黒田伸公式ブログ「世界が平和であること」

黒田伸公式ブログ「世界が平和であること」

北海道を拠点にするジャーナリスト黒田伸が戦争や差別のない世界を求めてさまざまな視点からリポートや問題提起します。

Amebaでブログを始めよう!

お正月に欠かせない箱根駅伝

ただ今年は、格別ですね。

 

昨年から北広島市でコミュニティFM放送の制作会社「きたひろボールパークラジオ」を立ち上げたのですが、金曜日の1500から1655までぼくの番組の中で山梨学院大の駅伝優勝メンバーで、沖縄宜野湾市の不動産会社代表の比嘉正樹さんと毎週、電話で話しているからです。

 

比嘉さんのことを、北方ジャーナルの「筆刀両断」というコーナーに書きました。

 

内容は次ようなものです。

よかったら、読んでみてくださいね。

 

■北方ジャーナル 2021年1月号

スポーツ筆刀両断 五輪マラソン 観客抑制、有料化に物申す!

 コロナ禍の中で来年夏の開催を目指す東京オリンピック。暑さ対策から札幌で開催されることになったマラソン・競歩競技の沿道や発着地点の観客数を抑制しよとする動きが出ている。屋外競技を見る観客に、感染リスクはどれほどあるのだろうか。北海道マラソンで好成績を収めた沖縄出身の元選手とともに考えた。
 政府と東京オリンピック・パラリンピック組織委員会は、札幌でのマラソン・競歩競技について、沿道や発着地点の観客数を抑制する方針だという。11月に入って感染者数が急増している新型コロナウイルスの感染収束が見通せず、密集を避ける対策が必要と判断した。
組織委の森喜朗会長は11月18日の記者会見で「参加者の安心のため、集まる場所は何らかの制限をしなければいけない」と述べ、「札幌、北海道のみなさんにまず自主的に考えていただくことが大事だ」として、実務者会議などで協議するよう促した。
では実際にどんな方法で制限しようとしているのか。関係者によると、一定の間隔を開けて見てもらうだけでなく、発着地点や周回コースのいくつかの地点に十分な間隔を持った有料席を設けるなどの案が浮上しているという。
マラソン・競歩競技は沿道でだれでも観戦することができ、道民がオリンピックの白熱したレースを目の前で見ることができる数少ないチャンスとなるはずだった。
 だが、コロナ禍は各地の大会開催に影響を及ぼした。2021年1月の大阪国際女子マラソンや東京箱根間往復大学駅伝は、沿道での応援自粛を呼び掛けている。応援自粛を要請した今年3月の東京マラソンでは観客が約7万2千人に上り、感染を心配する声もあったが、実際に感染が拡大したという話は出なかった。
 感染を心配するあまり、過剰すぎる制限が続いているのではないか。かねがねそんな疑問を持っていた筆者と同じ意見を持つ元トップ・ランナーがいる。
 資生堂所属のランナーとして1995年に3位、1998年に2位といずれも北海道マラソンで日本人として最高の成績を収めた比嘉正樹さん(51)だ。
 出身地の沖縄県宜野湾市で不動産会社を経営しながら、江別市のマラソン大会の運営を手伝ったり、北広島市の地域FMで毎週「沖縄の風」というコーナーを担当するなど、思い出ある北海道との縁が深く、11月下旬に来札し、筆者と2人でオリンピックコースを視察した。
 コースは大通公園をスタートし、中島公園前を左折、幌平橋で豊平川を渡ったあとに、平岸街道から再び豊平川を渡り、創成川沿いを北上して北24条通を左折。新川通に出て北大に向かい、北大構内を通って大通公園に戻る。
前半の約20キロに続いて、創成川から北24条、新川通、北大構内という北側約10キロだけをさらに2周してゴールするという変則の3周回コースだ。
さっぽろテレビ塔は、通常は時刻を表示しているが、北海道マラソンの時にはスタートと同時にタイム表示に替わる。オリンピックでも全員がゴールするまで刻々と電光掲示板の数字が変わるはずだ。
正式にコースの公認を得るために組織委は11月10日未明に計測。世界陸連の計測責任者デビッド・カッツ氏と日本陸連の計測員3人ら関係者と警備員合わせて約100人で行なった。
 交通量が減る午前1時ごろから4時半ごろにかけて実施。カッツ氏をはじめとした計測員4人が専用の計測器を取り付けた自転車で、テレビ塔前を出発し、コースを4区間に分けて精密に計測した。
 このコースを比嘉正樹さんと車で走ると、「よく考えられたコースですね」という言葉が返ってきた。
 前半の豊平川を渡って平岸通を走ると両側にある商店街やマンションの窓からの観客の応援が目に浮かんだ。南7条大橋を渡るときには、豊平川上流とその向こうに連なる恵庭岳などの山々が選手の心を癒すだろう。
 さらに比嘉さんが指摘したのは周回コースに入ってからの15、25、35キロの3地点がほぼ同じ場所だということだ。19、29、39キロの3地点もほぼ同じで、そのため計測や給水などの作業が効率的に行なえる。
 札幌のオリンピックコースは選手にとっても、観客にとっても、大会運営者にとっても、負担が少なく、楽しめるコースになっている。
 工夫がされた苦心のコースを走る選手たちを、間近で見ることはできないのだろうか。比嘉さんは、コロナ禍で自らが関わっているいくつかのマラソン大会が延期や中止になったことを受けて、各地のマラソン大会の実施状況や予定などを調査。すると、2021年冬から春のシーズンに感染予防対策を取りながら、全国で大会を開催する方向で調整が続いることがわかった。
 「これまでランニング大会で感染が広がったという事案は出ていませんでした。観客もマスクをしているのなら、屋外の競技なので感染が広がる可能性は少ないはず。札幌のオリンピックコースは自然豊かだし、東京に比べれば密集になることもないでしょう」と比嘉さんは指摘する。
 札幌での本番の際には、有料の座席も検討されていると聞く。YOSAKOIソーラン祭りの際に、大通公園の南北の通りに、鉄パイプで組み上げた観覧席が設けられるが、あのイメージで有料席が造られそうだ。
 お年寄りや体の不自由な人が安心して観戦できる有料席設置を全面的に否定するつもりはないが、多くの道民や子どもたちにオリンピックとマラソン・競歩競技の楽しさを伝えていくためには、なるべく有料席は少なくし、無料で白熱したレースを目の前で見られるようにしてほしい。

