週末、中古品買取店に行く機会があったので、その感想を・・・
車が何台も連なって、お客さんもひっきりなしに来るんだけど、売りに来るのね。
たくさんの所蔵品をどっさりとカウンターに積み上げてますけど、普通の光景なんですね。
モノ余りとはいいますが、店内もないものはないんじゃないかくらいの様々な商品に満ち溢れていて、新品へのこだわりなければ、十分なものばかりです。
日々、競争競争とモノづくりやサービスを競っていますけど、実際何か間違ってるんじゃないかと思ったりしますね。
中古品のお店でも、あると便利かもしれないけど、なくてもいいものはたくさんそろっている感じがします。
けど、テレビとかカタログとか、ネット通販とかで売られていそうなものばかりですね。
営業も、もはや必要か不必要かじゃなくて、需要を作るとかいうレベルですからね。
必要か不必要化というよりも、持ってるか持ってないかなんて話もあったりとかして、スマホは確かに必要かもしれないけど、中に入ってるアプリなんか見てると、話題に上るのはゲームとかアプリとか持ってるかとか使ってるかという話で、私のスマホもいらないのがたくさん入っているわけでして・・・
競争社会もいつの間にか行きつくところに入ってる感じがしますね。
私が生まれたころは、もう少しのんびりしていたような気もします。
モーレツ社員とかいいますけど、そんなのもいたけど、実際はスーダラ節に代表されるような状態だったと思います。
モーレツといっても、スーダラ節といっても、要は思考停止で突き進むといった雰囲気が濃厚で、緩やかさが考える人の考える時間を保っていたと思います。
そんな時間も遠くになりましたね。
棚に陳列された商品を見ながら、この商品たちの背景を探らざるを得ません。
いろんな思いがこもっているはずで、それが具現化したのですからね。
どんなものにも魂が宿るとは、古い考え方ですが、私は嫌いじゃありません。
いらないものを作る。古代は大規模建造物でしたが、現代においては膨大な廃棄物と商品群といったところでしょうか?
モノがなくて困るよりモノが余って困るほうがいいのかもしれませんが、問題はより複雑でわかりにくくなっていると思います。
努力が報われる時代は遠くになりました。
今は、結果がすべての時代です。
その結果が問題だと考える人は、まだ少ないのでしょう。