認知バイアスとは?
よく認知バイアスという言葉を聞くことがありますが、一言で言えば、学歴とか華やかな経歴などを見て、自分とは最初から勝負にならないと言って勝手に判断してしまうもの・・・と言えるでしょう。
例えば、彼は東京大学を卒業して外資系のコンサル会社で働く超絶エリートですと言われたら、その話を聞いた人は、自分では到底足下にも及ばないと勝手に解釈してしまったりします。
実際には、その人はそうした人に負けないだけの潜在的能力(ポテンシャル)を持っていたとしても、最初から無理であると決めつけてしまう。
そんな傾向があるように思えます。
親ガチャも一種の認知バイアスと言えないだろうか
例えば、一時流行った言葉に「親ガチャ」なんていう言葉がありました。
生まれもった容姿や能力、家庭環境によって人生が大きく左右されるという認識に立ち、「生まれてくる子供は親を選べない」ことを、スマホゲームの「ガチャ」 に例えた日本のインターネットスラング
出典:親ガチャ wikipedia
経済格差などから来る学習機会の喪失などを指して、経済力のある親の元に生まれた子供は十分な学習機会を与えられ、更には快適な環境で育つのに対し、経済力の無い親の場合は十分な学習機会すら与えられないと言った発言だったかと思いますが、こうした発言自体が、経済格差の固定化を図る為政者であったり一部の知識層による認知バイアスと言えないであろうか。
世間では、偏差値の高い学校に入ろうと思えば、幼少の頃から能力開発を進め、かつ子供には十分な勉強機会を与えるべきだと言った誤った認識により子供も親も不幸になっているように感じます。
親が、エリート会社員だから、会社経営者だから、十分に子供にも学習機会を与えられる、それができない人は・・・ということで、エリートもそうでない人も立位置は違えど、お互いに認知バイアスがかかった状態になっているわけです。
- あの人にはかなわない・・・・最初から負けている人もいる。
- 私たちは超絶エリートだから、阿菜生達とは住む世界が違うのよとばかりにマウントを取ってくる人もいる。
認知バイアスの呪縛を外してみる
実際には、勝手にそう思い込んでいるだけという場合が多々あるわけです。
自己啓発などでよく使われるのが「サーカスの象理論」です。
いわゆる思い込みを捨てましょうという話なのですが、実際に認知バイアスというのは、この言葉そのものである訳ですね。
最初から無理という自分たちの思い込みに縛られているわけです。
逆に、それに気づいて認知バイアスを外していけばまた違った展開が図れると言うことになるのでは無いでしょうか。
停滞してしまう原因の多くは、認知バイアスの呪縛であると改めて思ってしまいます。