 

 

新型コロナウイルスの感染拡大による・・・・

と書くのは、今年6月くらいまでことだったでしょうか。
 
だんだんと、面倒になり、いまは「コロナ禍」という書き方を覚えてしまいました。
 
禍、という文字を使ったのは、ここ20年くらいなかったような気がします。
 
この禍は、さまざまな社会のひずみを生みだしています。
 
病に倒れるのはいつの時代も、貧しい人たちから、と思っていたら、意外にそうではありませんでした。
 
いわゆる芸能人だったり、スポーツ選手だったり。
 
2020年春は、そんな話題ばかりでしたね。
 
そして、いま、
 
本当に貧しい人、社会的な弱者にコロナ禍が差し迫っています。
 
雪道を杖をつきながら歩くマスクをしたお年寄りを見ると、なんとか、してあげなければ、と思います。
 
 
久しぶりに、このブログを動かしてみました。
 
しばらくごぶさたの方、また読んでくださいね。
 
 

北海道の西の端に泊原発というPWR型の原発があります。2012年5月5日に3号機が定期点検に入り、原子力規制委員会の審査が長引いているため、7年間動いていません。その間、北海道は原発がなくても十分生活ができることがわかりました。地球はいま、火山の活動期に入ったという見方が一般的です。昨日のNZ,イタリアでもそうです。日本でも南西諸島の火山活動が活発化しています。泊原発は、国内でも有数の「要らない原発」だと思います。国内一の、必要ない原発と言っていい。泊原発の特集記事を書いてからすでに6年になるでしょうか。北電の悪口を書いているわけではありません。北海道にとって、致命的な打撃を与える泊原発の現状を知ってほしくて、連載を続けています。ブログに、今月号の記事をアップします。これも長いのですが、北電の経営の話を書いています。来月号は今月15日に発売になります。北方ジャーナルに書いています。

 

 

 

■泊原発は必要なのか
藤井新体制で「廃炉」を決断できるのか(4438字)
 新電力への顧客流出が止まらない中で、北電は6月下旬、4年半ぶりにトップが交代し、藤井裕社長(63)のもと、新体制をスタートさせた。10月30日の中間連結決算の会見で、藤井社長は電気料金の値下げについて「泊原発の再稼働後だ」と明言するなど従来の原発再稼働方針を踏襲する姿勢に終始。新たな顧客サービスも打ち出したが、これだけでは、ますます道民の北電離れが続くのではないか。(ジャーナリスト 黒田伸)

