読演会史上、もっとも時間が足りなかった回 | 夢はなくとも 希望はなくとも 

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「おかしくないか?」

 

 

選択肢がひとつしかないと

人は苦しみます。

その選択肢が

自分にとって

「ウェルカム」なものなら

それでいいのですが、

それがすごく嫌で

ストレスを感じるものなら、

お先真っ暗な意識状態に

なってしまうと思います。

 

 

それが

目の前に

常に

無数の選択肢がある状態ならどうでしょう?

 

 

どれがいいかと選ぶことに対して

悩むかもしれませんが、

そこに絶望はないと思います。

 

 

人が感じる苦悩って

大体がこの

「選択肢がひとつしかない」

という思い込みに

囚われてしまうことから

生じるものではないでしょうか。

 

 

少し前の社会なら

当たり前だったかもしれません。

 

親が決めてきた結婚

 

その相手が

どうしても嫌な人だったら

 

「私の人生終わった」

 

と思っても

仕方ないですよね。

 

 

でも、

そこに

「自分で選べる」という余地があれば、

苦悩はほぼほぼなくなると思います。

 

 

このように

人生で生じる苦悩には

 

選択肢のなさ(少なさ)

 

が影響していると思いますので、

そこから脱するには、

 

いまの時点では見えていない選択肢を見つけること

 

が重要になってきます。

 

 

そしてそれは

自分がいまいる場所から離れて

いままで自分が知らなかった

広い世界を知ることが

何よりも

大事なことではないでしょうか。

 

 

あなたの本音を見つけて言語化する専門家

ウエダミツトシです

こんにちは

 

image

 

かつて

 

「日本の常識、世界の非常識」

 

という言い方がありましたが、

この表現だと

 

「日本が非常識」

 

みたいな感じで

伝わってしまう場合があるので、

僕は

あまり好きではありませんでした。

 

 

なんなら、

 

「別に世界の常識なんて

 知らなくてもいいわ。

 ケッ!

 

くらいにまで思っていたことがあります。

 

 

それくらい僕は

日本という国、

そして

日本にある文化や歴史といったものに

誇りを持っているし

何より

日本が好きなんですが、

その日本をよりよく知るためにも

実際に

世界はどうなっているのかを

知ることもまた

とっても大事なことだなと

思うに至る本がありましたので

その本について

解説をしてきました。

 

 

image

 

 

『シン・スタンダード』谷口たかひささん

 

 

ということで、

昨日は

毎月恒例の

大阪でのリアル読演会でして。

 

image

 

 

この本の解説をしてきたのですが、

はじめに申し上げておきますと、

これまでの読演会史上、

 

 

もっとも時間が足りない回

 

 

となりましたことを

ここにご報告いたします。

 

 

何故でしょうか。

僕としたことが!

存在の気配を消すことを生業としてきた

この「壁族」の僕が!!

 

 

あまりに熱が入りすぎたのか、

気がついたら

 

終了時間の2分前になっていました。

 

 

いやいや!!

 

 

まだぜっんぜん解説できてねえ!!!!!

 

 

この本ね、

全部で7章あるんですけどね。

解説できたのって、

せいぜい3章までで。

あとは、

大事なところだけを

情報として

お伝えするにとどまりました。

 

 

これって普通に考えたら

 

「金返せ」案件

 

ですよね。

 

 

半分も解説できてないんですからね。

どんだけ時間配分ヘタクソなんだと。

 

 

いやでもねぇ

それくらい熱が入っちゃったんですよ。

 

 

第1章の

「HAPPINESS」のところから、

僕の中では

フルスロットルで、

何度も何度も

同じことを

繰り返し言っていたんですね。

 

 

「おかしくないか?」

 

 

image

 

いままでは

ずっとそれでやってきたけれども、

よくよく考えてみたら

おかしいというか、

変な話だなと思うことが

たくさんあるんです。

 

 

ひとつに

デンマークという北欧の国では、

テストや通知表で

点数をつけることを禁止しているそうです。

 

 

禁止することがいいとは思わないのですが、

これが日本だと、

テストがあって

通知表があって

そこで

数字で評価されるということを

何度も何度も繰り返し

体験させられます。

 

 

そうするとどうなるかというと、

 

他人からの評価が気になってしかたがない

 

ということになります。

 

 

あるいは、

他人から良い評価を得ようとして

本来したいことじゃないことにまで

手を出すようになります。

 

 

「自分」はどこにいった?

