この寺は天平2年(730年)に行基によって建立、その際の山上の桜の樹で千手観音を刻んで本尊としたそうです。諸国修行中の行基上人は、竹原大井からこの山に霊光を見て登山、そこにあった大きな桜の木が、風に靡けば観音経を奏で、行基はこの桜をもって千手観世音菩薩像を刻み、花王寺と号しました。
 
 延暦二十一年、麓に住む八千代という娘が、子宝に恵まれず、この花王寺に千日間参詣の願掛けをし、その満願の夜童子が現われて八千代に五色の玉を授け、その一年後に子供が誕生、この子供が後に小野篁となりました。篁は嵯峨天皇に上奏し、この寺に七堂伽藍を建立、勅願寺となり、後に弘法大師が登山、真言宗となります。
 篁が五十一歳で没して百年後、篁は生まれ変って僧となり、この寺で十王九体を造り、残る一体は自らが生身の仏となり、この時より寺号を篁山竹林寺と改称。以後千年の法灯を守り今日に至る。
 
 ・・・・というのが当寺の縁起。
 
 
 
 これが現在の本堂。
 
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 現在の本堂は室町時代の永正8(1511)年の建立で国重要文化財。屋根は杮葺(こけらぶき)です。近年、即ち平成27年から28年に掛けて、葺き替え工事を終えたばかりだそうです。
 
   この本堂は内部に入る事も出来まして、中で般若心経誦経、諸真言をお唱えしました。ご本尊は千手観世音菩薩。ただ、厨子の中ですから拝観は叶わず。当然の如く、本堂内部、写真撮影禁止です。
 
   こちらは本堂の左にある護摩堂。御本尊は不動明王。
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 ノウマクサンマンダ  バサラダン センダマカロシャナ  ソワタヤ ウンタラタ カンマンを三唱。
 
 この建物は随分と傷みが激しいように感じます。
 
 本堂の右手にあるのは十王堂。
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   地獄における、亡者を審判する十王を御祀りするお堂。御本尊は地蔵菩薩ということで、
   オン カカカ ビサンマエイ ソワカを三唱。良く判りませんが、御本尊の地蔵菩薩は、重文の木造地蔵菩薩半跏像ですかね?
 
 
   池には蓮の葉がびっしり。花を咲かせると綺麗でしょうね。
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 この八千代橋の「八千代」というのが、小野篁公のお母上のお名前からですね。
 
 この場所から更に高い場所にありますが、阿弥陀如来様がいらっしゃる。
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   画像にある看板が示す通り、ここには昔、三重塔がありました。現在はホテル椿山荘東京の庭園内で、「圓通閣」として現存しています。
 
 ここから下には鐘楼があり・・
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   鐘楼から河内町の一部が一望出来ます。
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   さて、来た道を戻り、帰宅。
 
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  今度はふるさと林道竹林寺線、画像で言うと左に曲がり、ひたすら下ります。
 
 
 今回、このふるさと林道を通行するのも随分と久しぶりなんです。以前通ったのは、私がまだ山師をしていた頃だからもう10年以上前ですね。
 
 
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  エアージョグですが、下山時でも爪先が痛くなる事もなく、快適ですね。今まで、こういう場所に足を踏み入れる際は、半長靴か登山靴を履いていましたが、地下足袋だと比較にならない位軽く、それらと差が歴然としています。これはもう手放せませんね。