 

 


 10月30日午後に札幌市中央区の北電本社ビルで行われた2019年度上半期(4~9月)連結決算の記者会見。6月下旬の取締役会で副社長から昇格した藤井社長にとっては、マスコミを前にしての初の決算報告だった。
 集まった報道陣は20人余り。3・11のフクシマの事故後、2012年5月に泊原発が運転を停止してからは、中間決算の発表などでもテレビ各社のカメラが会見のすべてを撮影している。
 北電側は、執行役員の名畑優・広報部長が司会をつとめ、社長の左手には山田克洋・経理センター長、山本温仁・販売推進部長が座り、さらに関係部署の社員数人が左手に控えて、まるで株主総会か、国会答弁の際の政府側理事者のように質問者の一言ひとことを聞き漏らさないようにペンを走らせている。
 藤井社長は淡々と資料を読み上げるものの、決算内容は予想以上の「悪化」だった。
 本業のもうけを示す営業利益は前年同期比39・2%減の145億2千万円。さらに純利益は19・5%減の79億3100万円と、大幅な減収減益だった。増収増益が至上命題の上場企業において、純利益が昨年に比べて2割も減少するという事態に社長就任4カ月で臨んだ藤井氏の心境はどんなものだったのだろうか。
 売上高を見ると、3494億4700万円と前年同期に比べて約16億円、0・5%減。これは水力発電量の減少による火力発電の燃料費の増加分である105億円が利益を圧迫した形になっている。
 藤井社長は、雨不足による水力発電量の減少に加えて、電力自由化による新電力への顧客流出をその原因に挙げた。
 2019年度の通期での見通しについて「小売販売電力量に変更はないものの、他社への販売電力量の減少などにより」前回予想した1年間の売上高7700億円から7550億円と約150億円も見通し額を後退させている。修正した経常利益は当初から40億円少ない300億円程度としている。
 北電が今置かれている立場は、マイナス成長。北ガスなど、新電力の攻勢が強まる中で、道民の北電離れが一層、進んでいるはすだが、そうした数字はなるべく小出しにしたり、関連会社との経理上の操作でショックを和らげようとしているように見える。企業として当然のことで、実態はもっと深刻かもしれない。
 北電は泊原発停止後、2度にわたる電気料金値上げにより収支の改善を図らなければならなかった。道民の強い批判の中で、強行してまで黒字確保に動いた。数字上は、今回で6中間期連続の黒字となっているものの、原発の稼働を前提にした経営計画では収支が改善する材料に乏しい。全国で一番高い電気料金は依然としてこのままなのか。
 藤井社長は、こうした現状を質問した記者に対して、「約束しているとおり泊原発が再稼働したら本格的に値下げを検討する」と強調した。テレビニュースでもこの部分を放映した局が多いが、うがった見方をすれば「だから、早く泊原発を動かして」という道民へのメッセージにも取れる。
 藤井氏は昨年、胆振東部地震によるブラックアウトと呼ばれる全道停電を経験し、その現状や復旧状況について、副社長としてマスコミ対応に当たった。
 藤井氏就任にはどんな狙いがあったのか。社長就任時に北電がマスコミ向けに配布した資料などからその人物像が、ある程度わかる。
 1956(昭和31)年、美唄市生まれ。宇都宮大学工学部電気工学科を卒業後、1981年に北電に入社。送電部門を中心とした公務分野を長年にわたって担当し、旭川支店に勤務していた2000年春に知床半島で発生した鉄塔倒壊事故の際には、送電グループのリーダーとして、現場に赴き、地域住民との対応にも当たった。停電が回復してから「ありがとう」という住民から感謝の言葉が心に残っているという。
 2007年に室蘭支店長、2010年に人事労務部長に就いた。もともと技術畑を歩きながら、「温和で調整型の人柄」というのが社員の受け止め方だったらしい。
 2014年に上席執行役員お客さま本部副本部長、ビジネスサポート本部副本部長、流通本部副本部長などを歴任している。
 ブラックアウトという重大な事態を招いた際、報道陣から責任を追及する厳しい質問が飛んだ時にも、丁寧に技術的な説明を続けた姿が印象的だった。今年6月下旬の株主総会で一部の株主から「ブラックアウトは、不可抗力とでも言っているようだ」と、厳しく詰め寄られた時も、周波数の問題などを身振り手振りを交えながら冷静に対応した。
 社長就任後、座右の銘を尋ねられると、「人とのつながりを大切にしていきたい」と、「一期一会」を挙げている。
 そうした親しみやすさを感じられるトップでありながらも、今回の記者会見では「お役所よりお役所的」と言われる北電の体質がのぞく。この日も、社長よりも周囲の緊張感が伝わる会見だった。
 まず、1階ロビーで、受付を済ませると、入館許可のカードが配られ、首からぶら下げる。7階の会見場では、会見が始まる約30分前に資料が配付され、それに沿って、藤井社長が資料を読み上げる。