 

 

自分が納得するとか、

自分が「好きだからやる」とか

そういう

自分軸はどこへやら。

 

 

日本人は

特に他人の目を気にするというか、

それは勿論、

他の国でもあるとは思いますが、

そういう傾向が強いような気がします。

 

「他人軸」になっちゃってるんです。

 

そして、

それを繰り返されてきた結果、

全く自分軸が育っていない

僕を含めて

そんな大人ばかりだと感じます。

 

 

この本にあるエピソードを紹介しますと、

勉強が好きな子どもがいました

その子は

勉強が好きだったので、

ずっと

学校の成績がよかったんだそうです。

 

 

成績がいいもんだから、

レベルの高い学校に進学することになり、

そこで好きな勉強に取り組むのですが、

その学校がハイレベルなもんだから、

自分よりも

成績の良い同級生が

そこにはたくさんいたんだそうです。

 

 

元々勉強が好きだったその子は、

学校で

テストや通知表で

点数を付けられて

自分よりも

点数の高い子たちがいる環境にいることで

その子たちと自分とを比べるようになり、

どんどん自信を失っていきました。

 

 

それに伴って、

あんなに好きだった勉強そのものが

嫌いになっていったそうです。

 

 

勿論、

そういう環境に行くことで

伸びる子どもたちも

いることとは思いますが、

率直に申し上げて

 

何してんの!?

 

と思いませんか?

 

 

やってること、おかしくないか? と。

 

 

点数を付けたり

数字で評価することを通して、

その子の

「勉強が好き」ということを

挫いているんです。

 

好きなものを奪ったんです。

 

点数をつけることや

通知表で評価を下すことを

批判しているのではなくて、

それに

何の意味があるの?

という風に、

それまで「当たり前」だったことについて

今一度考えてみる必要が

あるのではないか?

という提案をしているんですね。

 

 

この本には

こんなことも出てきます。

 

日本は減点方式、世界は加点方式

 

もちろん、

すべての国で

日本とは違って

「加点方式」ということはないし、

日本においても

「減点方式」ばかりではないことは

前提としながらも、

この評価の仕方には

やはり

偏りを感じざるを得ません。

 

 

「減点方式」だと

どうなるかというと、

 

「あなたは英語が得意だから、

 それは置いといて。

 逆に数学が苦手だから

 数学に取り組みなさい」

 

と言われるわけです。

 

 

そうやって

苦手な数学に取り組むことによって、

自分の苦手と向き合わされて、

それで

さらに数学が苦手になっていって、

自信を失っていって

モチベーションが下がって、

いままで得意だった教科についても

成績が下がっていく。

 

 

すべての子に

それが当てはまるわけではありませんが、

そうなることは

容易に想像できます。

 

 

日本では

得意なことはやらせてもらえない

空気案が漂っているんですよ。

 

 

そうやって

苦手なことに

意識を向けさせられて、

自己肯定感が下がっていく……

そういうシステムが

出来上がっちゃってるように

僕には感じられます。

 

 

これが逆に

「加点方式」だったら、

 

「あなたは数学が得意だから

 もっと数学を伸ばしていきましょう」

 

って言われるんです。

 

 

そしたら、

その子にとっては、

好きで得意な教科に取り組めるので、

勉強そのものが

楽しく感じられるでしょうし、

成績が伸びたら

もっと楽しくなると思います。

 

 

そうすると、

不思議なことに

得意な教科があることで

他の苦手な教科にも

取り組んでみようかなという思いが

自発的に出てくることが

あると思うんですね。

 

 

つまり、

全体的に

成績が伸びていくわけです。

 

 

そのほうがよくないか?

 

 

なんでできないところばかりを指摘して

やる気を挫かせて、

自信を無くさせているんだと思うわけです。

 

 

これも批判ではありません。

「減点方式」が

うまく機能する分野も

勿論あると思います。

 

 

ただ、

そうすることによって、

自信を持てなくさせられている

ということがあると思うので、

そこについても

一度立ち止まって

考えてみる必要は

あると思います。

 

 

そしてさらに

フランスでは

 

いじめた子が罰せられる、

 

厳罰化する法案が通ったそうです。

 

 

罰を与えるということ自体に

「それはどうか?」

と思うところはありますが、

それでも、

何故か日本だと

 

いじめられた子に問題がある

 

みたいな風潮が

あるのかなと思うんですよね。

いじめた側ではなくて、

いじめられた側に

スポットライトが当たるんですよ。

 

 

いじめられた側は

人生を棒に振るほどの心の傷を負うのに、

いじめた側は

 

「そんなことあったっけ??」

 

くらいの認識でしかなく、

なんの罪悪感も抱えずに

のうのうと生きている。

 

 

いやいや、それ、おかしくないか?

