和歌山電鉄が出来るまでのお話。第5話 | 鉄道ジャーナリスト加藤好啓(blackcat)blog

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福祉と公共交通の視点から、鉄道のあり方を熱く語る?
blackcat こと加藤好啓です。
現在の公共交通の問題点などを過去の歴史などと比較しながら提言していきます。
随時更新予定です。

みなさま、おはようございます。

本日も少しだけ、貴志川線の存続問題が始まった頃のお話をさせていただこうと思います。

存続運動が始まった頃、二つの大きなグループがありました。
一つは、元会社役員や伊太祁曽神社の宮司を中心メンバーとした「貴志川線の未来をつくる会」、もう一つはプロ市民的な要素が強い(実際にかなりのプロ市民が参加していた模様)形で発足した「貴志川線応援勝手連」でした。
私は、会費が要らないと言う?理由だけで勝手連の会合に参加するようにしていたのですが・・・。
ただ、この二つの組織ですが、当初はお互いの別々に行動しており、勝手連のほうも貴志川線の存廃までこだわるものではない・・・という位置づけでいわば勉強会と言った形でした。
それに対して、「未来をつくる会は」会費を募り最初から組織立った形はできたのですが肝心の活動が停滞気味となり、むしろ自由な立ち位置であった勝手連のほうが擬態的な運動をしていくことになるのですがそれはもう少し先の話となります。

南海電鉄による貴志川線廃止及び、和歌山港線の途中駅廃止の合理化計画は正直寝耳に水といったところでした。
それとともに、貴志川線も大手が経営しているからと言って安穏としていられないという思いを強くしたのです。

未来をつくる会が、全体工作というか、NHKの「問題解決ご近所の底力」への出演がひとつのきっかけになった部分がありましたが、個人的には継続的な力になったとは言いがたいと思います。
逆に、応援勝手連は、地盤もカバンもない若者が立ち上げたグループで、積極的にワークショップを展開していました、私は2回目からの参加だったのですが、プロ市民と呼ばれ人たちがいて、かなり無茶な主張をしている(内容は、はっきり覚えていないのですが、女性のプロ市民に対して論破したらその次の回からはワークショップに来なくなりました。苦笑)。

当時はFBなどはありませんから情報交換と言っても当時はBBS(掲示板)であり、そうした書かれた内容などを見てお互いの情報交換や、勝手連であれば、未来をつくる会の情報などをこうした掲示板などで収集して分析していました。

しかし勝手連には、小田章・和歌山大学長を座長とする「和歌山市民アクティブネットワーク」(WCAN)に注目されることとなり、メンバーの大半が合流、その後は勝手連としてではなくWCANnとして活動することになったことで、活動が活性化し、より具体的に活動できるようになって行きました。(すでに最初の数回でプロ市民的な人は撤退していたのでこの時点では純粋に鉄道を残すためにどうするべきかということを真剣に運動するグループになっていました。

何回かのワークショップの後、勝手連としての活動をしてみようということで、貴志川線の駅前を探索して問題点を探っていこうという取り組みを行うことにしました。

この取組が評価されWCANへの合流となったのですが。
このお話は後程させていただきます。

参考 貴志川線存続とその活用による地域活性化

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