今日も思うことを思うままに書かせていただきます。

今日は、光と影と言うことで思うことを書かせていただこうと思います。

光と影と言う言葉を聞くと個人的には、写真をイメージしてしまいます。

写真は光と影の芸術などと言われることが多々あるからです。

実際に、半逆光や逆光で写真を撮った場合、影の部分と光が当たる部分のコントラストが大きいことから、メリハリのある写真になることが多々あります。

そして、光の当たる部分を「陽」、影の部分を「陰」と言う表現をする場合があります。

そして、この言葉を聞く度に思い出すことがあります。
それは小学校の六年生の頃でしたでしょうか、正直あまり美人とは言えない女の子がいました。
私の近所に住んでいて、小さな頃は遊びに行ったりしたこともありましたが、思春期の頃には互いに意識することもあり疎遠となっていました。
まぁ、当時の私は絶賛虐められていたこともあり、そんなどころではなかったわけですが。
彼女も同様に、学校カーストならぬそれに近いもので仲間はずれにされているような所がありました。
 
中学卒業後は、会うこともなかったのですが、私が岸和田郵便局で働き出した頃に偶然に駅で見かけたことがありました。
父親が迎えに来ており、未だ独身でであることを仄めかしていましたが。
その後風の噂で、彼女が結婚したと言うことを耳に挟みました。
もしかしたら1回だけ駅で見かけたような気もするのですが、その辺の記憶が非常に曖昧ですが、そのときは自信に満ちたいい顔をしていました。
 
そんな彼女ですが、小学校の時に同級生の女子に放った言葉が印象的でした。
 
ブスがいればこそ、美人が輝くの・・・みんな美人だったら、誰も目立たないでしょ。
 
その言葉に葉誰も言い返せませんでした。
影(陰)があるからこそ、目立てる(陽)訳です。
私たちは目立つことばかりに着目し、華やかな生活を送ることばかりを夢見がちですが、成功者の影には多くのそれをささえる人達が居ることを認識しなくてはいけません。
そんな気がするのです。
 
この話は、当時の思い出を基に書いたフィクションです。