家族ゲームは、とにかく

「崩壊っぷりがすごかった」記憶があり

そこからさらに先の

展開もあるんだけど

 

「遊戯」と一緒に崩壊していく場面が

ひたすら印象に残っているせいか

異常に「遊戯」を聴きたくなるときというのは

やけに感情を掻き立てられるような

不思議な焦燥感と共に聴くことが多い。

 

 

 

自分の中に眠っている、

狂気であったり、野望あたりを、

引きずり出されるような感じ。

 

夕暮れや黄昏がよく似合う、

美しい旋律から始まっていく中で、

多重奏がうねるように迫りくる中盤から後半、

人間の綺麗とは言いにくいかもしれない心を

うねりの中で覗かせてみませんか?って

言われちゃうような気がして

 

無性に聴きたいけれど、同じくらい

気合を入れて再生ボタンを押すような

不思議な魔性の一曲になっている。

 

 


2025.2.3
(C)Aoi Tact

 

 

 

そもそもでお前が創作論を語れるほどの

実力を持っているのか?

と言われると、「No」と

答えてしまいそうな状況ではあるけれど

最近また本気で小説に

向き合い始めてみてから

創作論の情報を集めてみたほうが

いいのかなあとか

いやまずは書いてみるか、とか

ああだこうだ言いながら

小説を書き出すことが増えた。

 

 

 

まだまだ自分自身でも

勉強は必要なんだけれど

脚本術であったり

ストーリー構築であったり

神話の法則であったり

 

世の中にはいろんなメソッドとか

ノウハウの類がある中で

結構似通っているものもあれば

一見正反対のように見えることを

語られていることもある。

 

 

 

なんだかんだ、

じゃあ結局、何を信じて

何を選んで、何を捨てればいいのか?

ってなってくるのだ。

 

結局は、自分の個性を踏まえて

改善のために必要なものを特定し

そのための情報を集めればよくて

逆に成長を阻害するような情報を

不要だとしていったん切るというのが

シンプルで最適なのかなと

思ったりする。

 

 

 

もちろん、確立された創作論というものは

どれも不要として切るには

もったいないものも

あるかもしれないけれど

感性で書く人が

ロジックを採用しすぎると

感性を殺すこともあったりするし

ロジックを緻密に積み上げて書く人が

感性を採用しすぎると

違和感で進めなくなったりすることも

あるかもしれない。

 

あえて論理か感覚か、

どちらかに偏りがあることを認めて

どちらかを伸ばしつつ

反対の要素を取り入れることも

ありだとは思ってるんだけど

偏りを伸ばした先で

構築上必要な弱点(苦手)を補う

くらいの塩梅で

ノウハウを入れるというのが

ちょうどいいのかなとか

思ったりもする。

 

 

 

それなりに結果を出せたときに

何をしてきたかの過程に

ヒントがあると思っている。

で、仮説として出てきたのがこれである。

 

個人的な意見を言うと

基礎とかいろいろできてなくても

とりあえず書き上げてみないと

見えてこないものというのもあったから

まずはこういう話を書きたいと思ったら

書いてみる、という、

「とにかく書き上げて見て」

という世のアドバイスは

結構理に適っているように思えているのだ。

 

 


2025.2.3
(C)Aoi Tact

 

 

 

ばっばっばっ

ばたりあーん!

 

CDTVの「SixTONESフェス」の

アーカイブをTVerで観ていて

ポップで軽快なサウンドにノリノリになる。

 

週明けまでの約一週間

ひたすらこの「恋のバタリアン」を聴きたくて

TVerに入り浸っていた蒼井托都である。

 

 

 

エフェクトを利かせまくったサウンドに

ポップなスタートかなと思いきや

めちゃくちゃ早口言葉になるわ

めちゃくちゃシャウトするわ

めちゃくちゃデスボにヘドバンが来るわ

かと思いきやポップに戻るわ

なんていうか、振り子的な??

なんて説明すればいいんだこの曲??

といった謎に包まれる初視聴から

その振り幅の広さに一撃でハマってしまった。

 

 

 

一日に一回はTVerにアクセスし

SixTONESフェスの時間に合わせて

通しで聴いていて

BGM代わりに聞き流していたときもあったけど

この「恋のバタリアン」だけは

画面に釘付けになってしまっていた。

 

 

 

マキシマムザホルモンの曲は

最近だと、生田斗真くんと共犯してる

「殺意vs殺意」で久々に聴いていて

なんかメロディラインといい

いろいろ面白い音だなあとは感じていたんだけど

(それまでは正直、「恋のメガラバ」あたりしか

聴けていなかった)

 

 

 

「恋のバタリアン」は正直、

どういうジャンルだと表現していいのか

どういう感想を書いていいのか

よく分からない一曲だ。

 

ただ、とにかく、

聴き終わった後に、楽しさが残っている。

 

 

 

ネットの中で見かけた表現で

「文化祭のようだ」という表現が

個人的にすごくいいなーと思っていて

めちゃくちゃはっちゃけていて

めちゃくちゃチャーミングで

めちゃくちゃアグレッシブで

めちゃくちゃミステリーだ。

 

この曲を曲として成立して

楽曲提供してくれたのが

ほんとすごいミラクルなのではないかと

感じるくらい

音楽体験としてもかなり新鮮で

個人的にはめちゃくちゃ楽しくて面白い一曲だ。

 

つまりは、よくわからないけど

ハマりすぎている一曲なのである。

 

 

 

 

 

 


2025.1.31
(C)Aoi Tact