国鉄旅客輸送今昔 53 長距離鈍行 | 鉄道ジャーナリスト加藤好啓(blackcat)blog

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福祉と公共交通の視点から、鉄道のあり方を熱く語る?
blackcat こと加藤好啓です。
現在の公共交通の問題点などを過去の歴史などと比較しながら提言していきます。
随時更新予定です。

昨今は運用の合理化ということで運転区間が短縮される例が多く、新快速のように播州赤穂から敦賀まで実質運転する列車などというのは珍しい方かもしれませんが、その昔は長距離鈍行などと呼ばれる列車が多数存在していました。

その多くは、旅客輸送よりも荷物輸送がメインでしたので、主要駅では荷物の積み下ろしのため、10分停車、15分停車というのが一般的でした。
山陰本線などでは、50分停車なんていうのもあって、昭和49年頃の旅と鉄道だったかの旅行記では、停車時間の間に銭湯に行ってきました。
という旅行記があったりします。

家庭風呂が普及した昭和30年代以降は銭湯も廃業するところも多く、若い人では銭湯に行ったことがないという人も多いかもしれませんね。

東北本線

青森発上野行 奥羽本線経由


ここで、昭和38年の時刻表をゴソゴソと引っ張りだしてみますと。
青森発上野行という列車が有りました。

朝の5:05到着なんですけど、青森の出発は朝の7:00・・・22時間かけて東京までやって来る普通列車でした。
他にも常磐線経由の青森発東京行きなんていうのも有りました。

 

常磐線

 

常磐線経由、青森発上野行

 

奥羽線

 

昭和38年当時の奥羽本線時刻表

こうした長距離列車の場合、途中途中で何度も何度も列車の性格が変わりあるときは夜行列車、ある時は通学列車といった按配で変化していくのですが。

この区間を乗り通す人も少なからず居たのではないかと推測されます。
昭和30年代は今よりも日本は貧しくて、貧富の差も今以上に激しかったことも有りました。

ほとんど記録がネットでは出てこないのですが、マルキュウ切符と呼ばれる旅行援護者向けの切符があったそうです。
私も詳細はわからないのですが、5割引きで発売されるかわり、普通列車しか乗れないという切符でした。

生活保護世帯とか、刑務所の出所者等が旅行【故郷への帰省等】に発行されていたようです。現在も制度自体は廃止されることなく残っているようです。
そうした人たちにとっては、こういった列車は故郷を結ぶ言わばライフラインであったといえます。

そんな、客車普通列車もやがて動力近代化の旗印のもと電車化されたり気動車化されたりして消えていくとともに、運用の合理化で短い区間ごとの列車になっていきました。

短い区間列車にすることで、車両の運用本数を減らせるとともダイヤ混乱時の収拾をしやすくなるというメリットは有りますが正直味気なくなってしまいました。
 

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