日本国有鉄道が解体されて一夜明けた4月1日。
大晦日の夜のように騒いだ、3月31日と異なり静かな朝を迎えていました。
私は当時和歌山で住んでいたのですが、3月31日は国鉄の最後を悲しむかのように、強い風が吹いておりダイヤは乱れ気味でした。
明けて翌日は、天気も回復し新生JRの門出を祝うかのような天気となったのですが。
さて、何かが変わったのでしょうか・・・。
実は何も変わっていませんでした。
当時、岸和田にある岸和田郵便局の郵便課で勤めていましたので。朝6時半の電車に乗ろうと駅まで行ったけれど昨日までと何ら変わりなし。
昨日と同じように時間通りに電車は到着する。
昨日と何も変わらない風景・・・でも、よく見ると。
電車の側面には昨日まで無かったJRマークが貼付されています。
先頭車のみ大きなJRマークが貼付され、阪和色の113系では青帯の間にJRマークが収まっていました。

それと、制服は国鉄時代と全く一緒なのですが、運転士の帽子が違う・・・いえいえ、正確には変わっていないのですが、制帽の顎紐をきちんと締めてあるのでより精悍に見えたのでした。
込み合う車内に入ると、運転席後ろに氏名札が見えます。
国鉄末期でも、車掌などの名前は連呼していましたが、それを更に進めてバスのように運転士・車掌の氏名札を運転台後ろの窓ガラスに貼り付けるようにしてありました。
これはJR西日本だけの施策だったようで、それから後に四国に行った際にも同じような仕組みを採用していましたし、九州でも見かけたのですが、おそらく西日本の流儀を取り入れたのだろうと思います。
当時の雰囲気を再現してみました。
現在はクレーム対策などもあってか姓だけの表示になっていますが、当時はフルネームで所属まで書かれていたものでした。
結局、JR発足当初は制服のデザインまで間に合わない事や経費節減の意味合いから国鉄時代の制服をそのまま流用し、襟にJR各社のバッチを付けることとしたため本当に見た目は国鉄時代そのままだったのです。
国鉄時代の制服が改められるのはそれから1年後、JR各社の思想を反映した制服が制定されていくのでした。
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