 

 

なんでいじめた側には

スポットライトが当たりにくくて、

いじめられた側に、

「問題があった」みたいな前提で

話が進んでんの? と。

 

 

これは

女性に対する暴行事件などにも

よく表れていると思います。

 

 

何をどう考えたって、

暴行をふるった側に

責任というか、

非があるにもかかわらず、

暴行を受けた女性側に

スキがあったみたいな、

そういう印象操作が

なされていることが

あるように思います。

 

 

逆じゃね?

 

 

なんかおかしいと思います。

 

 

そういう風潮に対して、

声をあげる人たちも

たくさんいると思いますが、

どこか他人事で、

そういう傾向が

良くなっていっている感じがしないのは

僕だけでしょうか?

 

 

日本では

「人に迷惑をかけてはいけません」って

言われますよね。

 

 

直接言われないまでも

そういう雰囲気というか、

「人に迷惑をかけることは

みたいな価値観が

刷り込まれているように思いますが、

これがインドだと真逆なんだそうです。

 

「あなたも人に迷惑をかけて

 生きているのだから

 人から迷惑をかけられても

 許してあげなさい」

 

という空気感があるのが

インドという国だそうです。

 

 

どちらが良い悪いではありませんが、

インドの価値観だと、

お互いに許し合う

 

寛容な社会

 

になりそうな気がします。

 

 

これが

日本にある

「人に迷惑をかけてはいけません」

という価値観が行き過ぎると

どうなると思いますか?

 

人を許すことができなくなっていく

 

と思います。

 

 

「私は人に迷惑をかけていない。

 だから

 迷惑をかけられたのなら

 相手を非難してもいい。

 私にはその権利がある」

 

みたいな感じになって、

ピリピリとした空気感が漂っている社会に

なってしまうと

僕は想像します。

 

 

「自分に厳しく」だけなら

お好きにどうぞなのですが、

「他人にまでも厳しく」なることで、

何も許さない空気感

出来上がってしまうと思うんですね。

 

 

はたして

誰がそんな社会を

望んでいるのでしょうか?

 

 

誰も望んではいないと

僕は思うのですが、

その望まない社会に

向かっていってしまっている、

そうは感じませんか?

と僕は問いたい。

 

 

それでいいの?

 

 

と。

 

 

迷惑をかけた人は

あたかも

「悪いことをした人」みたいな扱いになって、

みんなで

よってたかって、

その人を指さして石を投げつける。

そんな社会になってもいいの?

と僕は思うんですよ。

 

 

一体誰が幸せになる社会なの?

 

 

と。

 

 

迷惑をかけてしまった人は、

指を指して、

石を投げつける対象ではなくて、

みんなで

フォローするべき対象ではないかと

思います。

 

 

このように

これまで僕たちが

 

「この社会とはこういうもの」

「こういうときはこうするもの」

「母親とはこうあるべき」

「父親とはこうあるべき」

 

というような

それが「当たり前」とされてきたものに、

今一度、

 

本当にそれでいいのか?

 

と自分に問い、

そして、

いま我々が持っている価値観を

見直していく、

そういう段階に来ているように

僕は感じています。

 

 

繰り返しますが、

どれが良くて

どれが悪いか

という話ではありません。

 

 

物事には

常に

フィフティ・フィフティで

メリットとデメリットが

存在するものです。

 

 

それらを

時代の変化と共に

改めていく必要が

あるのではないかという

問題提起をしているのが

この本なのです。

 

 

そういうことを

僕の内側から

沸々と煮えたぎる熱を持って

解説していたところ、

 

 

半分も解説できていない

 

 

という事態に

なってしまったわけなんですね。

 

 

いやぁ、

あっという間だったわ。

あと5時間くらいは

軽く話せたわ。

 

 

まあ、

そんなわけで、

この本の帯にある文句なのですが

 

「日本人が生きづらいのは

 日本の常識しか知らないから」

 

つまり

「選択肢」が少ないから、

それに合わない人にとっては、

どうにもやりづらい世の中だと思います。

合う人もいるから、

それが悪いということではなくて。

 

 

でも、

合わない人たちがいるのもまた事実なので、

その人たちに

日本以外の常識を知ることで

選択肢を広げようというのが

この本の意図だと

僕は思いますので、

これまで僕たちが

「当たり前」としてきたことに

 

本当にそうか?

 

それでいいのか?

 

おかしくないか?

 

という疑問を投げかける、

そんな本であり、

そんな読演会となりました。

 

 

2時間という枠の中で半分も解説できなかったお前のほうがおかしいけどな。

 

 

そこは素直に

謝ります。

 

 

ごめんなさい。

 

 

image

 

 

次回は、

4月24日(水曜日)の14~16時です。

ぜひぜひ

ご参加くださいませ。

 

 

《終わり》image

 

 

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