新年1月・4日!
4日と言えば! お正月!!
というわけで、だいぶん過ぎてしまいましたが、令和4(2021)年、明けましておめでとうございます。
そして本日付けをもって、このブログの名称を『メタル・スピリット』から『ネトウヨ戦記』に戻しました。
2nd Seasonとか謳っていますが、その方がエレガントに見えるのでそうしただけで、深い意味はありません。
というわけで、この男がネット右翼、略してネトウヨのオッスオラ極右ですよろしくお願い致します。
正月の三が日は終わっちまいましたが、お前達メタラー改めネトウヨはもう初詣は済ませて参りましたか?
アレはやっぱりいいモンですね。
何がいいのかと言われると困りますが、何となくいい感じです。
アレは一応神様にお願いとかお祈りとか挨拶とか、そんな目的でやる事だと思っていましたが、中にはちょっと変わった人もいて、自称高校教員で「俺は文化財を見て凄いと感心するために行ってるんだ!」という方も見かけました(笑)
そういうマニアックな人はそれでいいと思うんですが、じゃあ我々日本人改めネトウヨって、果たして神様の存在を信じてお参りしてるの?、という話ですよね。
お前らはどうですか?
昨今の世知辛いこのコンクリートジャングル社会には、神も仏もいないとか思ってないですか?
まず大前提ですが、ハッキリ言ってよほど特殊な能力を持っている人でもなければ、神仏の存在など知覚する事は不可能だと思っています。
従って、個人的に問われれば、それは分からないとしか言いようがないんですね。
ここ日本における現代的な考え方として割と一般的なのは、神も悪魔も人の心の中にあるもの、というものではないでしょうか。
一言で言えば、神様というのは概念であるという考え方です。
我々はネトウヨである前に人なので、これは非常にもっともらしい説に見えます。
ですが、やはり日本人と言うかネトウヨ的には、神様=概念っていうのも、ちょい違和感を感じます。
日本には八百万の神というネトウヨ理論があって、それは「万物に神が宿る」という見方にも繋がっているのです。
神社に神様がおわすなら、トイレにも神様がおわすという考え方です。
これはキリスト教やイスラム教的な一神教からすると、ちょっと信じられないどころか異端でしかない見方らしいんですが、日本では子供の頃から割と当たり前のように教えられている事ではないでしょうか。
これを概念の一言では、ちょっと片づけられないと思うんですよね。
それに概念とか言ってしまうと、何でも分かった気になってるように見えるじゃないですか。
そんな風にハッキリ言えるほど、我々ネトウヨは神の存在について知っていると言えるのでしょうか?
馬鹿か!!!
というワケで、そんなお馬鹿な我々ネトウヨ人類にとって、神という概念について確実に言えるのは、まず「畏れ」であるというのがより正しいのではないかと思います。
結局概念とか言ってしまいましたが、解釈は違えど、神様的な概念が世界中にあるのは確かなんですよね。
大体は、人間の中で神の声を聞いてそれを代弁するという感じで伝えられているようで、古代からそういうのがある以上、神などいないというのは誰にも断言はし難い筈です。
一応日本でもその昔は卑弥呼サマという女の人がいて、神様の声をダイベンみたいな事をしていたらしいんですけどね。
邪馬台国自体がどこにあったのかは諸説あるようですが…
畏れは、ただの恐怖心とは違って、畏敬の念などと言われるように、敬う気持ちなど色々と内包していると思います。
自分には分からないこと、知覚もできない事に対する畏れ敬う考え方は、非常に尊ぶべきことではないでしょうか?
だからここ日本では、仏教もキリスト教もイスラム教もアーレフも全て受け入れる事が出来るんですよね。
いわば、究極の多様性、これこそが本当のダイバーシティではないでしょうか?
まあ一神教的なものがそういう日本の多様性をブチ壊しそうになっているなら、断固として戦うべきでしょう。
それが俺たち日本人…、ひいてはネトウヨであるお前達の仕事ではないでしょうか?
だから頑張れ!
頑張れ!
たのむ、がんばれ、がんばってくれ!
俺はいつでもお前らネトウヨ日本人の事を見守っているぞ。
ドイツもコイツもネットネトにしてやんよ!
面白カッコいいぜ!!