郵便局時代、特に泉南郵便局時代は殆どが集配課での勤務でありあまり個人的には誇れるようなことは何もしていません。
むしろ、ダンベル何キロ持てるでだったらまだしも、やけになって、バイクに何キロ迄載せられる・・・みたいな無茶をしたものでした。

心にぽっかり穴が空いている状態のため、仕事に対しても刹那的になっていたわけです。

そんな無聊を慰めるために、ノートパソコンを買って、インターネットにのめり込んでみたり、デジカメ(アサヒペンタックスのist*Dと呼ばれる600万画素のカメラを購入、初めての75-300の安いズームレンズも購入したわけです。

以前にも書きましたが、それまで105mmより長いレンズを持っていなかったので300mmの世界に戸惑うわけです。

実際には、1.5倍換算ですから450mm・・・正直購入したあと、激しく後悔したもので、35-105あたりで良かったのじゃないかと後悔したものの後悔しても改善されるわけではないので、1ヶ月望遠レンズだけで被写体を捉えるという運動を行ったものでした。

そうして、自分のルール(セルフルールを作ってそれに沿って行動する)いつまで立ってもいやいやしていたら上達もしませんので、自分なりにとり方を毎回毎回工夫したものでした。

特に、集配課は朝が早い(8:00)反面、終わりもその分前倒しですので、毎日がサマータイムのようなもので、特に6月から8月ころまでは結構遅くまで撮影可能時間帯ですので、毎日100枚200枚と行ったノルマを課して自分なりに納得できる写真を取るための工夫を人一倍したのでした。

逆に言えば、そうしたことで自分の時間を費やさないと、死後に関する個人的なストレスで倒れていたというよりも、電車に挨拶しにふらふらとホームの端まで行きかけようとする衝動に駆られたり・・・。

ある意味、カメラという相棒がいて、更にはインターネットでBBS(電子掲示板)を通じていろいろな人と交わっていたおかげで、命永らえたと思っています。
そして、この頃から現在に続くホームページを作り始めたのでした。

ちょうど2000年頃でしょうか、個人でホームページを作るのが流行ったことがあり、その流れで自分でもと思って作成したのが始まりでした。

自分のコレクションを紹介と行った他愛ないもので、きっぷ(入場券などで硬券と言われる厚紙に印刷されたきっぷ)の写真であったり、制服であったりといったもので、その一つとしてそれ以前から作ってみたかった鉄道史と一般の世相を並べたページを作ってみたのです。

と行っても、最初の頃はそれこそ、すでにあるどこかの年表などを参考にそれをほぼ写す形で作ったような代物で、十分とは言える代物ではありませんでした。

それでも毎日帰ってきてアクセスカウンターを見ると30回、50回と行った具合で訪問者数が増えていくのが嬉しくて、アクセス解析などを入れてみたら、大学であったり、鉄道会社からのアクセスとかがあるわけで、そうなると、もっともっと見に来てくれる人たちにとっても役に立つサイトとしたいと思うわけです。

そこで、いろいろな資料であったり、鉄道雑誌なども参照しながら徐々に内容を増やしていく、内容が増えてくるとだんだん歯抜け状態だったのが密集していくので中々立派になってくるわけで、更に励むという循環となりました。

こうして、郵便局での仕事に対する鬱屈を、別の形に昇華していけたことは大事なことであったわけです。

おかげさまでこのサイトはすでに20年以上運営しているわけで、非常にボリュームとしても膨大で、自身でも全体像が見渡せないほどの状況となっています。

そうした意味では、非常に混沌としたサイトではありますが、その反面

自分自身のライフワークとしての基盤となっているわけで、この命尽きる日まで更新を続けて行きたいと思うこの頃なのです。