「まだまだたくさんいる」
昨日、
こんな記事を書いて
先日の
つぐみさんとの
コラボ「いんすたらいぶ」の
補足説明みたいなことを
つらつらと書き綴ってみました。
面白いもので、
こうして書いてみると、
さらにまた
次のことが思いつくものなんですよね!
「書けないのは書いていないからだ」
という
僕のライティングのメンターさんが
言っていたことは
本当なんですよ。
ウエダミツトシです
こんにちは
まあ、
その話は何度かしているので、
また書きたくなったら書きますが、
今回は、
先日の「いんすたらいぶ」で
出て話題について
これまた補足説明をば。
その時に、
どんな話が出てきたかというと、
「世の中にはまだまだたくさんいる」
という話で、
僕たちのような
心の仕組みを学んで、
日々自分と向き合うということを
してきた人たちは、
全部じゃないにせよ、
ある程度の
「禁止、抑圧、否定、強制」
みたいな
自分を縛る思い込みが
解かれていますし、
内観することもできるので、
いいのですが、
一般の人たちって
この
「禁止、抑圧、否定、強制」が
そのまんまになっている人たちが
まだまだたくさんいるわけですよ。
ガッチガチになっている人が
たくさんいるわけです。
自分が
それに縛られているという認識は
当然ないですし、
そういうものがある
という知識すらない場合も
当然あるわけです。
そうすると、
この社会に適応していくのって、
けっこう大変だと思うんですね。
自己肯定感が高いとか、
適応能力が高い人、
あるいは、
この社会の仕組み・構造に
うまく合わせて生きていくことに
それほど
ストレスを感じない人はいいのですが、
そうではない人たちで、
「禁止、抑圧、否定、強制」
が多い場合だと、
詰むと思います。
「禁止、抑圧、否定、強制」
って何かというと、
僕の顔的に平たく言えば、
「べきねば」
であり、
「しなければいけない」
「してはいけない」
という指示プログラムのことです。
僕たちは生まれて
親(特に母親)から
いろんなことを言われて
大きくなっていきます。
「こういうときはこうするもの」
「こういう場合はこれはしないもの」
そういった情報を
どんどんインプットしていくわけです。
これに良いも悪いもないです。
その言われた情報に対して
「良い悪い」を判断する情報が
そもそもない状態ですから、
無条件に
どんどんインプットしていくんです。
そうして
小さいころから延々と
インプット(刷り込み)されたきたことが
元になって、
善悪だとか
良い悪いだとか
損得だとか
正解不正解といったことを
自分の中に形成していきます。
そしてこれは
生きているうちは
ずっと繰り返されていきます。
幼稚園(保育園)に行って
小学校に行って
中学・高校に行って、
大学に行って、
社会人になっても
ずっと続くんです。
新たな
「しなければいけない」
「してはいけない」
という指示プログラムが
ずっとインプットされ続けていく。
中には、
矛盾したプログラムも
あります。
それで
葛藤が起きたりするわけですが、
多くの場合、
それが解消されないまま、
自分の中に残って、
それに縛られて生きている人が
ほとんどです。
指示プログラムの
すべてが
悪いものだということではありません。
この社会の中で生きていく以上、
そういったプログラムは
必要なものです。
でも、
その中で、
もう必要ではなくなったものや、
社会のルール変更に伴って
古くなったものも
当然出てきます。
それは、
そのときの状況に合わせて
手放していけばいいのですが、
そもそもの話で、
自分がどんなプログラムを持っているのか
を知らない人が多いのです。
「なんで毎回こうなるのか」とか
「こういうタイプの人とは必ずぶつかる」とか
「いつも身体を壊す」とかも
そうかもしれません。
その人特有のパターンがあるんです。
それがなぜ、
そうなるのか。
その仕組みを理解して、
自分で手放したり、
選択できればいいのですが、
僕たちのような
心理職の人でも、
なかなか
自分の指示プログラムが
どうなっているのかを
全部把握している人はいないので、
一般の人たちとなると、
もっと理解できていない状態だと
思うわけです。
「しなければいけない」
「してはいけない」
自体が悪いわけではないです。
「しなければいけない」
「してはいけない」