パスポートを初めてゲットしたわけで、もちろん海外、飛行機は初めてである 飛行機



なので、エアーチケットなんて買ったときもないわけで・・・・・



NYまでいくらかかるのかも分からない



なんとなく分かってきたのが、新幹線チケットのように決められた定額ではないらしい 叫び



親父が自分の名前を利用して、職場で利用している旅行代理店に前から話をつけていてくれていた



で、なんだか、格安チケットが発売になるのはまだとかで、まだチケットは購入していなかった



でも、ま、やってくれるでしょう



『地球の暮らし方』を眺めても、旅行代理店の人が言うにも、私は観光で最大3ヶ月連続して滞在できるということで、もちろん往復チケットは3ヶ月後のをお願いしていた



普通海外に行くと聞くのは旅行で何泊とか1週間とかの期間が多いが、3ヶ月と聞くと、どうも長く感じられた



これは、観光じゃない、住んでるよね ニコニコ



わくわくした ニコニコ



だが、私の予定は3ヶ月を2回やり、つまりNYに6ヶ月間滞在する予定だった



出発は6月今年いっぱいはNYで過ごす 自由の女神



マジで、チケットに関しては、親父に全てを託していた



私、知識ゼロやったもん



ということで、現在4月



出発まで約2ヶ月



時間を無駄にはしてられない



私は動き出した



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私はさらに実家を離れて、親父の赴任先のマンションがある青森県弘前市に移動した 地下鉄



親父とは私が小学3年生以来単身赴任で一緒には暮らしていなかった



家を建ててから、親父は一緒に暮らしていないために、初めから親父の部屋はなかった



1ヶ月に1度の週末に実家に帰ってきてくれ、そのときは外出や外食をするのが定番でした



私が中3の頃に兄貴は実家を出て関東に行った



親父が私が高校生のとき病気になり、母ちゃんは親父の面倒を見るためによく家を空けていた



そして、私も大学時代はSNDIに出た



なので、親父と生活を共にするのは久しぶりだった



赴任先の親父のたくさんの家には多分最低1度は訪れたであろう



銀行員には移動が沢山あるのです



銀行員を親父に持つ子供は単身赴任になるのが普通でした



職場から与えられる家は単身赴任なので一人暮らし



なのにめっちゃでかい一軒家 家



ほとんどが使わない部屋だった



だが、今回のは久しぶりに聞いたマンションだった ビル



街の大通りにも歩いて行けるし、弘前公園にも歩いていける



とてもいい場所で



なんといっても20階建てぐらいの最上階のなかなかナイスなマンションだった



広さはそうでもないが、一人暮らしにはぴったりの間取り



それでも、1つの部屋は何着もある背広(スーツ)のクローゼットとして潰しておりました



さてさて、この組み合わせの家族3人は珍しかった



なんか、3人でテーブル囲んで、毎食を一緒にするって、久しぶりだった



親父がアイロンがかかった背広を着て、通勤する姿を見るのは本当に久しぶりだった



親父もどことなく、気分がよさそう ニコニコ



親父がかっこよくも見えた 目



親父が帰宅するのもいつもより早かった、らしい



私が子供のころはいつも酔っ払って、真夜中に帰ってくるのが毎日で、お母さんと寝たふりをよくしていたものだった



酔っ払っているときだけ、大声で叫ぶ怖い親父で嫌いだったのを覚えている



でも、今は病気をしてから、アルコールもやめ、規則正しい食生活を心がけていた



でなきゃ、大変になるの 叫び



仕事場も家から近い場所にあり、仕事中に漏らしてしまってズボンを替えによく戻ってきていた



本来ではオムツでも履いたほうがいいのだけど、本人は頑張りました



この頃から、親父は毎日毎食30錠ぐらいの薬を飲む生活



一生、生もの、辛いもの、冷たい飲み物、カフェインその他色々な食事制限の人生



で、病名はなんらかの難病と銘じられ、障害者手帳を渡されたのだった



このときから、親父は生命保険に加入することが出来なくなり、解約することに



詳しくは説明されていないのでよく分かりませんけど 注意



母親も色々考えることあって、大変だったんですね べーっだ!



