国鉄旅客輸送今昔 35 碓氷峠前編 | 鉄道ジャーナリスト加藤好啓(blackcat)blog

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福祉と公共交通の視点から、鉄道のあり方を熱く語る?
blackcat こと加藤好啓です。
現在の公共交通の問題点などを過去の歴史などと比較しながら提言していきます。
随時更新予定です。

みなさまこんばんは、本日も国鉄があった時代にお越しいただきありがとうございます。
昨日のblogで男に痴漢?されたと書きましたが、本当に笑えない話でした。
 

さて、結局この日は眠れぬままに東京までやって来ましたが、若いのでそのまま、上野駅から急行に乗って碓氷峠を越えることに・・・当時の写真アルバムもネガも何回かの転居で紛失してしまい、記憶しか残っていないのですが、横川でEF63が後部に連結された時、初めて見るEF63のジャンパー線の多さに思わず目を見張ってしまいました。

よく見ると、キハ82とか115系といった形式が書かれたジャンパー線受けがこの機関車の特殊性を語っていたのが印象的でした。

画像 wikipedia

 

また、一番驚いたのは碓氷峠の急勾配でしょうか。

他の線区であれば勾配区間を登っていてもさほど勾配を登っていると感じることは少ないのですが、碓氷峠では本当に坂道を登っているというのを実感させてくれました。

だって、テーブルに載せたドリンクなどが目に見えて傾いているのが判るのですから。

それと、安全のために空気ばねをパンクさせてあるので、路面からの衝撃が直接車体に伝わるためゴツゴツと下から突き上げるような感覚になるのもこの区間の特徴でしょうか。

それまでは、空気ばねによる柔らかい乗り心地だっただけにその落差に驚かされます。

碓氷峠で空気ばねをパンクさせるかというとこれはひとえに安全対策でした。
ネットを調べていると、下記のような記述がありました。

下り勾配における非常ブレーキ試験を実施(EF63×3両+165系10両編成、165系は空気バネ有効状態)したところ、編成1両目(クハ165形)の車体後部が垂直座屈で浮き上がり、車体と台車が分離してしまうアクシデントが発生したため。

空気バネ台車の限界自連力は、金属バネ台車に比べて小さいために垂直座屈に弱く、その一方で空気バネをパンクさせてストッパゴムだけで車体を支持する状態にすると、空気バネ有効時と比較して約6倍の限界自連力を得られることから、空気バネ台車装着車両は車種を問わず、心皿脱出防止(車体と台車が分離してしまうこと)のため、空気バネパンクの義務化が決定された。

更に細くすれば、これにより協調運転を行わない場合は安全上、8両までという制限が加えられて、輸送上の隘路となったことから、協調運転用の169系が開発されて、空気ばねパンク+協調運転により12両までの編成で運転できるように改められました。

余談ですが、アプト式時代は空気ばねをパンクさせずに使っていました。
というのは、アプト式区間【ラックレール)を安全に通過させるために車体高さを安定させる必要があり、空気ばねが必要だったと言われています。

実際に多客時に80系電車が定員以上の乗車により車体が沈下しラックレールに車多が接触すたという事例もあったそうです。

明日は、横軽マークのお話をさせていただきます。