東広島市西条町御薗宇5311番地という、東広島市の街中にある寺院ですが、国道等からは見えない場所にあり、私も今回初めて参拝。
 
 広島新四国霊場 第四十一番札所。
 
  治承4年(1180年)に高倉天皇の兄宮である以仁王と、源頼政が打倒平氏のための挙兵を計画し、諸国の源氏や大寺社に蜂起を促す令旨を発した「以仁王の挙兵」にて敗死した頼政の室・菖蒲前は息子の種若丸を連れて、頼政の郎党、猪野隼太と共に安芸国賀茂郡に逃れ、後に、源頼政と、この地で早世した種若丸の菩提のために創建されたと伝わる。
 猪野隼太は勝谷右京と名を改め、頼政供養のため開基した観現寺を守り、建保4年(1216)に84歳で没したと伝わり、隼太の墓とされる宝篋印塔が残る。
 以上が当寺の縁起ですね。
 
   県重文の観現寺厨子の説明文。
イメージ 1
 
 
 冒頭説明にある猪野隼太の墓と伝わる宝篋印塔の説明文です。 
イメージ 2
 
 
 
 仁王門。
イメージ 3
 
   見事なものです。
 
 
   仁王門裏側。
イメージ 4
 
 
 
   どっしりとしていますね。
 
 
 こちら左が本堂、右が護摩堂。
イメージ 5
 
   双方で般若心経誦経、諸真言を唱えます。
 
   駐車場から見た境内。
イメージ 6
 
   駐車場が広く、車で参拝する私にとってはありがたいことです。
 
 参拝した時間、まだ寺務所が閉まっており、また後日・・・と帰ろうとしたところ、寺務所が開きまして、御朱印をお願いする事が出来ました。
 
 御朱印と共に、こちらも購入。
イメージ 7
 
 五色金剛線守。
 
 護摩壇の結界に用いる金剛線のお守りです。