サイクリングコースにあるお花屋さんです。
こちらのお店は、ご夫婦で経営されています。
個性的に感じるのは、何処で育ったものなのかを、きちんと表示されている事。
これって、意外と無い情報だと思います。たぶん、面倒くさい、プレートに書くスペースが無いからという人もいるでしょう。
でも、やれば出来ると思うんだけどなぁ・・・
生産者と直接取引をしているので、値段もリーズナブル。逆に珍しいものは早く売れてしまうので、予約注文する人が多いとの事。
親父さんは、話しやすい人で、ちょっとした質問をして分からないと、お母さんに聞いて、それでも分からないと、パソコンで調べてくれます。めっちゃフットワークが軽くて、優しい表情にも癒されます(*^^*)
因みに今月開催されるお花イベントの無料チケットも貰ってきました。確か当日券は1500円(前売り1000円)ぐらいだったかな。
今日は「蛍の光 AULD LANG SYNE」を取り上げます。
作詞:ロバート・バーンズ
作曲:スコットランド民謡
訳詞:稲垣千穎(ちかい)
1.蛍の光 窓の雪
書(ふみ)よむ月日 重ねつつ
いつしか年も すぎの戸を
あけてぞ今朝は 別れゆく
2.とまるも行くも 限りとて
かたみに思う 千(ち)よろずの
心のはしを ひとことに
さきくとばかり 歌(うと)うなり
3.筑紫のきわみ 陸(みち)の奥
海山遠く へだつとも
その真心は へだてなく
ひとえにつくせ 国のため
4.千島のおくも おきなわも
やしまのうちの まもりなり
いたらんくにに いさおしく
つとめよわがせ つつがなく
この曲が日本の曲だと思っている人は多いようです。
今歌われているものは東京師範学校の教員、稲垣千穎という人が作った替え歌の1番と2番なのです。(1881年に発表。)
さらに戦前は3番と4番まであったのです。あえて掲載させていただきたいと思います。本来は、決してしみじみと歌うような歌ではないのです。何故廃止されたかは歌詞を見ればご理解いただけると思います。
ほたるの光は「大韓帝国」の国歌であった時期もあるそうです。
少し深堀すると、明治期から戦前にかけて、「唱歌」は教科名と歌のジャンル双方を意味するものでした。厳密な意味での「文部省唱歌」が誕生した頃には、唱歌は教育目的で作られ、学校で教わる歌という認識が一般的になっていた。
唱歌の成立、発展にとって「音楽取調掛」の果たした役割は計り知れない。御用掛の伊澤修二とお雇外国人メーソンを中心とした取り組みは、全3編から成る「小学唱歌集」の編纂・刊行によって結実します。この唱歌教科書に収録された曲の多くは、外国曲の旋律に日本語の歌詞を付けたもので、「蝶々」、「螢(現在のほたるの光)」、「霞か雲か」、「仰げば尊し」、「才女(原曲はアーリー・ローリー)」など今日まで歌い継がれている歌も含まれている。
明治二十年、音楽取調掛は東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)と改称・改編されます。以後、戦前、戦中を通して、滝廉太郎、言文一致唱歌の田村寅蔵、唱歌教科書編纂に深く関わった吉丸一昌、高野辰之、岡野貞一、小松耕輔、下総皖一など、東京音楽学校出身の音楽家、ゆかりの文学者たちが唱歌の創造、発信の中核を担った。
高野辰之は、朧月夜、春の小川、紅葉の作詞を担当した。元々は国文学者で約170曲もの唱歌や校歌を製作した。春の小川は、代々木公園の下を流れる小川を歩きながら作ったと言われています。故郷の長野県中野市と晩年を過ごした野沢温泉に記念館があります。
尚、春の小川は、時代ごとの教育方針等によって詩が改作されてきたという点でも、唱歌の典型とも言えます。因みに「我は海の子」は七節から成っていましたが、後半部は軍国主義的な内容も含まれていたので、戦後は四番以降は削除されています。
