自分が古参となり、新人をサポートすることに

前回は、受け元が代わって私もその所属が変更となったのですが、私はその会社と直接契約したと言っても派遣社員扱いでは無く、契約社員と言うことで少し立ち位置が違っていたようでした。

彼らは、会社支給の携帯電話などがありましたが私にはそうした支給は無く、あくまでもつなぎとしての扱いのようでした。

まぁ、それは別にどうでも良いのですが、それまでの請負では無く社会保険もあると言うことで少しだけ給料も上がって、生活的には大分楽になったことを感じたものでした。

数年前月収数万円という食えない芸人のような悲惨な生活・・・働いていたのですが、そこで金が貰えないのでただ働きとなっていたことが原因で、そこと決別したことで少しは良くなったと言うことになるわけですが・・・半年とは言え一人でヘルプデスクとして、トラブルシューティングを処理したり、LAN構築などを手伝ってきたことで、半年前とは比較にならないほど自身のスキルも上がっていたことを思い出します。

 寝屋川から和歌山に引っ越し、久々に和歌山市で住むことに

新メンバーは二人、一人は私と土地が近かったのですが、独学でVBAなどを学んだとかで、私よりも数段スキルは上で、色々と学ぶことはありました。もう1名は女性で以前はSEだかをしていたとのことでしたが、スキル的には?で、仕事も丁寧なのですが時間が掛かるという印象で、連日超勤をしていたようです。

彼女は和歌山の有田市と言うところに住んでいる主婦であり、網1名の男性は奈良県生駒市から通っていたと記憶しています。

私は当時は、療法を掛け持ちで見ることになったので、和歌山市に久々に戻り、和歌山駅東側の集合住宅に住むこととなりました。

駅から歩いて5分以内で住居というのはこんなに便利なのか・・・・そう実感させてくれました。苦笑

 遠隔で業務をサポートすることも

小さな2DKですが、南向きで日当たりも良くそれまでのワンルームから比べれば一人で暮らすには十分な広さがありました。

まぁ、プライベートはともかく、仕事では堺市の工場に行くことが多く、和歌山にも時々と言う雰囲気でした。

堺の方は、二人ですので色々と話も出来るし、色々と教えて貰うことも有りました。

そして、よく行ったのがリモートでのサポートでした。

遠隔で画面を共有し、現場のPCのトラブルを見ながらこちらから指示を出すわけです。

画面を共有して貰って、電話で具体的に修復方法を指示したり時にはこちらから遠隔でウイザードを動作させるなど・・・そうしたサポートなどもさせて貰いました。

良い意味でスキルをつけ放題といった感じで、あらゆる事象を吸収しながら自分が成長できたと思っています。

最近ではあまり見かけませんが、LotusNotesを使っている職場であり、そうしたトラブルシューティングの場合は一度だけ、同じヘルプデスクのNotesに詳しい人に電話で私がお聞きしながら対応したことがありますが、なんと言ってもサポートしてくれる人が近くにいるというのはなんと言っても心強いものでした。

 俺たちL2.5

その経験があるだけに、私が古参となったときは、積極的に和歌山の事案は電話でサポートしながら画面を実際に見て指示を出すというか、アドバイスすると言う形で解決できるようにしたのでした。

一般的なofficeソフトの扱いは詳しくなりませんでしたが、移動プロファイルの修復とか、レジストリの修正などはしょっちゅうでしたので、そのうち慣れてきて、このキー削除したら行けるとか、駄目とかと言った勘所が掴めるようになり、デスクトップは基本移動プロファイルなので不具合の時はPC交換と言われていたのですが、自分たちでレジストリーを修正したり設定を変えたりしてその場で直してしまうだけのスキルも付いていたようで、当時の会社でのヘルプデスクでは初期対応のL1Level1)とより高度なSE対応のL3(Level3)の中間である、L2(lever2・現地に手の切り分け担当〕の位置づけではありましたが、出来るだけ直すという方針の下L3でも解決しなかった問題を解決したりしたこともあって、多少自慢げにL2.5だなと同僚の担当者と笑っていたものでした。

実際に、ここでの経験がその後のヘルプデスクなどでは役立つこととなりました。

 再婚話が舞い込むも、肝心の仕事が・・・汗

そして、この時期に新たな再婚話も舞い込むのですが・・・・さあ、ここからと言うときに、契約が強制終了という憂き目を追うこととなりました。

その原因は、お局さんのようなおばちゃんに睨まれたからであり、私の対応が悪かったと言って契約元の親会社に言ったわけで、その結果契約更新はしないと言われて4月には無職となってしまったのです。

更に悪いことに、半年未満であったことから失業保険の対象となり得ず、全く収入がない状況に焦りから、片っ端から面接にいったりしたのですが、五〇を回っているだけに中々難しかったわけですが、1年ちょっととは言え、社内ヘルプデスクで培ってきたノウハウを持っているという自身が有った反面、自己肯定感の低い私ですので、パソコンのセットアップなどする会社の一つで元SEという人に、自分の経歴として社内ヘルプデスク等をしていました・・・「なんちゃってエンジニアです」と発言したわけです。自分としては、専門的な教育を受けたわけでもないし、元々は事務屋、その後は生命保健のセールスパーソンなので、「なんちゃってエンジニア」と名乗ったのですが、それだけの実績とスキルがあるのであるから、「なんちゃって・・・」と言うのは失礼にもほどがあると嗜められました。

 なんちゃってエンジニアから、エンジニアへ

もっと君は自分に自信を持つべきだと言われたわけで、それ以降は「なんちゃって・・・」という言葉は封印することとしたのです。そして、カスタマーエンジニアですと名乗るようにしたのでした。

自分でもそうして自分の立ち位置を肯定的に捉えると、みるみる力が付いていくのを実感するわけです。

自分は「なんちゃって・・・」と発言していた頃は、なんとなく逃げを張っていたように思えるわけです。

逆に、自分は優秀なカスタマーエンジニアで有ると自分で自分を良い意味で騙すことは自分にとってはよりよい結果を生むこととなりました。

結果的に、「なんちゃって・・・」を封印した会社では数ヶ月お手伝いした後、今度は大阪中之島にある高級ホテルのシステム入替の設定作業などに取り組むこととなり約半年ほどお世話になることとなりました。

自分自身のPCが未だwindows7でしたが、最新の8.1を設定する訳で、7と多少扱いに違うところがあるので戸惑いながらも設定して行くのは楽しくもあり、二人ほど一緒に作業をしていたのですが、負けん気満載で少しでも多く処理できるように、もう一人の担当と競争するようにセットアップを進めたものでした。

ただし、連日定時の18:00頃には終われず、朝は9:00~夜の21:00頃まで昼の休憩以外は全て仕事という超ハードワークが連日続いたものでした。

巨大高級ホテルの裏側で仕事をするというのも中々普通では機会が無いだけに、社内ヘルプデスクとはまた違った面白さが、カスタマーの仕事にはあると、改めて思ったものでした。