断定したがる人々

今日も思うことを思うままに書かせていただこうと思います。

時々、自身の見解に余程自信が有るのか、はたまた思慮が足りないのかは存じ上げませんが、「○○すべきである」と断定される方も居られます。

 世の中は単純?

しかし、世の中というのはそもそもそんな単純なものではありません。
二次元平面上に問題が展開しているわけではありません。
三次元上の空間に複数の問題が絡み合う、更にそこに時間軸という空間がある。・・・いわゆる多次元の中にその問題が包含しているわけです。
過去の時間軸が有って、そこからは又無数の選択肢が有時間軸が広がっているわけです。

 無限大の選択肢

一人の人間だけを見ても、未来に向けての時間軸には無数の選択肢がある訳です。
時には、その一歩を踏み出した瞬間に「Dead end(行き止まり)」なんて事もあるかもしれませんが、そんな選択肢を含めて多数の選択肢がある訳です。
そして、世の中は自分だけが見ている世界だけではなくて、複数の個人との繋がりで重なり合って時にはぶつかり合って出来上がっているわけです。自分の世界には基本的には他人の世界が侵略することはありませんので(洗脳されたとしたら、他人の考え方などが自身の考え方が他人の行動に支配されることがあるかもしれませんが。)気づかないわけです。
しかし、自分の住む世界には多数の並行世界があり、そして周囲の人々との間にも自分とは異なる世界が見える他人がいるわけですから、その辺を理解できずに思想を単純化し、「○○すべきである」的な発言になったり、インフルエンサーの○○さんが示しているから間違いない・・・的な発言をしてしまったり。もしくは、動画などでのまとめを見て全て理解したような気分になってしまったり・・・と言う行動を取る人が多いように思えます。

 脳を単純なストレージにしてはいけない

結局最後は自らの頭で考えて、判断すると言うことをもっと意識しないといけないわけです。
偏差値の高い大学に入ることも重要ですが、もっと大事なことは自らの意思でそれは動なのかと考える癖をつけること。
スマホを単にゲームしたり、動画見たり・・・的な事に使わないことです。
一寸した疑問を調べて見る。
その疑問を自らも考えてみる。そして、その考え方を改めて自分の意見を添えてアウトプットしてみる。
言葉で表現するもよし、文章で残すもよし、動画で残すという方法もあるかもしれませんが、単に脳を単純なストレージにしてはいけないと言うことです。