空前絶後の大軍
中国・九州と西国の大大名たちをみな臣従させるといよいよ豊臣秀吉の目は関東の北条氏に向いた。関白の権威で臣従を求める秀吉に対して当主北条氏直とその父氏政は断固拒否し、1590年小田原合戦の火蓋は切って落とされたのである。
この時に秀吉が動員した大軍は空前絶後の規模だった。陸上からは豊臣・徳川・前田・上杉・真田らの軍勢が進軍し、さらに長宗我部らは水軍を引き連れて海上から来襲したのである。
天下統一
小田原城はかつて上杉謙信や武田信玄の攻撃にも耐えた天下の名城だったが約22万とされる大軍の前にはさすがに多勢に無勢だった。秀吉も無理には攻めようとせず茶会や宴会を開きながら北条氏の降伏を待ったという。そして3ヶ月後北条氏は降伏した。
さらに秀吉は奥州の諸大名に対して小田原攻めに参加したか否かで領地の没収・再配置・保障などを行い、この結果秀吉に逆らう大名は居なくなり、ついに百姓からの成り上がり者豊臣秀吉が天下統一を果たしたのである。
伊達の帰参
九州平定後、秀吉に刃向かう二大勢力は関東の北条氏と奥州の伊達氏であった。北条征伐に向かう際に秀吉は伊達政宗にも軍を率いて参加するよう命じた。これに対し政宗は悩んだ末に家臣のすすめもあって小田原に赴き秀吉への臣従の姿勢を見せた。
このとき、政宗は白装束を着て赴き、また茶の道への興味を示すなど自分の決意や不敵さを表してみせた。この態度を気に入った秀吉は政宗の臣従を受け入れたのである。