明治神宮 | ☆♪ブラックジャックの気ままな日記♪☆

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数年ぶりに訪問しました。

 

 

 

●明治神宮とは、

 

 

 

明治神宮は明治天皇と昭憲皇太后をお祀りする神社で、清らかで森厳な内苑を中心に、聖徳記念絵画館を始め数多くの優れたスポーツ施設を持つ外苑と、結婚式とセレモニー、パーティー会場の明治記念館とからなっています。

 

 

 

 

 鬱蒼と茂った緑したたる常磐の森は、神宮御鎮座にあたり、全国から献木されたおよそ10万本を植栽した人工林です。面積は70万平方メートル、豊かな森に成長し、国民の心のふるさと、憩いの場所として親しまれています。

 

 

 

 初詣は例年日本一の参拝者数を集める神社としても知られます。そのほか、大相撲横綱土俵入りや、こどもの祭まで幅広い祭典と行事、厄祓い、祈願をとりおこなっております。加藤清正が掘ったと言われる清正井(きよまさのいど)や明治天皇のおぼしめしにより昭憲皇太后のために植えられた、美しい花菖蒲など、多くの見どころがあります。

 

 

 

 明治45年7月30日に明治天皇、大正3年4月11日には昭憲皇太后が崩御になりましたが、国民から御神霊をお祀りして、御聖徳を永遠に敬い、お慕いしたいとの熱い願いが沸き上がり、大正9年11月1日(1920年)に両御祭神と特にゆかりの深い、代々木の地に御鎮座となりました。

 

 

 

●明治神宮の歴史と今日

 

 

 

・明治

 

 

 

明治45年7月30日に明治天皇さまが、大正3年4月11日に昭憲皇太后さまが崩御になり、御神霊をおまつりしたいとの国民の熱誠により、大正9年11月1日に、両御祭神と特に縁の深い代々木の地に御鎮座となり、明治神宮が創建されました。

 

 

 

・昭和

昭和20年4月14日、大東亜戦争による空襲に見舞われ、創建当初の主要建物は焼失しました。

 

 

 

昭和33年11月、国の内外から多くの浄財が寄せられ、神社建築の粋を集めて復興造営がなされ現在の社殿が完成しました。

 

 

 

・平成

平成5年10月13日、平成の御大典記念事業として造営の神楽殿が竣功。また、明治天皇御生誕150年記念境内施設整備事業の一環として同14年に社務所が新築されました。

 

 

 

●清正井

 

 

 

明治神宮の御苑の中に都会では珍しい湧水の井戸があります。

 

 

 

 明治神宮の御苑の中に都会では珍しい湧水の井戸があります。東京都の調査では水温は四季を通じて15度前後と一定していて、毎分60リットルの水量があり、昔から「清正井(きよまさのいど)」といわれ加藤清正が自ら掘ったとされています。では本当に加藤清正が作ったのでしょうか?

 

 

 

 加藤清正は安土桃山・江戸初期の武将で朝鮮出兵での「虎退治」の話は有名です。かなりの大男だったようで昭和10年頃東京上野科学博物館で清正の手形が展示されましたが当時の相撲の巨漢出羽カ嶽文治郎(約204cm、187kg)の手形も同時に展示され、その力士よりも手が大きかったそうです。清正は名高い武将であると同時に城造り・治水・干拓の技術にも優れていて「築城の名人」(熊本城・名古屋城)、「土木の神様」とも称されていました。

 

 

 

 「清正井」のあるこの地は江戸時代、加藤家の下屋敷があり加藤清正の子・忠広が住んでいたことは間違いないようですが、清正本人が住んでいたかは定かではありません。まもなく加藤家が絶え、その後井伊家の下屋敷となりました。

 

 

 

 しかし井伊家の下屋敷になってからも清正にまつわる伝説が伝えられ、萩の庭には清正が朝鮮で虎を槍で突いた時の血しぶきが竹の幹に斑についたとされる「清正将来の虎斑竹〈とらふだけ〉」(本当は「雲紋竹」と言われる竹の種類)や清正が園内散歩の折り腰掛けて休憩したと言われる「清正の腰懸石」があり、この石に座ったり、さわったりすると瘧(おこり・一般にマラリアを指す)になるといわれます。また清正の「手弄石」(『大日本名所図絵』記載)といって大きな岩があったとされますが、どの石のことか不明で一説には腰懸石ではないかとされています。そしてそれらの中で最も有名なのが清正が掘ったとされる「清正井」です。

 


 造営当時すでに横井戸(普通は竪井戸)であることは解っていましたが水源はどこなのか、またどのようにして流れてきているのかまったく不明でした。昔から特殊な技巧で水が湧出するのだと考えられ、今は枯れてありませんが井戸の近くにあった大杉の根元あたりに何か特別の調節装置が設けてあって、そこへ一旦水を溜めてそれが自然に噴出するような仕組みになっていると考えられ、そのような特殊な井戸を作れるのは「土木の神様」といわれた清正しかいないとする伝説が生まれたのでしょう。戦前には熊本より加藤清正の研究家が上京し、清正伝説の中に清正の掘った井戸ならば9箇所の隠し井戸があるはずと付近を実地調査したのですがとうとう発見できませんでした。

 

 

 

 

 この井戸は年間を通じて涸れることがなかったのですが、造営当時まわりの木を伐採・移し替えたら一時水が枯渇したので、またあわてて樹木を植え移し戻したら元のように水が出始めたそうです。

大正12年の関東大震災以後には大雨になると白濁になり、また昭和8年の大干ばつには一時湧水が止まりましたので昭和13年修復工事を行うこととなり、それと同時に水源調査が行われました。その結果水源は御本殿西側権殿敷地付近一帯(現在の本殿倉庫)の浅い地下水が二方向の自然の水路に流れて、井戸の上方斜面から井戸に湧出するまったく自然の湧水であることが解りました。この工事の際旧態を保つため、また水が集まりやすい様に斜面をコンクリートでおおいかぶせ集水槽導笈を新たにしました。しかし、その修復工事からはや60年近くもたち、修復当時の木造も腐朽しましたので平成8年8月30日、59年ぶりに修復工事が行われています。

 

 

 

  以上「清正井」が本当に清正が掘ったかどうかは不明ですが、昔からこの地にこれほどたくさんの清正伝説があることは何らかの深い関係があったのだと思います。昔から言い伝えられてきた伝説はすなおに受けとめ、語り継いでいきましょう。また都会では数少ない、しかも今では貴重な湧水となっている「清正井」を大切に守っていきたいものです。

 

 

 

東門から入ると、来訪外国人のお客さんがいっぱいいます。多言語対応しているような、様々な外国語を聞くことが出来ます。

 

 

 

 

 

 

 

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現在は修復工事を行っています。

 

 

 

 

 

 

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以下、東門から大鳥居に向かって、右側に日本酒、左側にワインが供えられています。

 

 

 

 

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歩くこと10分ぐらいで大鳥居に到着しました。これは、大きく、迫力があります。

 

 

 

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御社殿に到着すると結婚式が行われていました。ご結婚おめでとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

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最後に「清正の井戸」を拝見しました。後ろから自身の姿を映すと良いらしいと・・・。この井戸に至るまでに徒歩で約18分ぐらいですが、途中で明治天皇が皇后さまのために創られた御屋敷、御釣台など、季節によっては菖蒲田が拝見出来ます。

 

 

 

 

 

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都会の喧騒を忘れさせて頂ける明治神宮に感謝♪