 


 こうしたスタイルは、少なくとも3・11のフクシマの事故後、同じように続いていて、1時間をめどに広報部長が会見を終わらせる。
 減収減益の報告が続く会見で、藤井社長の声のトーンが少し、明るくなったのが北電の新しい電気料金プラン「エネとくポイントプラン」の申込受付とスタートキャンペーンについてのプレスリリースを読み上げたときだ。
 藤井社長が「これで新電力と対抗できる」と会見で言い切った、その中身とは、いささか寂しい内容。と、いうより顧客の目を惑わしている、とも思える中途半端なものだった。
 キャンペーンの対象となるのは、一般家庭や事務所などで「従量電灯B」という契約をして10~60アンペアに該当する顧客。そしてインターネットなどで「ほくでんエネモール」というポイント制度に登録する必要がある。
 すると、基本料金が従来のものより月額110円割り引かれ、毎月の電気料金200円につき、1ポイント(1円相当)が貯まって、100種類以上の商品に交換できるほか、道内のスーパーや量販店、また携帯電話会社のポイントシステムに移行できるようになっている。
 仮に毎月の電気料金が7900円程度の場合、毎月110円安くなるから、年間で1320円安くなり、ポイントは約40ポイントが1年分で480円程度つく。これにウェブ上のエネモールのコラムを読むと5ポイントずつが加算されるサービスを利用して年間240回読めば、年間1200円相当のポイントがもらえる。これらのサービスをトータルすると年間3000円程度安くなる計算だ。だが、ちらしにはその倍の「年間で最大6000円(相当)おトクに」と書かれている。
 そのからくりは、こうだ。2020年2月16日までのキャンペーン期間中に、次の2点の条件を満たしたうえで1000人だけが3000ポイントを受け取れる抽選がある。
 2点の条件とは①期間中にエネとくプランに加入し、2020年4月末までに「ほくでんエネモール」のポイント会員に登録する②2020年4月分の電気料金にエネとくポイントプランが適用になっている客―。
 運よく当たっても商品券が送られて来るわけではなく、「2020年5月のポイント付与をもって代えさせていただきます」と、小さな文字で書かれている。
 いったい、このエネモール会員になる利用者は何人いるのだろうか。全道の北電利用者数のうち、たった1000人しか当たらない3000円相当のポイントを含めて、ようやく「他社に十分対抗できる」(藤井社長)年間6000円相当分のサービスが受けられる。


