大学時代にダンス教室を開いていたわたくし



実は当時、生徒の何人かが私がNYにいる間にNYに遊びに来る約束をしていた 



一番仲良くしていた高校生の女の子、現在高校3年生



バイトをして小遣いを貯めてがんばっていた



その子は親の仕事の関係で、海外には何度も来ていた



NYももちろんだ



そこで、今回はまた親の関係でアメリカに来るらしかったが、少しの間私のアパートに滞在したいとのこと



彼女と会うのは約半年ぶりだったかな はてなマーク



週に何度も会っていたので、長く感じた



しかも、生徒の子らは、私のダンススクールがなくなっていく場がなくなったんだよね



心配だった



沢山の仲間がいたときから現在の一人な私にとっては楽しみな出来事だった ニコニコ



NYには生徒たちからいくつかのエアメールをもらっていた



ありがたかった



1999年夏 晴れ



NYで日本の知り合いと再会なんて、なんて素敵なんだろう ドキドキ



楽しみだ ニコニコ




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NYに来てから2ヶ月で引越しだぁ ニコニコ



一人暮らしだぜィ チョキ



って、心細いこともあるだろうか はてなマーク



そんなの気にもしていなかった べーっだ!



場所は、マンハッタンから黄色いNラインでクイィーンズ行き 地下鉄


ステイションは終点から2つ目のAstoria Blvd(アストリア・ブルーバード)



前にも言ったが、地下鉄だが、マンハッタンを出ると外に出るので景色がいぃ ビル



このアパートの持ち主の方が荷物を全て置いて言ってくれたので、生活にも不便はない



まさにラッキーだった ニコニコ チョキ



それでは、そのアパートをお見せしましょう



間取りはストゥディオ的なメインの部屋にはキッチンがある ダウン



昔の使い捨てカメラの時代なので、写りは悪く、さらに地下なので暗いですが、小さな窓もあり、写真には写ってませんが、左に大きな冷蔵庫も完備



食器もコーヒーメーカーもレンジもトースターもライトもあります ひらめき電球



この部屋の反対側のヴューは ダウン



ソファーベッド、テーブル、写ってませんがテレビもオーディオもまたまたライトもあり、日本人らしく畳風のマットもひいてあります



この場所の左側には結構広めのバスルームでしっかりバスタブもシャワーもありますが写真はなかったな しょぼん



さらに置くに進むと、ベッドルーム ダウン



ここにも小さな窓があり、左側にはアンティーク系のクローゼット、たんすがありました



一人暮らしには十分なアパートです ニコニコ



かなり気に入りました ラブラブ!



