今日も思うことを思うままに書かせていただこうと思います。

毎日少しずつですが投稿していくことで、自身の考え方などを見直していける訳ですが、それと並行して自身の考え方が固執してしまう事に少し焦りを感じることがあります。

もう少し柔軟に・・・頭で判っていても中々それを変えられないと言ったことが時々あります。

もちろん。考え方が真逆の方向にくるくる猫の目のように変わるのは困るわけで、そこには一本の芯がある必要があるわけで、その芯が深ければ、ぶれているように見えても深層では向かう方向は一緒になるので良いのですが、具合が悪いのは芯が浅くてかつ、範囲が広がっている場合。

目先の部分だけで判断してしまう。

 

テレビでこんなことやっていた、こんな風に流行っていると言ったことだけを真に受けて真似をしようとする

正直、そんな人を多数見てきました。

テレビで流行っています・・・そうした宣伝をしている時点でオワコンだと言うことに何故気づかないのでしょうか。

「靴磨きの少年の法則」

と言う格言がありますので、聞かれた方も多いと思います。

靴磨きの少年が、株が上がっているらしいから買った方が良いよと言われた・・・と言う内容ですが。

数年前のビットコインの話と良く似ていますよね。

ビットコインもテレビやそれこそmook本と言われる雑誌と本の中間のような冊子でも特集されるなどして一時期熱中されたことがありましたが、見事にその数ヶ月後には大暴落したわけですが。

 

こうした事に騙されてしまう人が数多いのは何故なのでしょうか。

こうした人たちは、申し訳ないですが。

芯がなくて、もしくは芯があってもその芯が浅いところに刺さっているので、耳障りの良い話があると、それに釣られてしまいやすいのでしょう、結果的に仕込んだ側の思う壺ですよね。

所謂、飛んで火に入る夏の虫状態です。

 

実際に、流行というのは作られるものではなく、作るものなんです。

 

影響力のあるインフルエンサーは特別流行の感度が高いわけではないです。

自分たちで、もしくはメーカーと結託して、宣伝する訳です。

だから、まずそのことに気づくこと、そして、そうしたことに惑わされないようにするためには、本当に自分が信じるものは何かと言う点を問い詰めていくべきだと考えるわけです。
自身のこれだけは譲れないと言える信念とでも言いましょうか、動かしがたいもの。
信念という「芯」・・・敢えて新語を造るならば、「芯念」と言えるかもしれませんが、しっかりとした芯があれば、甘言にも惑うことなく多少流されることがあっても、容易にその道筋を外してしまうことはないでしょう。
そんな気がします。