昨日は、私の運営する国鉄があった時代というサイトについてお話をさせていただきました。
ご興味のある方は検索エンジンで、「国鉄があった時代」と検索していただくと見つかるかと思います。
正直興味のない方には、何だこれはとなりますが、多少なりとも昭和史などに興味がある人には役立つかも?しれないと思っている次第。
インターネットの世界に嵌まる
と言うことで、自信の職場に対する無聊を慰めるという意味合いも有ったかと思いますが、当時はインターネットにドンドン嵌まっていった時代でした。
それまでは、出来るだけ本を読もうとしていたのですが、本ではなくインターネット掲示板の書き込みなどに時間を費やすこととなりました。
特に自身でも画像掲示板を運営していたのですが、鉄道の掲示板と言いながら鉄道の写真ばかりではなく、風景写真等を主催者がアップするものですから何の掲示板かわからなくなりました。・・・それでも多いときは一日10,000アクセスほど有りまして、画像掲示板のカウンターがドンドン上がっていくなんてこともありました。
こうしてインターネットを通じて、新たな友人関係を構築した人も少なからず有りますし、今も親交が続いている人も沢山居ます。
初めてのオフ会を開催
特によく投稿していた掲示板を通じて、管理者の意向は関係なしにネットで知り合った人たちとのオフ会を企画した事がありました。
結果的には、管理人(多分大学生であろうと思うのですが、管理人に代わっていたずらに掲示板を盛り上げたので、逆に疎まれてしまったようで、突然その掲示板を閉鎖するなんて事もあってアーカイブを取ったりしたのですが、結局データ自体が消滅してしまいました。
ネットのコミュニケーションは1対多
時代は、リアルな付き合いだけではなく、ネット空間という新たな場所を通じた繋がりが生まれていったわけです。
特に、ここで痛感したのは電話の場合であれば基本的に1対1のコミュニケーションですが、ネット環境では1対多のコミュニケーションが可能となるわけで、これは新しい発見でした。
そして、この新しいコミュニケーションは、電話時代と同様に互いに顔が見えない(今でこそ、Youtubeの配信機能やZOOMなどに代表される双方向のコミュニケーションツールがありますが、当時の貧弱な通信環境では、文字だけのコミュニケーションが普通)訳ですから、電話の接遇同様に、丁寧な言葉遣いなりが求められることになるのでした。
それでも、今までであればせいぜい自分の知っている範囲(職場であったり、同級生など)であったのがいきなりその壁を取り払ってしまったわけですから。最初の頃は新たな感動とともに、多少の戸惑いもあったものでした。
そして、これはマーケティングの話などでよく言われることですが、接触頻度が高くなればそれだけ認知距離と言いますか、親密度が高くなるわけで、会いましょうと言うことになるわけで。
意外とこうした出会いに対して、自身はハードルが低いと言いますか積極的に会っていた自分に驚かされることがあります。
オハフ会という名の初めてのオフ会
最初にオフ会を開催したときは、鉄道のオフ会ですのでと言うことで、オハフ会などと言ったものでした。
まぁ鉄道に興味がない人にしてみれば、オハフとは何となると思うのですが、一言で言えば客車と呼ばれる車両の重量などを表す記号で、客車というのは機関車などの引っ張られる車両で、概ね車両の最後部に連結される車両がオハフなんていう記号が書かれていたので、自身が主催する鉄道のオフ会について、この名称を使ったのでした。
1回目は、三重は名張から、福知山から・・・私も和歌山からと言うことで、近畿各地から集まって総勢16名ほど集まったように記憶しています。どこをどう回ったのか記憶が曖昧なのですが、当時はまだ非電化であった和田岬線に走っていた気動車を乗りに行ったりして、その後は大阪駅の構内にある居酒屋で打ち上げをしたものでした。
オリジナルのアップロード者は日本語版ウィキペディアのKoneさん - ja.wikipedia からコモンズに移動されました。, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=55093808による
和田岬線を走っていた気動車 画像 ウィキペディア
そうして、それからも何度か参加人数に多少の増減はあるものの新しい参加者を加えてSNSがない時代ではありましたが、独自のコミュニティを作っていく反面、職場では相変わらず根暗なコミュニケーションが苦手な人を演ずるという。
見事なまでに、二つの人格を使い分けていたわけです。
このような性格は二重人格と言えるかもしれないが・・・・
ただ、こうした使い分けというのも変ですが、こうした二重人格とも言えるには必ずしも私だけではないと思うわけです。
誰しも、そうした二面性を持っているわけで、それがその人の置かれた環境によって顕在化するか否かだと考えてしまいます。抑圧されすぎた環境というか、こうあるべしと言う雰囲気が支配されている環境では、二面性が露見しやすく、その逆に自由闊達な環境であれば、そうした二面性が極端な形で発露することはない。
そんな風に考えてしまうわけです。
最近は、ストレスがかかる環境に自らを置かないようにしているので、極端な二面性が発露することは有りませんが、「最初から君はこういう人だから」とうステレオタイプ的に決めてくる人に対しては、その人の希望に添うようにカスタマイズした性格を提供している自分がいたりします。苦笑
まぁ、最後の話は冗談として、私たちはストレスの強い世界に生きているわけでそれを守るために時には、SNSの世界や異世界転生ものなどの物語に没頭したりして、バランスを取っている訳ですが、そうしたバランスが取れなくなったとき、最悪の事態を起因してしまうのでしょうね。
幸い、私はそうした意味では子供の頃から比較的抑圧されて生きてきたところもあり、更には家庭崩壊でズタズタになったわけですが、それをインターネットという別の世界(個人的には異世界を旅する人)を覗くことが出来た訳ですし、そこで新たな多くに人たちとはそれこそ20年来の付き合いをさせていただいている人とも出会えたわけです。