鉄道ジャーナリスト、加藤好啓の鉄じゃない話

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正論、誰が見ても正しい言葉と言うことになるのでしょうか。

辞書を調べて見ますと
道理にかなった正しい意見や議論。

と書かれています。
例えば、「人を殺してはいけません」等は正論と言えるものです

正論は、何処まで行っても正しいわけです、「人を殺してはいけない」などまさしく正論です、但し、正論だからと行って、今、まさに襲いかかろうとする凶悪犯に対して人を殺してはいけないと叫んで、その人が行為を止めるでしょうか。
自らは、人を殺してはいけないという正論に基づき自らの命を差し出すというのでしょうか?

答えは否ではないでしょうか。
そう考えると、「人を殺してはいけない」と言う正論は本当に正しいのだろうかという疑問が起こってくるわけです。

結局、正論というのも環境が変われば正論ではなくなるかもしれないわけです。

そうした意味では、こうした正論は、「絶対ではなく、相対であると言えそうです。」

有る条件で見たときには、正論ではあるけれど、それを転換させて見たときにそれがまさしく正論なのか。

時には、正論だ正論だと、声高に言う人がいますが、「正論」、「正論」と言っていると、結果的に、自らの首を絞めてしまう・・・なんてことにならないでしょうか。

松阪の正論おじいさんのニュースをみていると、自分の中で描く正論の中にどっぷりと漬かってしまっているように見えます。
それこそ、我は正義と思い込んでいるのでしょうけれど、あくまでもそれは自らの環境から見た場合であって、社会全体から見れば決して受け入れられるものではないと思うのです、自分の相対的な価値観を絶対的なものと思っているからだとおもうのですが、微罪でも良いから(器物破損でも何でも良いから、書類送検させるなどの事をしないと本人は気づかないですね。

私も、最近は自分で老いを感じることが時にありますが、それ故に色々な事にチャレンジしようと思うのです。
昔は、簡単に試験にも合格できたのですけど、最近は段々と覚えが悪くなっているのか合格できません。
悲しいことですが、でも懲りずにチャレンジはしたいと思っています。