 実際に確実に安くなるのは、年間3000円分だけ、というわけだ。それも、こつこつとエネモールのサイトを開き、時には必要のない観光コラムやグルメコラムを読まなくてはならない。
 このプランを利用者に周知させるために、いったいいくらの宣伝費をかけているのだろうか。
 すでにテレビのスポットCMで流れている「ゼンリョク宣言ほくでん」。NHKの朝の連続テレビ小説「べっぴんさん」(2016年後期)でヒロインを演じた芳根京子(22)を起用して、旭川出身の俳優音尾琢真(43)と掛け合いでで、「エネとくプラン」を宣伝している。
 北電としては、サンリオのキャラクター、ハローキティを登場させて以来の大々的な宣伝で、大手広告代理店が制作していることは、間違いない。「ゼンリョク宣言」には、YouTubeで公開している特別編やCM撮影の模様を追った「メイキングムービー」もあって、広告代理店が相当の金額を充てて制作したことがうかがえる。おそらく俳優への出演料や大掛かりな撮影費用を含めると、総額は数千万円に膨らんでいるはずだ。
 気になるのは、その閲覧者数。株主総会とほぼ同じ6月下旬に公開されたにも関わらず、視聴回数は6000回ほど、チャンネル登録者数も1000人台にとどまっている。
 この数字をどう見るかは、さまざまな考え方があるかもしれないが、フェイスブックやツイッターなどのSNSを利用して、「ゼンリョク宣言」と盛んにPRしている割には、関心度は低い。前述したように、抽選にはずれれば、年間3000円相当の割引にしかならない北電に対し、道民の反応は鈍い。これで新電力の攻勢を跳ね返すことができるのだろうか。
 北電がいま、本当に「全力」で立ち向かっているのは、原子力規制委員会に泊原発敷地内の「F―1断層」が活断層ではないとする従来の主張をいかに裏付ける資料を作成できるか、だ。
 F―1断層を巡っては規制委が今年2月に「活断層であることを否定できない」とする見解を示したため、北電は5月から追加調査を行って、南北2カ所の開削調査箇所から得られたデータを基に、いずれも活断層には該当しないと、主張した。
 これに対して、規制委は11月上旬の審査会合で調査結果に対する見解を示した上で、泊原発でF―1断層に関する現地調査を行うことになっている。
 もし、この調査で北電が規制委を納得させることができなければ、泊原発再稼働に向けた審査はさらに長期化するどころか、打ち切りになる可能性もある。
 再稼働の困難さについては、経営のトップに立った技術畑の藤井社長が、社内の誰よりも知っているはずである。

円谷幸吉、ご存じですよね。

東京五輪マラソンが札幌開催になり、円谷と札幌の知られざる糸を手繰ってみました。

今月15日発売の道民雑誌「月刊クォリティ」に特集記事を書いています。さわりの部分をちょっと。

 

1964年の東京五輪で銅メダルを取りながら4年後のメキシコ五輪での国民の期待に耐えられず、68年1月9日に剃刀を頸動脈に当てて自死した円谷幸吉。実は札幌は思い出の地であり、悲劇の発端となったエピソードを持った因縁の地だった。


 もともと1万メートルの五輪代表を狙っていた円谷。五輪2カ月前の札幌合宿で、タイムスマラソンに挑戦し君原に次ぐ2位。その夜は君原と円山公園でビールを飲んで祝杯していた。数日後の1万の記録会では日本記録を出していた。


 自衛隊体育学校の畠野コーチと二人三脚でつかんだ五輪の銅メダル。しかし、腰痛などのために体はぼろぼろだった。メキシコでのメダルを期待され、全国各地で講演をしたり、自衛隊のPRに使われたり。交際していた自衛官の女性とも上司の命令で結婚できず、その畠野コーチは、結婚に反対した上司に反発し、真駒内駐屯地に左遷されていた。
 直後に自死。「おとうさま、おかあさま、おいしゅうございました」の遺書は三島由紀夫や川端康成も「究極の文学」と論評した。日本五輪史に残る悲劇は、その後、ずっと日本陸上界の最大の悲劇、痛恨のでき事としてひきずっていた。もし、円谷も畠野コーチとともに札幌に転勤していたら・・・。

<ぼくと君原さん。2年前のマラソンフォーラムで僕が司会をしました>


 再び2020の東京五輪で日の丸を、と君原氏の遺族。予定外の札幌開催となったマラソンだが、円谷が生きていたなら実は、大歓迎ではなかったのか。円谷は、東京五輪後2年後の1966年、北海道の成人式で新成人に配布する「成人の書」に長文の回想記を寄せていた。

ハワイ、オアフ島の真珠湾にあるアリゾナメモリアル。アメリカの戦艦アリゾナが、78年前に日本に奇襲攻撃をかけられて、沈んだままになっていて、岩壁にある戦争記念館には年間100万人以上が訪れる観光スポットになっています。ここに何回、行ったことでしょう。道内雑誌の北方ジャーナルに連載している「戦争遺産の旅」で、昨年12月に書きました。

ちょっと長くなってますけど、もしよかったら、読んでみてください。

 

 

すごく、長いですよ。5000字以上ありますから、お時間のある方は、どうぞ。

 

 

 