でも、恥ずかしながらこのときの私はそれをまだ気づいてなかったと思います



それでも、親父は顔色変えずに、弱音を決してはかない普通の親父でした



そんな普通な生活が何日か続き、穏やかでした 晴れ



つうか、こんな所で休んでる暇は私にはないのだった



ラッキーなことに、最上階の特権でオープンな屋上がつかえたので、私はダンスの練習やトレーニングを屋上で毎日欠かさずやっていたのだった




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注意 新テーマ導入『渡米に向けて・・・・』

何もかも初めての経験

何かに役立つ情報があるかもです・・・



さて、海外進出するにはまずはパスポート 飛行機



これは、親父は仕事で海外出張や旅行があったので、パスポート持ってたし、母ちゃんも海外旅行は何度か行ってパスポート持ってたので、必要な書類は母ちゃんたちが用意してくれていた べーっだ!



私がしなければいけなかったのは証明写真を撮ること カメラ



スーパーにあるインスタントの写真撮るところで撮ってきた



パスポート用写真と書いてあったのでOKでしょう !?



昔のシステムなんで、一発勝負で、色合いからなんか犯罪者の様な顔 しょぼん



パスポートは5年用10年用とあったが、未婚の女性は結婚して姓が変わるかもしれないので5年用を薦められていたが、当時の私は結婚願望が全くなく、すぐさま10年用にすることを決めた



両親も、私に限って結婚はないだろうと、というか、してほしくないという希望も入りすぐさま10年用と決定 ショック!



てなわけで、10年間このパスポート写真を見なければいけないのか !? というぐらい変な写真だったが、私なりにHIPHOPダンサー風にオサレして撮った写真だった



出来上がった写真はパスポート申請用のサイズに自分でハサミで切った 



ちなみに私が海外進出準備を共にしていた教材はこちらです ダウン

ニューヨーク〈1999~2000版〉 (地球の暮らし方)/著者不明

¥2,310
Amazon.co.jp

自分は旅行ではないので、旅行書は一切買わないで、しっかりと向こうでの生活の仕方を勉強していた



母ちゃんと、書類と写真を持ってパスポートを申請しに市役所(だっけ?)に向かった



窓口で書類をもらい、母ちゃんは自分の過去の経験を生かし、昔に人からもらった申請書の書き方の見本の紙を私に見せて、『これがあるから大丈夫』と言っていたが、市役所のテーブルにはしっかりと書き方が説明されていた にひひ



書類を書き終え、いざ提出しようとしたら、なんと!!!



写真がひっかかった ショック!



当時の私の髪型はブレイズヘアーだった



それも、わざとパスポート用にかっこよく決めるためにブレイズヘアーをキープしていた



さらにちょっと根元が汚くなりはじめていたので、根元を隠すためにターバンを巻いていた



照明写真にはターバンは巻いてはいけなかった しょぼん



知らなかった 叫び



ということで、『市役所内に写真を撮るところがあるので取り直してきてください』だって



うわぁー、今日の格好最悪 叫び



ユニクロのオレンジフリース ドクロ



今日も髪の毛ブレイズでバンダナ巻いてるけど、それ外さなくちゃいけないんでしょう?



最悪 ショック!



でも、しょうがないよね



撮ったよ



めっちゃブスやった ショック!



めっちゃめちゃ、ブルーだったよ



ま、無事申請して、ゲッ㌧出来ました



費用は母ちゃんがもちろん出してくれました



このときは両親めっちゃ協力してくれた



ダンスに関して親の世話になりたくなかった私でしたが、NYに送り出すことに関しては、大学卒業しても私はいつまでも子供で、親も助けたかったのでしょう



意地でも協力したかったのでしょうね べーっだ!



私もNYで何が起こるのかも想像できないわけで・・・・・



お金はありったけ持って行きたかったので、現時点ではお金は使いたくなかったので、ありがたく両親の助けを利用しました べーっだ!



地元で、パスポートをゲットした私は当時母ちゃんは生活のほとんどを親父の赴任先の青森県弘前市で生活していたのですぐに地元を去って、親父のマンションに移動したのであった 



この時点で地元にお別れをしたのだった 





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注意 本日より新しいテーマが加わりました

大学も卒業し、学生でもなく、肩書きのない時代ですので・・・・・・




大学を卒業して、4年間お世話になった土地を離れた バス DASH!



