blacklighthouseのブログ

blacklighthouseのブログ

ブログの説明を入力します。

第二部 運ばれなかったもの

五 速い車輪と遅い車輪

水車小屋に、輪が二つあった。

上の輪は大きく、ゆっくり回る。下の輪は小さく、速く回る。二つは縄で繋がれていた。縄は二本あった。

一本は下から上へ通っていた。下の輪が石を噛んで跳ねると、その揺れが上へ伝わり、上の輪の歯がひとつ、削れる。削れた分だけ、上の輪は形を変える。

もう一本は上から下へ通っていた。こちらは揺れを伝えない。上の輪が何十年かけて磨り減った溝の形を、下の輪の歯を削り直すときの型として渡す。渡すのに時間がかかる。渡している間、粉は挽けない。

ある年、粉挽きが二本目を外した。挽ける量が増えたからである。

外した日の帳面には、何も書かれていない。事故ではないので、事故として記す欄がなかった。下の輪の回転数は上がり、上の輪は変わらず回り続けた。外れたことに気づく方法は、次に歯を削り直すときまで存在しない。

削り直す日が来るまで、この記述は誰にも検証できない。私にもできない。


六 鋳型を焚く

鋳物師の家の裏に、古い木型が積まれていた。

使われないものが多かった。何を鋳るための型か分からないものもあった。場所を取り、湿気を吸い、虫がついた。

寒い冬に、若い鋳物師がそれを燃やした。よく燃えた。乾いた古木はよく燃える。炉の火が保たれ、その冬の生産は例年より多かった。

翌年、新しい型を作ることになった。

型を作るには、型が要る。それが分かったのは、作りはじめてからである。木型の一つ一つに、削りの角度と、木の目の向きと、乾かす年数とが、形として書き込まれていた。書き込まれているとは誰も言っていなかった。言う必要がなかった。型がそこにあったからである。

気づいた者が一人いた。年寄りで、炉の係ではなかった。炉の係でない者の言うことは、炉の帳面には載らない。

その冬の生産高は、今も最高記録として残っている。


七 名だけが残る

遠い土地に、一人の考える者がいた。

その者は、ある語を作った。作ったのは、それまで当然とされていた何かを、当然でなくするためだった。語は否定のために作られた。何を否定したかは、その者の書いたものを長く読まないと分からない。

語は旅をした。

旅の途中で、否定は落ちた。語は軽くなり、軽くなったので速く運ばれた。運ばれる先々で、人はそれを引いた。引くのに出典は要らなかった。誰かがそう言った、で足りた。

いま、その語は市場で使われている。もともとそれが否定していたはずのものを、正当化するために使われている。使う者に悪意はない。語がそういう意味だと教わっただけである。

考える者の名は、今もその語に添えられている。添えられているのは名だけで、それ以外は残っていない。

権威とは、燃えた後に残るもののことである。軽く、白く、掬いやすい。


八 目盛りを決める者

村に、直すべきものがあった。

直すには、まず測らねばならない。それは誰にとっても道理だった。

測るには、測れる形にせねばならない。凹凸があるものは削り、揺れるものは留め、時によって変わるものは、ある時点の値で代表させる。これも道理である。

削った分には、名がついた。余剰、無駄、非効率、遊び。どれも良くない響きを持つ語である。良くない響きを持つ語がつけば、削ることは正しい行いになる。

誰も命じなかった。命じる必要がなかった。語のほうが先に村じゅうに広まっていたので、各人が自分の持ち場で、自発的に、同じ方向へ削った。

削られたものの総量を知る者はいない。知るには、削る前の形を測っておく必要があり、それを測る目盛りは、削るための目盛りが作られたときに、作られなかった。


九 よくできた秤

その秤を、粗末だと言う者がいた。

物の重さが正しく出ないからである。重い物を載せても、軽い物を載せても、目盛りは似たあたりを指した。だから、あれは壊れている、直せ、と言われた。

秤師が来て、調べて、こう言った。壊れていない。むしろ、たいへんよくできている。

その秤は、物の重さを知るために作られたものではなかった。重さを申告した者が、後で責められないために作られていた。載せた者の裁量が入らず、誰が載せても同じ値が出て、値が外れても載せた者の責任にならない。その用途に対して、精度は極めて高い。

だから直せば、その用途のほうが強くなる。よく直った秤は、物の重さからさらに遠ざかる。

村人は秤師を追い返した。粗末だと言ったのは、まだ望みがあったからである。よくできていると言われると、望みの置き場がなくなる。