■戦争遺産の旅 ハワイ真珠湾 アリゾナ記念館

 1941(昭和16)年12月7日は、日本国民にとってもアメリカ国民にとっても忘れてはならない日だ。大日本帝国海軍がハワイ・オアフ島のパールハーバー(真珠湾)を奇襲攻撃し、太平洋戦争が始まった。戦艦アリゾナは、その攻撃で沈没し、戦後は慰霊施設「アリゾナ・メモリアル(記念館)」として一般に公開されている。開戦から77年目を迎える2カ月前にハワイのこの施設を訪れると、以前に訪れた時とは、展示内容が変わり、「和解」のキーワードを読み取ることができた。(ジャーナリスト 黒田伸)

 ハワイは年齢を問わず、日本人にとって人気のリゾート地だ。オアフ島はホノルルにホテルや商業施設が集まっているが、真珠湾は、空港からホノルルへと向かう方向と反対側の西側にある。
 10月上旬、レンタカーを借りて高速道路を走り、ホノルルから約1時間ほどで記念館に着くはずだった。ところが今回もまた、過去3回と同じように道を間違えて、少し先の海軍基地につながる橋を渡ってしまった。
 入口に屈強そうな警備員がいる。「アリゾナ・メモリアルへの道を間違えてしまった。アイム・ソーリー」と話しかけたが、無表情で「ナビゲーション」とだけ言って車の中を指差す。ナビで調べろ、と言っているのだ。
 「いや、わかっているけど、英語表示だから分からなかったんだ」とこちらもムキになって反論するが、一向に笑わない。
 オアフ島は、高速道路が島内を東西、南北方向に走り、車で飛ばせば、半日ほどで回れる島だが、あちこちにアメリカ軍の基地があって、よく迷い込んでしまう。
 日本が奇襲攻撃を仕掛けたとき、ハワイは州としては独立していなかったが、アメリカにとって太平洋上に浮かぶ不沈艦としてアジアへにらみを利かせる島だった。
 真珠湾攻撃がなかったら、悲惨な太平洋戦争が4年近くも続くことはなかったし、300万人を超える戦死者が出ることもなかった。同じ過ちを繰り返さえないためにもパールハーバーは日米両国民が忘れてはならない場所である。だから、私はハワイに来るとなるべく寄ることにしている。
 レンタカーで再び来た道を戻り、アリゾナ記念館に着く。入口にはサングラスを付けた男が2人いて荷物チェックをしている。一帯は国定公園になっていて、大きな荷物は持ち込めない。荷物は1個3ドルで預ける必要がある。
この施設を簡単に説明しよう。公園全体は「パールハーバー・ヒストリックサイト(歴史遺跡)」となっていて、その主要施設がアリゾナ記念館だ。
正式には「USS Arizona Memorial」。USSは、United States Shipの略でアメリカ海軍の艦船の接頭辞として使われる。
大日本帝国海軍による真珠湾攻撃で、乗組員1177人のうち、1102人が死亡した。その後、撃沈された戦艦アリゾナと乗組員を追悼し、真珠湾攻撃の記憶をとどめるための記念施設となっている。
長方形の箱のような白い建物が沈没した戦艦アリゾナの真上に建設され、アリゾナ本体とは交差するような角度になっている。建設されたのは1962年で、最近では毎年170万人以上もの人々が訪れるオアフ島有数の観光施設になった。国立公園局の管理のもと、海上にある記念館には無料の専用ボートで渡ることができる。
私がここを訪れるのは4回目だ。最初に訪問した25年前は、日本人の観光客はほとんどいなかった。観光コースにも紹介されていなかった。
まず、パールハーバー・ビジターセンターのインフォメーションで、船に乗る時間が記されたチケットをもらわなければならない。幸い12:45PMと打たれたチケットをもらえた。
毎日4500人までの入場制限がされているそうで、混雑する日には午前中でチケットがなくなることもあるという。
決められた時間に映画館に入り、25分ほどの映画を見た後、メモリアル(記念館)に連れて行ってくれるはずだ。
映画の時間まで、まだ1時間近くあったため、手前の資料館に入った。ここは「The Road to War(戦争への道)」「Attack(攻撃)」という名称の2つの展示館に分かれ、無料で入場できる。日本語音声ツアーもあり、7・5ドルでヘッドセットを借りることができる。こうした情報はアリゾナ・メモリアルの公式サイトで紹介され、見学方法やチケット入手などについても日本語で情報が提供されている。
数年前に約6500万ドル(約73億円)をかけて一帯が整備された際に、資料館も新しく建設されたもので、太平洋戦争の発端となった日本の中国大陸や南方への進出と、アメリカ国内の景気状況などを対比して見られるようになっている。
「戦争への道」展示館では、日本が誇ったゼロ戦と、そのパイロットの写真や、戦前に日本国内で見ていたニュース映像なども流され、日本とアメリカが敵対関係になっていく過程が分かる。
「攻撃」展示館では、12月7日朝に突然襲ってきた日本の航空機を描いて「TORA!TORA! TORA!」という説明を加えている。
両館を見学後、資料館の向かいにある映画館に入る。映画の内容は10年ほど前に訪れた3回目の時と印象が変わっていた。
全体の内容は、戦艦アリゾナが「日本帝国」(Imperial Japan)の不意の攻撃を受けて沈没し、今なお乗組員とともに真珠湾に沈んでいることを紹介。ルーズベルト大統領が日本に対し宣戦布告する場面やアメリカ国民が「リメンバー・パールハーバー」を合言葉に武器を持つシーンが描かれている。
以前の内容は、日本の攻撃がいかに卑怯なものであり、戦死した兵士や家族の悲しみを強調したものだったが、今回見直してみると、日本側を非難する場面は最小限にとどめ、沈んでいる戦艦アリゾナには今も犠牲者がいて、アリゾナの燃料タンクから油が染み出していることなどを抒情的に伝えていた。
映画が終わると、海側の出口が開き、そのまま専用のボートに乗る。200人以上は乗れるだろう。見渡すと、日本語のガイド本を持っているカップルやグループが何組か目に留まった。船長は若い黒人男性。記念館のそばに近づき、下船準備をしようかと思ったところ、また船が動き出して、対岸にある記念艦「戦艦ミズーリ」に近づき、船長の説明が始まった。
ミズーリは、太平洋戦争での日本の降伏調印場所となった艦船だ。それまで硫黄島の上陸作戦や沖縄戦に参戦した。1945年7月13日から15日にかけて室蘭市の製鉄所を砲撃した室蘭艦砲射撃の際には800発もの砲弾を撃ち込んでいる。
降伏文書調印式は同年9月2日に東京湾に停泊中のミズーリ甲板上で行われた。
ミズーリは、その後、いったん退役したあとに湾岸戦争などにも参戦し、ホノルルの非営利団体に寄贈されたあと、1999年からアリゾナ記念館に近いフォード島の岸壁で一般公開されている。


