気が付けば、だらだらと書いていますが。
やはり半生となるとかなり端折ってはいるものの、色々と挫折もあれば成功もある訳で、なかなか一筋縄でがはいかないものです。
前回お話ししたように、大阪の棒ホテルのシステム更改に関わることとなり都合半年近くらお世話になることに。
最初は大阪市内のホテルでプレ的に新システムと旧システムを併設・・・なのですが。
いかんせんスペースがないところに無理からにデスクトップを配置するので無茶苦茶狭くなることに。
特にブライダル関係などの部署では、もう狭くて大変。
華やかな舞台裏を見てしまったのでした。
それでも、ひたすら半分倉庫と化した部屋で黙々とイメージを流し込んでofficeの登録〔アクティベート〕を行うなどして、昼からは設置の作業、更に夕方も同じようにセットアップと言った具合で10月頃からスタートして年末もギリギリまでそんな状況が続きました。
一段落付いたのが翌年の3月、四月は他のホテル向けにキッティング作業があり、増員で四名ほど増えたのですが、正直あまり戦力にならず、殆ど私ともう一人の元からいるメンバーで処理することとなり何とか四月中に終えることが出来たのです。
それでも、毎日終わるのは21時頃であり、家に帰って寝るだけの暮らしが続きました。
しかし、当時は現在の吹田市に住んでいましたので、一時間程で帰れるのは有り難いことでした。
そして、ここでの半年は、社内ヘルプデスクの頃とは多少違うとは言え、機器の取り扱いや配線・整線の訓練と言ったことにも繋がったように思えます。
更に5月からはいよいよ、いくつかの拠点での作業と言うことになり、候補が広島・京都・小倉でした。
どこに行きたいかと問われ、どうせなら遠いところがいいと言って小倉で仕事することにしました。
小倉は遠いですが、新幹線を使えば自宅から二時間半ほど、極端な話土日を家で過ごすときがあったとしても、6:00の始発に乗れば十分間に合うわけで、一ヶ月ほどの常駐だったのですが、途中一週間ほど作業場の空白が出来たので、帰ってきたことがあり、そのときは朝一の新幹線で小倉に向かったものでした。
九州の拠点では一人で対応することとなり、それなりに大変だったのですが技術者としての自覚と判断力が付いたのは良い経験になったのでした。
それでも、某ホテルに宿泊できるほどの旅費を出してくれるわけではないので、近くの安いホテルに宿泊するのですが、ここでも業務終了が連日21:00以降になるので、毎日コンビニで弁当を買って食べて、寝たら翌日も朝から仕事と言うことで、正直かなりキツかったです。苦笑
それでも。土日の休みの日などはせっかくですので、小倉を走るモノレールに乗って移動してみたり、門司の鉄道記念館だったり、関門トンネル〔道路〕の歩道を歩いて下関まで歩いたりと結構それなりに見聞を広めるために歩き回ったものでした。
延長2kmほどで有るが、歩いて関門海峡を渡ることが出来る。
仕事はまぁまぁ順調とはいえ、気になるのは次の仕事でした。
引き続きこうした半年なり続く仕事があれば良いのですが・・・そうでないと又大変だなぁと言う思いがあったのです。
サーバーの監視業務の仕事有りますが・・・お願いしたのですが結果的には駄目という回答
正直落ち込みましたね。
しかし、ここで有る思いに辿り着けたのも事実でした。
断られたと言うことは、その仕事にいま付くべきではないと言うことで有り、別の仕事をいましなくてはいけないという事なんだろうと。そう思う用にしたわけですが、それが結果的に大成功であり、その後約5年ほどにわたり積極的に仕事をする機会が与えられたのでした。
その辺のお話は、又次回にさせていただきます。