政宗の登場
二代続いた父と子の対立によって衰退していた伊達氏を再び奥州の覇者へと押し上げたのは伊達政宗の登場だった。父輝宗から19歳で家督を譲られた政宗は最上氏・佐竹氏・蘆名氏といった宿敵との戦いを繰り返して領土を広げわずか5年で奥州を制圧する。しかし政宗の登場した頃は戦国時代は終わりに近づいており、天下獲りは遠かった。
人取橋の戦い
政宗の最初の正念場となった事件は降伏した二本松城の畠山氏が条件の食い違いから隠居していた輝宗を拉致し、結果輝宗が死亡するというものであった。政宗は父の仇を討つために二本松城を攻めるが落とせず、その最中に佐竹・蘆名らの大軍に襲われてしまう。この時伊達軍8千に対して連合軍は3万で政宗は家臣の必死の働きや連合軍も佐竹氏の事情によって撤退するなどどうにか逃げのびた。
摺上原の戦い
政宗と宿敵蘆名・佐竹氏との最終決戦となった戦いであり政宗は蘆名氏の重臣を寝返らせた上で会津に攻め込み、完膚なきまでに叩きのめした。さらにその勢いで蘆名氏の本 拠の黒川城に攻め寄せ、蘆名氏を滅ぼす。周辺の敵対勢力を次々と服従させていった政宗はこの勝利によって南奥州を支配下に置いたことで奥州の覇者となった。しかしこの時にはすでに関白となっていた豊臣秀吉が惣無事令を出していた為に政宗は新たな問題に相対することになる。
