私はさらに実家を離れて、親父の赴任先のマンションがある青森県弘前市に移動した 地下鉄



親父とは私が小学3年生以来単身赴任で一緒には暮らしていなかった



家を建ててから、親父は一緒に暮らしていないために、初めから親父の部屋はなかった



1ヶ月に1度の週末に実家に帰ってきてくれ、そのときは外出や外食をするのが定番でした



私が中3の頃に兄貴は実家を出て関東に行った



親父が私が高校生のとき病気になり、母ちゃんは親父の面倒を見るためによく家を空けていた



そして、私も大学時代はSNDIに出た



なので、親父と生活を共にするのは久しぶりだった



赴任先の親父のたくさんの家には多分最低1度は訪れたであろう



銀行員には移動が沢山あるのです



銀行員を親父に持つ子供は単身赴任になるのが普通でした



職場から与えられる家は単身赴任なので一人暮らし



なのにめっちゃでかい一軒家 家



ほとんどが使わない部屋だった



だが、今回のは久しぶりに聞いたマンションだった ビル



街の大通りにも歩いて行けるし、弘前公園にも歩いていける



とてもいい場所で



なんといっても20階建てぐらいの最上階のなかなかナイスなマンションだった



広さはそうでもないが、一人暮らしにはぴったりの間取り



それでも、1つの部屋は何着もある背広(スーツ)のクローゼットとして潰しておりました



さてさて、この組み合わせの家族3人は珍しかった



なんか、3人でテーブル囲んで、毎食を一緒にするって、久しぶりだった



親父がアイロンがかかった背広を着て、通勤する姿を見るのは本当に久しぶりだった



親父もどことなく、気分がよさそう ニコニコ



親父がかっこよくも見えた 目



親父が帰宅するのもいつもより早かった、らしい



私が子供のころはいつも酔っ払って、真夜中に帰ってくるのが毎日で、お母さんと寝たふりをよくしていたものだった



酔っ払っているときだけ、大声で叫ぶ怖い親父で嫌いだったのを覚えている



でも、今は病気をしてから、アルコールもやめ、規則正しい食生活を心がけていた



でなきゃ、大変になるの 叫び



仕事場も家から近い場所にあり、仕事中に漏らしてしまってズボンを替えによく戻ってきていた



本来ではオムツでも履いたほうがいいのだけど、本人は頑張りました



この頃から、親父は毎日毎食30錠ぐらいの薬を飲む生活



一生、生もの、辛いもの、冷たい飲み物、カフェインその他色々な食事制限の人生



で、病名はなんらかの難病と銘じられ、障害者手帳を渡されたのだった



このときから、親父は生命保険に加入することが出来なくなり、解約することに



詳しくは説明されていないのでよく分かりませんけど 注意



母親も色々考えることあって、大変だったんですね べーっだ!



でも、恥ずかしながらこのときの私はそれをまだ気づいてなかったと思います



それでも、親父は顔色変えずに、弱音を決してはかない普通の親父でした



そんな普通な生活が何日か続き、穏やかでした 晴れ



つうか、こんな所で休んでる暇は私にはないのだった



ラッキーなことに、最上階の特権でオープンな屋上がつかえたので、私はダンスの練習やトレーニングを屋上で毎日欠かさずやっていたのだった




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