久々に、思うことをお思うままに書き綴ってみたいと思います。

世界中を襲ったコロナウイルスのよる災禍は、国が五類と言うことで感染症の種類を変更したことに伴い、見た目にはコロナは終わったことになっているわけですが・・・実際にはコロナウイルスは消滅したわけではなく、現在も存在し続けているわけですが、個人的にはコロナ禍を経て実は世の中の流れが少しずつ変わっていっているように感じています。

もちろん感じているというのは私の鈍感なセンサーが反応しているだけなのですが・・・汗

 

新自由主義からの決別と言う流れになっていくのではないか…もしかしたら単純に希望的観測かもしれませんが。

少なくとも、人はどう生きるかと言った考えを十分に我々はコロナ禍の中で感じたのではないかと思うわけです。

本当に大事なものは、「人の命」なんです。

その命を守るものは何か・・・。

医療であったり、公共インフラなんです。

公務員を減らしたり、公共インフラを民営化したりもしくは民間委託することが結果的に大きな失策であることに気が付いてしまったわけです。

公務員を減らせとか、公務員は遊んでばかりとか・・・そんな戯言に騙されている人も多かったわけです。

実際に、公務員と民間と両方経験した私にしてみれば、公務員時代は、民間では十分に年休も取れずに馬車馬のように働かされているんだと思っていました。

実際にそうした会社もあるかもしれませんが、実際には郵政局の方がハードでした。

 

超過勤務手当はなく、仕事は膨大、それでも若くして出世できるとか、自分が近畿の郵便局の施策を実行しているんだといった自尊心をくすぐられることでモジベーションを高めてきたわけですが、現在は優秀な学生が官僚になりたがらないと言われています。

それは、政府に人事権を握られている状況では、官僚は政府の顔色を窺って忖度してしまう状況にあるわけですから。

政治家が個人的に圧力をかけてくるのはあるかもしれませんが、官僚は政治家と異なり選挙で選ばれた人間ではなく、人事院の試験を合格してきた優秀な頭脳を持つ人間なのですから、高度な知識と知見を活かして国を守るという気概を持っていただきたいものなのですが、官庁が政治家に人事権を握られているものですから、政治家に逆らえない、政治家は選挙が大事ですから有権者の機嫌を損ねないような施策、いわゆるポピュリズム(大衆迎合型)の政治をしようとする。

補助金のバラマキだとか、意味不明な博覧会を開催しようとしたり、その結果がどうなろうと知ったことはないとなるわけです。

 

元々公務員の面白さと言うのは、現業や窓口業務だけではルーチンで面白くありませんが、純粋に行政事務と言うことになると、まず計画でどのようなものを作るのか、それに伴う問題点は何か。

更には、そのために解決すべきことや、常にそれは回り続けるための仕組み作りであったりと言う本当に複合的に色々なことを考えることができる。

これが遣り甲斐であり、私自身も郵政局では常にそうしたことを意識しながら郵便局のために仕事をしてきたものでした。

 

そうした意味では、政治家が政治主導だと言って、官僚の人事権にまで手を突っ込んでくるような態度は三権分立の権利をも揺るがすもののように感じてしまうのです。

 

ちょっと今日は、いつもと違う話になってしまって申し訳ないですが、思うことを書きなぐってみました。