専用ボートは、ミズーリの説明が終わると再び、アリゾナ記念館に近づき、スピードを落としたが出港地点に戻り始めた。結局、記念館の内部には上陸できなかった。
事前に調べて行かなかったことを悔いたが、後で聞いてみると、記念館の船着き場が老朽化したために補修が必要となり、2019年3月まで立ち入りが制限されているという。
記念館のデザインはハワイに住むオーストリア系アメリカ人建築家のアルフレッド・プライスが行った。建物は長方形で長さは56メートルある。側面から見ると両端の部分が最も高く中央部が沈んでいるように見える。これは開戦前の誇り高いアメリカ人の心が攻撃によって突如折れ、そこから戦争を経て終戦後に再び、高い誇りを持ったことを表している。しかし口の悪い批評家からは「つぶれた牛乳パック」などと言われたこともあった。
記念館の内部はエントランス、広間、慰霊所の3つに分けられ、建物中央部にある広間には両側の壁と天井にそれぞれ大きな窓が7つずつ設置されている。
広間からアリゾナの甲板を見下ろすことが出来る穴が開いていて、海中に花を投げ入れることで、戦死した乗組員たちを慰霊する。一番奥には慰霊の場所があり、大理石の壁に真珠湾攻撃で戦死したアリゾナの乗組員全員の名前が刻まれている。日本人としては複雑な気持ちになる場所だ。
過去3回の訪問ではここまで立ち入ることができ、「アリゾナの涙」と呼ばれる、漏れ出したオイルの虹色の輪が海面に広がっていくのを見ることができた。何十年もの間、本当にオイルが漏れるものかと不思議に思ったこともあったが、2001年に発売された「ナショナル・ジオグラフィックス」という雑誌には、アリゾナの隔壁の腐食により漏れ出したオイルが、真珠湾の環境悪化に大きな影響を及ぼしていると指摘。これに対してアメリカ海軍は、今後もアリゾナのオイル流出状況や隔壁の腐食を継続的にモニタリングしていくと述べており、オイルは「本物」であることが分かる。
海中に沈む戦艦アリゾナからの「涙」を目にすることができずに、残念な思いがあったが、再びヒストリックサイトの公園内を見学することにした。
海に面した場所にアリゾナに取り付けられていた19、585ポンド(8、883キログラム)の3つの錨のうちの1つが展示されている。
先ほど、ボートからから見た戦艦ミズーリ記念館へは、連絡バスで行くことができる。公園内にはボーフィン潜水艦博物館、太平洋航空博物館もあり、それぞれ有料で入館できる。


