今日も思うことを思うままに書かせていただこうと思います。

大人になると、学ばない人が増えるのでしょうか。

 15歳に戻れる同窓会

今から5年ほど前ですが、約40年ぶりで中学校の同窓会に参加したことがありました、それ以前と言えば21歳の頃であり、警察官をしていた頃ですので、その頃から比べると正直落ちぶれた自分というのを曝け出すのは少し恥ずかしいという思いもありましたが、facebookを通じて、旧友と繋がったことはやはり嬉しくて、横井庄一伍長ではありませんが、恥ずかしながら参加させていただきました・・・状態で会場に向かったものでした。

 

実際に40年ぶりですので。当然ながらみんなそれ相応に年齢を重ねているわけですが、その時間だけそこでは永遠の15歳に戻るんですね、不思議なものですが。

当時片思いだった女子もいれば、さほど当時は親しくなかったけど・・・今はむしろ自然に話せる人もいたり。

 再度あった同級生には落胆することに

その場では、あまり喋れなかったものの、改めて日を改めて個別にあった人もいたのですが・・・正直そのときは、懐かしいと言うよりもがっかりしたものでした。

彼は大学に行き、大手の小売店に就職、当時は既に役職定年ではあるものの悠々自適な生活をしていたわけで、私のようなカツカツの生活をしているわけではないのですが、話が噛み合わない。

というか、もっとこちらとしては哲学であったり、経済の話であったりとか色々と深い話をしてみたいのですが、ギャンブルだとか、酒だと言った話しか出てこないとちょっと寂しい。

 

もちろん、私よりも優秀で大学もそれなりの大学に進学しているわけですから最高学府で、それなりの知識と教養を得てきたと思うのですが、そうしたことは大学を卒業してからはどこかに置いてきたのでしょうか。

仕事柄付き合いでの麻雀等していたとか、と言った話を聞かされると、ちょっと違うよなぁと思ってしまう訳です。

 

正直、そのとき思ったのは彼からは得るものが無いという気持ちでした。

 私が常意識していること

私は、常に意識していることが一つだけあります。

それは、「出会う人は全て恩師」という考え方です。

恩師・・・言うまでも無く教えを受けた先生と言うことになるわけですが、私にしてみれば例え年下の方であっても、まして子供であっても自分自身に何か気づきを与えてくれる人は全て恩師なのです。

いささか飛躍していると思われそうですが、自分が知らない事を教えてくれたわけです、私自身が万能で、過去の出来事も近未来に起こりうることも全て把握している超能力者で有ったならば自分の周りに恩師はいないかもしれません。

 

しかし、何も知らない事ばかりが多い中で、違った視点、異なるアイデアを提供してくれる人は、例えそれが子供であったとしても私には恩師だと感じるわけです。

本気で学ぼうと思えば頭も下がる

嗚呼、今日も少しだけ私が賢くなる為の手伝いをしていただいた。知識を授けてくださったと。

そして、それを真剣に思うならば、自ずと相手にも頭が下がるというものです。

 

それは常に、学ぶ姿勢が有ればこそだと思うわけです。

逆に、学ぶ姿勢が無ければ何でもかんでも自分の物差しと言いますか、下投げ方に照らし合わせて、自分とは違うと言った視点でものを見てしまうので、そこには時代錯誤な常識であったり、自分で構築した価値観というフィルターが常に掛かった状態となり、正しく物事を見ることが出来ないように感じます。

 歳を重ねてきたからこそ、気づきたい

特に歳を重ねれば重ねるほど、正直新しいことを覚えるのが苦になるときがあります、今でも正直そうしたことに悩まされることが多々あり、単純な記憶すらも怪しげになっていく中で、常に意識して学ぶというのは難しい側面もあるのですが、少しでも己を成長させると言うことは、老いを遠ざけるという意味では近道のように感じていますので、敢えて意識して、学ぶ姿勢を保つことを意識しているわけです。

しかし、残念ながら若い人にあっても、スマホなどの台頭で簡単に情報が入る故に、自らが教えを不特定多数の人から得るとか、自ら色々と学ぶ姿勢を持たない人が増えている・・・そんな気がしてなりません。

皆様は、思考のエアポケットに陥っていないでしょうか。