大学デビューと自ら語るほど楽しかった時代だった



沢山の仲間に出会い、そして旅立ち



本当にお世話になった人たちと別れるのは辛かった



どこに行っても知り合いに会い、毎日が楽しかった



そんな私は実家に戻った



一気に学生時代を思い出す



毎日勉強していた自分の机



なんか、一気にダンス人生がうそのように感じられもした



一応、SNDIの友達やら生徒やら連絡は取り合っていた



みんな日本を去るまでは私とできるだけ繋がっていたいと、みんな連絡をくれたのだった



ありがたかったニコニコ



私より先に私のアパートから送られてきた家具やら電化製品が小屋にしまわれていた



NYに持っていく最低限の荷物をピックアップしながらの整頓



沢山の物を処分した



私の心の中ではもう日本には戻ってこないと決めていた自分もいたので、過去に振り返らないつもりで沢山の物を処分した



この時点で、ダンスパートナー関連のものは一切封印した



みんなを恨んでたからね 叫び



生徒からの手紙は大事に保管やらもって行く荷物に入れたのもあった



これから先、励みになるだろうから



少しの間しか実家にいなかったが、一応忙しい毎日を過ごしていた



毎日かかさず、体作りに励んだ



ダンスを休んだことのない3年間を過ごしていたので、休むとスキルが落ちてしまうと不安だったから



いよいよ本格的なNY行き準備に入ります




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私はいつも自腹で里帰りをするときはだいたいバスで帰る バス


新幹線の料金の3分の1で済むからだ チョキ



バス停は駅前にあった



私は、そこに行く前にバイト先に寄り、最後のあいさつをした



みんな良い人だった(最終的に)



1人のDJの彼を持つ社員さんは、絶対彼氏とNYに行くんだ!



そしたら会おうね !!



と言ってくれた



仲良くなるのに時間のかかった、英会話を習っている社員さんは



NYに一人旅に行ったら会おうね!



と言ってくれた



みんなとダンス教室もやったからなー



短期間だったけど、楽しかった ニコニコ



このお陰でコスメが好きになりましたしね ラブラブ! 口紅 ネイル 



駅にも別れを告げた



4年間ほぼ毎日利用した 



伊達政宗の銅像前でだいたい待ち合わせをしたものだ



地下のミスドやカフェや食堂街ではよく過ごした



何もかもの景色が思い出です



そして、バス停に向かう



そこには生徒のほとんどが来てくれたのだ



最後に、贈り物や手紙をみんな持ってきてくれた



一緒にプリクラも撮った



もう、初めから大泣きのコ しょぼん



最後のほうには私にそっくりなファッションの子が何人かいましたね



タイトなボトムに、メンズサイズのダウンジャケット、でかいリュックサックに厚底ブーツ、耳にはでかめのピアスで、頭にはターバンか何かは巻いている



WE ARE BLACKNY`S!!



時間が経つのは早かった 時計



少しの間、この場から去りたくないとも思った



何人かは夏休みにNYに行きます!という子



卒業したらNYに行きます!と約束した子らもいた



待ってるよ!!



バスが来た バス 



私はみんなに別れを告げてバスに乗り込む



彼女たちも辛いよな



こんなに安くて、今流行のカッチョェェダンスを習えるとこを失うんだもんなぁ



大丈夫かな?



生徒たちはいつまでも泣きながら、手を振り続けた



私が見えなくなるまで 



バスは街の中を走り去る 



この街にも沢山思い出がある



それは、師匠、Aさん、姉ちゃんとのだ



私がこの土地を去るときには誰もいなかった



複雑だった



バスの中ではみんなからの手紙を読んだ



中には家庭の複雑な状況を語ってくれ、私に会って、人生楽しくなったとか



私みたいになりたいです、とか



私から教わったことは一生忘れません、とか



みんな熱く語ってくれた



私は彼女らにとってこんなに存在がでかかったのか?



驚いた



うれしかった



更なる勇気が出てきた



頑張ろう



実際、今までの環境は居心地が良かった



それも、私が学生だったからだ



親からの仕送り



ここからがホントの人生のSTARTだ!!



今の時点では、全く先が分からない



実家に戻った次の日の日程すら分からない



手帳のスケジュール帳が始めて真っ白になった



明日から、プーになる ブタ



頑張ろう




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