日本語というのは不思議なもので、同じような意味を持つ言葉でも複数の言葉を使います。

漢字発祥の国中国でも基本的には一字で一意ですので、「漢字とひらがな」を使って表現する日本語は中々手強いかもしれません。

と言うよりも、日本人でもこうした使い分けがきちんと出来ていないのではないでしょうか。

お恥ずかしい話ですが、「見る」と「看る」「観る」「視る」と言う表現をしますが、文法的には、「看る」「観る」「看る」は表外漢字と言うらしく、間違いではないものの常用漢字としては使われないものであるが、日常的に使われるものとして記載されているものらしいです。

さて、常用〔当用〕漢字というのは・・・と言うことで、私の好奇心が動き出しますので、改めて探ってみますと。

以下のように書かれています。

 

常用漢字(じょうようかんじ)とは、「法令、公用文書、新聞雑誌放送など、一般の社会生活において、現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安」として、内閣告示「常用漢字表」で示された現代日本における日本語の漢字である。現行の常用漢字表は、2010年(平成22年)11月30日に平成22年内閣告示第2号として告示され、2,136字、4,388音訓(2,352音、2,036訓)から成る("常用漢字一覧)。常用漢字は、漢字使用の目安であって制限ではない。

 

出典:wikipedidia 常用漢字

 

と書かれていますように、間違い問いは言えないわけです。

表題の

「見る」---|-「観る」 ぬ
      |-「視る」

                |-「看る」

 

「覧る」--------------

 

以上のようになるみたいで、「覧る」という意味合いには、閲覧する、上覧するといった、上から眺めるとと言う意味合いが有るのに対して、「見る」は、対象物に向かってもしくは近づいて時には触れてと言う意味合いがあるように感じます。

 

すなわち、英語で言えば「覧る」は「browse」であり、「見る」は「Look」となるわけですが、日本語ではどちらも「みる」と言う音で表現するわけですから、面白いと言えば面白いし。

更に、「見る」の表外漢字である、「視る・視る・看る」も個々の字には以下のような違いがありそうです。

 

すなわち、

  • 「観る」は、観察すると言った意味合いがあり
  • 「視る」は、注視すると言った意味合いがあり
  • 「看る」は、看視する、もしくは看護すると言う意味で、対象物〔人体であったりに直接触れてもしくは積極的に関与する」と言った意味合いがあるように考えます。
斯様に、日本語というのは非常に語彙が多く、かつその言い回しは多様です。
会話としての語彙は最低限知っておれば良く、後は単語を増やすことで会話はなり立つわけです。
ただ、日本語を母語とする日本人が日本語を十分理解しないままに新たな言語を獲得するのは正直感心しないです。
これは若い人・高齢者関係なく、語彙が少ない人、すなわち表現力が低いと、そこにある現象を理解できないままとなってしまう。
結果的に、感受性のセンサーが欠けている・・・そんな風に感じてしまうのです。