今日も思うことを思うままに書かせていただこうと思います。

これもかなり以前に書かせていただいたことなのですが、権力と権威と言うことを改めて書かせていただこうと思います。

 権力と権威、似て非なるもの

権力と権威。最後の一字が「力」なのか「威」なのか。

もちろん、「威力」という言葉もあるように、どちらも力を意味するわけですが、権力と権威とと言う言い方をするならば、以下のようにその違いが明確になるように思えます。

すなわち、上から押さえつけようとする力・・・これが権力であり、所謂ボスタイプの人でしょうか。

手柄は俺のもの、失敗は部下に・・・と言えそうです。

真逆は、権威です。

内側から押し上げられるもの、隆起するという言い方が適切かもしれませんが、内側からあふれ出す力、一人の力ではなく数多くの微々たる力がある一定の方向に押し上げていくパターンですね。

所謂理想のリーダータイプと言えないでしょうか。

 多くの人は権力に縋る

権力というのは、麻薬なんです。

麻薬なんて言えば、それは非合法じゃないかと言われそうですが、権力というのは時には他人を拘束してもしくは強制させることが出来るそれも、法的に補償されているもしくは会社などの就業規則などで、同じく定められているから違法でも何でも無いし、それが当たり前と思っている訳です。

そして、権力は強ければ強いほど周囲を威圧していくのでそれに逆らえなくなる。

そうなってくると、益々権力の適切な使い方を知らない小物は、その権力に胡座をかいてより横暴に振る舞うようになる。

所謂暴君の誕生です。


 暴君は権力のなれの果て?

権力が究極まで大きくなると諫言(誤りに対して忠告してくれる人)する人もいなくなり、益々間違った方向に進んでいたとしてもそれにブレーキをかけるものが無い、言わばブレーキが壊れたトラックが荷物を満載して危険ゾーンに進むようなもの。

かっての中国で歴史を見ていれば、権力の奪い合いそれにより国が興り滅亡するなんてことが起こる、いま現在でも侵略と反乱という中での権力の奪い合いが起こっています。

暴君は権力に縋ることで恐怖政治を生み出し、それに従わせようとしますが、そうするのはそうしないとひっくり返されるという恐怖があるからでしょう。

振り返って権威はどうでしょうか。


 内から隆起する力を権威という

内から隆起するような権威は、その力の源は一人ではありません、権力の場合その権力を奪取したものが一人で使おうとするわけですが、権威では多くの人たちからの力を一人の人を支えているわけですから。

だからこそ、権力を手にした人はそれを己だけのものではなく、皆さんから預託された力だと感じるかで変わってくるわけです。

たまたま、社長として会社の経営を託された、それは法人という法で定められた人格の力を託されただけに過ぎないわけです。

政治家は、国民のもしくは県民・市民などの持つ思いという力を託されただけの存在でしか有りません。

だからこそ、そこを正しく知って行動すれば、その人の権威となるし、誤ればそれは単なる権力者としか映らなくなるわけです。

 

上に立つ人、または上に立ちたいと思う人はこの点を意識していくことが大事なのではないでしょうか。

そんな気がします。