潜水艦のボーフィンは沖縄からの学童疎開船・対馬丸が撃沈された対馬丸事件の攻撃側の潜水艦で、終戦までに日本船籍の20隻以上の軍艦や商用船を沈めている。
対馬丸は、もともと日本郵船の貨物船だったが、沖縄から長崎に向かう1944年8月22日にボーフィンから魚雷を受けて沈没。疎開先に行く途中の学童や引率者を中心に1484人もの犠牲者を出した。
 今回の見学では立ち寄る時間がなかったが、ホームページを見るとボーフィンが撃沈した日本船の記録が整然と記されている。
 公園内には、売店やブックストアがあり、第2次世界大戦関係の書籍や資料、海軍の記念品などが販売されている。
 目についたのは1945年12月7日付けの新聞だ。その中で「ホノルル スター ブリティン」を5ドルで買った。「戦争だ! 日本軍機 オアフ島を爆撃」と大きな見出しがあり、サンフランシスコ発のニュースとしてルーズベルト大統領の声明や「6人死亡、21人けが」などの見出しと記事が掲載されている。
 題字横に「エクストラ1」とあることから号外だろう。ページをめくると「エクストラ2」「エクストラ3」とあって、当日発行された号外を改めて刷り直した「観光用」であることが分かる。新聞の後半はアリゾナ記念館の説明などが印刷されていた。
 アリゾナ記念館が日本のメディアに大きく取り上げられたのが2016年12月27日に、安倍晋三首相が現職の首相としては初めてここを訪れ、オバマ前大統領とともに黙とうをささげたニュースだった。
真珠湾には吉田茂、鳩山一郎、岸信介の歴代3首相が訪れているが、アリゾナ記念館で慰霊するのは現職の首相として初めてだった。
安倍首相は、「パールハーバー」が日米の和解の象徴として後世に記憶されるよう、未来志向の日米関係を築いていく決意を示している。
約20分間の長い演説の最後に安倍首相は次のように締めくくっている。
「戦争の惨禍は、いまだ世界から消えない。憎悪が憎悪を招く連鎖は、なくなろうとしない。寛容の心、和解の力を、世界は今、今こそ、必要としています。憎悪を消し去り、共通の価値の下、友情と、信頼を育てた日米は、今こそ、寛容の大切さと、和解の力を、世界に向かって訴え続けていく、任務を帯びています。日本と米国の同盟は、だからこそ希望の同盟なのです。私たちを見守ってくれている入り江は、どこまでも静かです。パールハーバー。真珠の輝きに満ちた、この美しい入り江こそ、寛容と、そして和解の象徴である。私たち日本人の子供たち、そしてオバマ大統領、皆さんアメリカ人の子供たちが、またその子供たち、孫たちが、そして世界中の人々が、パールハーバーを和解の象徴として記憶し続けてくれることを私は願います」
安倍首相がオバマ前大統領とアリゾナ記念館を訪れたことについて、ハワイ大学名誉教授で日系2世の歴史家、ジョージ・アキタ氏の談話がネット上にあった。
「真珠湾攻撃から75年を経て、両国が関係を積み重ねてきた結果、すばらしい機会が生まれた。両国の将来にプラスになることは間違いない。日本の首相がアリゾナ記念館に行くなんて、かつては考えられなかった」
 アキタ氏によると、これまでアメリカ人は真珠湾攻撃を「スニーク・アタック」(卑怯な攻撃)と呼んでいたというが、最近は「サプライズ・アタック」(不意打ち)というように「和らいだ表現になっているように感じる」とし、「和解が浸透している例といえる」と語っている。
 私としては4回目の訪問になった真珠湾のアリゾナ記念館。過去3回の訪問後には、心のどこかに割り切れない思いが残った。それはアメリカの「戦勝記念館」としての展示内容が強かったからではないかと思う。今回は純粋に「歴史・戦争記念館」として見ることができた。和解が進む、とはこうしたことなのだろう。