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    ほぼ一万円分の小銭。
 
 
    これ、今回の比叡山入山に際して準備した小銭です。
 
  御朱印、お賽銭、ほぼこれで賄いました。
 
  護摩木や献燈は本数を奉納する為に千円札一枚で十分。
  護摩木三本だと300×3=900円ですが、これを千円札で支払う。余分の100円は「お供え」ですね。
  街角でやっている、何処に行くのかも判らない、或いは集める側が半分以上も手数料と称してピンハネしとる様な「偽善募金」には10円5円どころか1円ですら出すのは惜しいですが、寺院に納めるお賽銭は「功徳」ですからね。
 
  言うまでも無く、これ程の小銭を準備していくのは御朱印授与をして頂く際に、「お釣り」なんぞでお寺さんのお手を煩わす事無くキッチリと支払いたいが為ですね。
 本来、お寺における御朱印は御朱印帳にも「御納経帳」とある様に、写経を納めて、その受付受領印であるという本来の目的が、僅か300円(延暦寺さんの場合です)という金銭に代わっているだけの事で、それを仏様にお納めさせて頂くという事ですから、納める此方側が「客」という事にはならないんですね。
 
   なにしろ、此方側は御参りをさせて頂いている訳ですからね。
 
  「行ってやっている」んでは無いんです。
 
  極端な例を挙げれば、寺社を「宮中」に、お参りを「参内」と読み替えてみれば宜しい。拝謁する側が「こっちは客だ」とは口が裂けても言わんでしょう。こっちは客だ等という考えが、どれ程無礼であり、恐れ多い考えであるのか理解出来ようというものです。
 
  それにしても近年、御朱印所において「こっちは客だ」だの、「早く書け」だの、まぁ、身の程を知らぬ心得違いも甚だしい大馬鹿者がいるそうで、授与を止めてしまった寺社もありますが、これらに関して寺社側には何の落ち度もありませんよ。
  まして、参拝する人が多い時は寺社側も考えて欲しい等と「要望」する等、ど厚かましいにも程がある様なお願い事で、こんなのは寺社側が考えるのではなく、参拝する側が考えれば良いだけの事です。
 
  人が多いと考えれば、早めに行けば良いし、遠方ならば前日に近隣のホテルなり宿坊に宿泊すれば宜しい。それだけの事です。
 
    私も、比叡山延暦寺には一日回峰行参加とは別に、山内巡拝して御朱印を頂く為に、延暦寺会館に一日多く宿泊して時間を作りました。一昨年に延暦寺に参拝した際には、各御朱印所は結構な行列が出来ていましたが、その間に前後の人と会話したり、授与直前になれば僧侶、職員さんの筆遣いなど、「見取り稽古」ではありませんが、黙って見ていたものです。
 
  御朱印は授与して頂く間を待つのも功徳、書いて頂くのも功徳と考えればいい。
 
  授与いただけなければ、その日は「御縁」が無かっただけの事で、日を改めてまた行けば良い。
 
  それすらも嫌だ、と、辛抱が出来なければ、山門入口のスタンプだけでも押して帰りゃいいんです。記念にはなりますよ。
 
  それに、これが一番大事だと思いますが、御朱印所での失礼なやりとり、お寺の御本尊様、神社の御祭神様、ちゃんと見ておられますよ。だって御朱印所は境内地にあるんですから、仏様神様の眼下そのものです。
 
  本堂にお参りしてお経すら唱えず、形ばかりに手を合わせて、こっちが目的だとばかり、スタンプラリー宜しく御朱印所に押しかけて暴言まがいの傲慢無礼。早くしろだの、手際が悪いだの、こっちは客だだの、ホテルに届けて、家に送って・・など等の無礼千万な物言い。
 
   お経を知らないから唱えられないのはいいんです。そういう人のほうが多いんですから、心から手を合わせて、雑念無く祈るという気持を持てば、スタンプラリーみたいな事は考えんでしょう。
 
  邪な考えで境内地を闊歩するなど、御本尊様、御祭神様、決して黙って御見過ごしにはならんと思います。
 
 
  仏様の中には粗略な扱いをされるとそれは恐ろしい仏様もいらっしゃるし、神様だって恐ろしいんです。海外の宗教と違い、日本の神仏というのは祟るんですから。