ムンク展 -共鳴する魂の叫び- 東京都美術館 | ☆♪ブラックジャックの気ままな日記♪☆

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直近では入場来館者数が60万人を超えたと。。。

 

「ムンクの叫びを背景にして、自分も叫びのポーズをするコーナー」もありましたが、行列になっていました。それなりのポーズで写真を撮るのですが、それをズームなどで撮られたら。。。オーマイガー♪

 

 

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明日で終了します。

 

エドヴァルド・ムンク 生年月日:1863年12月12日、死没:1944年1月23日 (80歳)

 

ノルウェーの画家。愛と死・孤独・不安などのテーマを象徴的に描き、表現主義の先駆者の一人とされる。版画も制作。

 

 

 

東京都美術館の特設HP

https://www.tobikan.jp/exhibition/2018_munch.html

 

 

BS日テレ ぶらぶら美術・博物館、日曜美術館、アート・ステージを踏まえて、訪問。

 

 

主なトピックは・・・

 

●ムンクは父の勧めで工業専門学校に入学。しかし次第に絵画にのめり込むようになる。進路に悩んだ末画家になることを決意したのは17歳の時。

 

●父クリスティアン・ムンクは謹厳な医師。非常に信心深く、妻を失ってからはほとんど狂信的となり、息子エドヴァルドを精神的に追いつめた。

 

●ムンクが生まれた頃、ノルウェーの首都はクリスチャニア(Christiania/Kristiania)と呼ばれていた。1925年にオスロOsloと改称され現在に至る。

 

 

●当時クリスチャニアでは無政府主義作家ハンス・イェーゲルを中心にブルジョワ的価値観を嫌う若者が集っており、ムンクもこの「クリスチャニア・ボヘミアン」。

 

 

●ムンクは本好きで、愛読した文学作品は、エドガー・アラン・ポーの「怪奇幻想物語集」、ドストエフスキーの「白痴」「カラマーゾフの兄弟」でした。

 

ニーチェも好きで、ニーチェの肖像も描いています。

 

●ムンクは生涯に多くの自画像を制作しました。写真をもとに描かれた《地獄の自画像》では、現実と空想が混ざり合っています。この頃のムンクは精神的に不安定でした。

 

 

●姉、ソフィエが15歳の時に結核で亡くなった体験を取り上げたのが《病める子》。ムンクは様々な技法で、死にゆく少女の顔のリトグラフを、繰り返し制作。色彩の異なるヴァリエーションを複数遺しました。

 


《叫び》はなぜ複数あるのか

 

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 《叫び》にはバリエーションがある。ムンク自身が「《叫び》の一作目」としているのは1892年の《絶望》である。前景に人物を配し、遠近法を大胆に用いた構図や燃えるような空の表現。これを原型として、1893年にクレヨン画(オスロ市立ムンク美術館蔵)と、テンペラ・クレヨン画の《叫び》(オスロ国立美術館蔵)を制作。1895年にパステル画ほかリトグラフが制作され、「私は自然を貫く、偉大な叫びを感じた」という文章が付け加えられた。

 
絶望 1892 キャンバスに油彩 92×67cm ティール・ギャラリー蔵

 「ムンク展─共鳴する魂の叫び」(東京都美術館)に出品されるオスロ市立ムンク美術館所蔵のテンペラ・油彩画は、確証はないものの1910年の作と考えられる。1893年に制作されたオスロ国立美術館所蔵のテンペラ・クレヨン画は、1910年にノルウェーのコレクター、オラヴ・スコウに売却された後、すぐにオスロ国立美術館に寄贈された。この売却を機に新たに制作したと考えられる。

何を描いているのか

 

 

 ムンクが「連作」を意識するようになったのは、1889年にクリスチャニアでの初個展を終え、ベルリンほか欧州各地で展覧会を開催した時期のこと。展示作業にかかわるうちに、個々の作品をまとめて一つの作品として見せる効果に気づく。そこから建築の装飾帯「フリーズ」になぞらえた「生命のフリーズ」という構想が生まれ、1点でも成立すると同時に、並べ替えるたびに異なる意味が生じる完成のないプロジェクトとなった。

 

 《叫び》もまた、「不安」を象徴する作品としてたびたび登場する。血のように紅く染まる夕暮れの空、耳を塞ぐ人物という同じモチーフを、素材や技法を変えながら繰り返し制作し、有機的に発展させていく。 

 

 人間の叫びが風景を揺り動かしているように見えるかもしれないが、自然が叫び、人間に襲いかかっているとも考えられる。ムンク自身は、フィヨルドのほとりの道を歩いていたとき、自身を貫く叫びのようなものを聴いたという体験を綴っている。


●ムンクは、ベルリンで愛と死をテーマに個展を開き、「接吻」を中心的なモティーフの一つにしました。月光が浮かぶ浜辺に、接吻を交わす男女が、一つの塊のように溶け合う絵。背景や色彩を変え、様々な技法で繰り返し制作されました。

 

 

●生命のダンス

 

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満月の夜、ダンスを楽しむ人々。白いドレスの女性は純真さ、赤いドレスの女性は成熟した愛、黒いドレスの女性は老いて愛が終わった…ことを示していると言われてます。


●ダニエル・ヤコブソン博士

ムンクは肖像画家としても人気で、この肖像は彼を治療したヤコブソン博士。腰に手をあてた堂々たる姿は博士のカリスマ性を伝えています。足元をよく見ると…悪魔の象徴とされる馬の蹄が!黄色に紫色のタッチが効いた、ダイナミックな作品。

 

 

●赤い蔦
『赤い蔦』が家を覆い、男の表情と共に不吉な雰囲気を醸しています。

 

●太陽

 

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1910年から1913年に描いた作品(47歳から50歳ぐらい)

 

ゴッホは、病んでいくと、キャンバスを塗るというよりも、ダイレクトにぶつける、肉厚な感覚。全ての作品に夫々の思いがあるから、一つに括る事も出来ない。

 

 

ムンクの太陽は流れる様なタッチ。近くで見ると繊細に描かれており、離れて見ると、太陽が海、山々などを燦燦と照らしています。

 

 


ムンクは、オスロ大学講堂の壁画を受注。白い中心から放たれる光線には科学に対する興味が表れているそう。岩山や海岸を照らす太陽は生命の象徴でもある。

 

 

●男性に覆いかぶさり、その血を吸う女性。彼女の髪も赤く染まっています。ムンクは、しばしば女性を「ファム・ファタル(男を破滅させる女)」として描きました。一つの塊となった男女は、愛の複雑さを表しているようです。

 

《吸血鬼》1916-18年cMunchmuseet


●《カーレン・ビョルスタ》1888年

描かれている女性は幼くして母を亡くしたムンクのお世話をした叔母さま。親しみと温かな愛情を感じさせる本作は、若きムンクが外光派の影響を受けたことや、優れた技量の持ち主であったことを示しています。

 

 

 

時間的な都合もあり、駆け足で眺めた感もありますが、直接見たかった作品、叫び、ダンス、太陽が特に良かった。