国鉄旅客輸送今昔 19 大阪駅今昔 昭和50年新幹線博多開業前の頃 | 鉄道ジャーナリスト加藤好啓(blackcat)blog

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福祉と公共交通の視点から、鉄道のあり方を熱く語る?
blackcat こと加藤好啓です。
現在の公共交通の問題点などを過去の歴史などと比較しながら提言していきます。
随時更新予定です。

今回は、少し時計の針を戻して私が中学生の頃の思い出をお話してみたいと思います。
昭和50(1975)年3月、新幹線は博多まで延長され、東京~博多間が7時間半で結ばれるということで大変大きな話題となりました。

今まで東京~大阪間を急行で走っていた時間で博多までいけるのですから。
ということで、新幹線の博多延長開業によりそれまで、一部は暫定的に残っていた九州特急が軒並み廃止されると共に、岡山始発の特急列車や急行列車も廃止され、岡山駅は昭和47年10月の終着駅から、中間駅に変更されることになりました。

大阪駅を出発する、特急かもめ、長崎本線の区間だけのために延々と架線下を走る特急列車でした。

特急「なは」「日向」「みどり」「かもめ」・・・・といったそうそうたる面々や、急行筑紫・屋久島、日南といった大阪始発【かもめは京都始発】の長距離列車が一斉に廃止となって行きました。
岡山開業時でも、長距離特急や、「特急しおじ」と言った直通列車を温存するなど、その選択肢を旅客に委ねる事がなされていたように思います。
新幹線開業前の時刻表をこちらにアップさせていただこうと思います。
早朝から、なは・日向・みどり・かもめ・・・と下っていきますし、9:00以降は逆に九州からの寝台列車が上ってくるなんとも豪華な時間帯でした。

大阪駅を7:00台に、特急なは・日向と九州直通特急が出発していきます。

博多開業前の時刻表から

ちなみに、下記が新幹線岡山開業【昭和47年3月】の時刻表、
岡山発着の列車が増えているのがご覧いただけるかと思います。

下記画像は、昭和50年3月改正以降の列車ダイヤ
大阪を出発していた特急群が一斉に消えている。




私がカメラ小僧デビューしたのが昭和49(1974)年12月、翌年の2月頃は、大阪駅まで出向いて九州特急などをカメラに収めていました。といっても、当時はデジカメなんてありませんから、撮影したい列車だけを選んで、狙い撃ちです。笑

それと、和歌山に住んでいたので、中学生が夜間に出かけて朝4時の夜行列車に単独で乗るわけにも行かず、朝早い電車といっても6時の快速でした、当然ですが大阪駅に着くのは7時半過ぎであり、7時台に出発する「なは」「日向」はどうしてもカメラに収められないという悩みがありました。
特急「かもめ」や「みどり」更には「まつかぜ」、急行銀河、きたぐに・・・等々は撮影できましたけどね。

現在と比べると、まだまだ最後のSLブームであり、電車を撮影する人はまだまだ少なかったのですが、ホームには撮影者があふれていました。
ただ、当時は今ほども規制も厳しくなくて(というか、怪我をした場合は自己責任という暗黙の了解があった)現在よりは撮影しやすい時代でした。

上の写真は、そのときに撮影した1枚ですが、今ならこんなところで撮影と言うよりもここまで移動しようとした時点で通報されそうです。

 

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