駅を降りると、駅前にはダンキンドーナツ、バーガーキング、デリ、チャイニーズ、そして近くにはコインランドリー、スーパー完璧ですね



もっと買い物したければもっと盛んな隣駅まで歩いていけます



家賃は初め全てで$500とか払ってたかな



もともと光熱費は含まれていましたので、良かった



彼女は電話代だけ払っていたかな 電話



こんな素敵なところで、一人暮らしの新生活が始まります



楽しみだ



これからは、地下鉄でダンスレッスンを受けに行かなくてはいけないが、20分もかからなかったんじゃないかな はてなマーク



余裕です



逆に、さらにNYに住んでる感じがしてきました ニコニコ



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クィーンズのアパートを見においでよ ビックリマーク



ということで、地下鉄Nラインを使って彼女のアパートに向かった



彼女の仕事関係で夜の待ち合わせだった 星空



初めてのエリアはどことなく怖かった ドクロ



彼女はとてもサバサバしていて、たまにダンスレッスンを受けたりで、結構話の合う方だった



彼女は高校時代から親の関係でアメリカで暮らしており、これまた英語がペラペラだった



マンハッタンからそれほど遠いわけではなった



マンハッタンを出ると、地下鉄は外を走ったので、マンハッタンの景色を眺められた



綺麗だった



地域の名はアストリア



電車から外を眺めるととても賑やかそうな土地だった



途中で日本のスーパーもあったりで、日本人も沢山住んでいて人気のエリアらしかった



が、当時の私にとっては沢山日本人がいるエリアははっきり言って好きではなかった



かなりのアホな私は、逆に日本人がいないエリアに憧れていたのだった




駅の名前はアストリア・ブルーバード



彼女は駅まで迎えに来てくれた



駅から2ブロックの場所でとても近かった



マンハッタンとは違い、2、3階建ての家が並んでいる



到着すると、素敵な家



といっても、似たような家ばかりだが



が、彼女は家の正面玄関ではなく、家の横のゴミ捨て場のある鉄格子の鍵を開け、家の裏側に入っていった



そして、家の裏から地下に降りていった



当時は今もかは分からないが、NYの家の地下にはだいたい倉庫というか、ランドリールームがあり、地下を改造して家を貸し出すことは禁止されていた



地下の入り口を開け、日本の玄関らしいスペースがあり、さらにドアを開けると天井の低い部屋があった



キッチンがあるリビングルームがあり、奥に進むと、なかなかのサイズのバスルーム



そしてさらに奥にベッドルームがあった



なんか、隠れ家的でとても素敵なアパートで、私はすぐに気に入った



家具も沢山あり、彼女は、とりあえず、なんでも使っていいよ!



とのこと



たまに服を取りにくるけど、しばらくはいていいよ ビックリマーク



とのこと



電話も使っていいし



ありがたかった ニコニコ



地下とはいっても、キッチンのところには窓があり、ベッドルームの上に小さな窓があった



そりゃー一日中電気はつけなくてはいけなかったが、当時の私には全く問題なかった チョキ



楽しみだった



もうすぐ、ルームメイトとお別れ



そして、これから一人暮らしが始まるぜィ チョキ




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NYに来てから、1ヵ月半が経ったぐらいに、ルームメイトにあることを告げられた 




『私、今月が終わったら、しばらく日本に帰るんだけど』




遠距離中のアメリカ人の婚約者がいて、その人と合流して日本にしばらく行くらしかった




で、このアパートを出るらしく、となると、私は一人では家賃を払えるわけもなく、出て行かなくてはならなかった ショック!



こんなことは予想もしていなく、6ヶ月は余裕でここに住めると思っていた



どうしよう 叫び



あせった あせる



家の探し方なんて分からない ショック!



ダンススクールの掲示板に物件がチラホラあるわけだが



どうしよう・・・・・・しょぼん



と、お世話になっている方に電話をした



『だったら、次のアパート探さなきゃね』



と、普通のコメント



普通なんだけど、当時の私は『なんとかしてよ!』という、甘い考えだった



彼の交友関係の一人の女性の人が、なんと、マンハッタンの隣のクィ-ンズという地域のアパートを借りているらしく、その彼女はアメリカ人の彼氏が住むマンハッタンのアパートに入り浸っているらしく、その家に帰ってないとの事



だから、そこ使っていいよ!とのラッキーなお言葉 チョキ



しかも私が家賃を払うとは彼女にとってもラッキーだった



ただ、やはりNY=マンハッタンと思っていた私にとってはクィーンズ??だった



どんなに遠いのだろう?



危険ではないのか?



新たな展開 !!



NYでの新生活が始まる



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NYに移り住み、まだ友達があまりいない時期



親父の職場の銀行のNY支店でたった一人で働いている方にお世話になっていた



空港に迎えに来てくれたのも彼だった 飛行機



たまに電話をくれて、私の様子をチェックしてくれたりもした 電話



彼の友達はほとんどが日本人だった



それがちょっと当時の私にははてなマーク はてなマーク だった



私のルームメイトの元職場の旅行代理店の繋がりが主だった



日本人とはいえ、みんな英語はペラペラ



中にはNYで育った日本人の母親を持つハーフの女性とその日本人の旦那さんとかもいて、みんな会話は英語だった



英語がなかなか話せない私にとっては、その空間がとても苦手だった ショック!



日本語を知っている人の前でつたない英語を話すのは恥ずかしいわけで・・・・・・・叫び



たまに誰かの家で和食を作るのでと、お呼ばれされたこともあった



ダンサー志望の私にとっては大人の人たちの集まりは本当に苦手だった



と、ある日、7月の4日に花火大会があるということで、それまたこのグループにお呼ばれされた 打ち上げ花火



7月4日、"Fourth of July"、独立記念日、(インディペンデンス・デイ)と呼ばれる行事だった



この日は祭日であります



花火が見えやすい川岸を目指す人で、街は凄い人だった 叫び



歩きづらかった ガーン



ストリートを歩いてる途中、ベビーカートを押している兵藤ゆきさんを見かけた 目



小さいときから、『元気が出るテレビ!』で見ていた、兵藤ゆきさんだった



確かに当時はNYに住んでいると言ううわさはあった



ま、一人でテンションが上がっていた私だったが



長い間花火を待ち、花火を見学した



日本から来て間もない私にとって、日本では毎年花火を見れる環境だった私にとってはそれほど感動はなかった かお



とにかく人ごみが凄くて、これ以来は私はこのような行事には足を運ばなくなったのだった



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